「これからの生きかた」とはどんな生きかたか?- シンプルに応えてみると。
これからの生きかた」とはどんな生きかたなのか?そう尋ねられるとすれば、ぼくはこう応える(「答える」ではない)。<自由な生きかた>である、と。生き型にしろ、生き方にしろ、<自由な生きかた>であると、ぼくはおもう。
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「これからの生きかた」とはどんな生きかたなのか?そう尋ねられるとすれば、ぼくはこう応える(「答える」ではない)。<自由な生きかた>である、と。生き型にしろ、生き方にしろ、<自由な生きかた>であると、ぼくはおもう。この応答ではそもそもの問いに「答えて」いないように聞こえてしまうかもしれない。「これからの生きかた」を問う人たちは、もっと限定的な「回答」を期待するかもしれない。けれども、シンプルに言ってしまえば、やはり<自由な生きかた>である。抽象的な言い方ではあるのだけれど、具体的にすればするほど、生きかたの「自由度」が下がってしまうから、<自由な生きかた>という抽象度を保っておきたい。
ちなみに、書名に「生き方」がもりこまれている本はさまざまにある。検索をかけてみたときの個人的な印象では、おもっている以上にあった。遠慮しない生き方、迷わない生き方、ブレない生き方、がんばらない生き方、我慢しない生き方、簡素な生き方、ゆるい生き方、等々。これらの書名をざっくりとカテゴリー化すると、以下のように、3つのカテゴリーに分けられる。
(1)アンチテーゼの生き方
(2)テーゼの生き方
(3)その他
(1)のアンチテーゼは「~しない生き方」である。つまり「これまでの」生き方の否定・反対の姿勢である。これまで遠慮ばかりしてきた人生に対して「遠慮しない生き方」で生き直す。これまで迷ってばかりいた生き方に嫌気がさして「迷わない生き方」を掲げる。このアンチテーゼ型に対して(2)はテーゼ型の生き方である。簡素な生き方も、ゆるい生き方も、テーゼとして提示されている。もちろん、(1)と(2)は表裏一体であることもある。迷わない生き方は、決断する生き方というようにテーゼ式に提示することもできる。ただ、書名という観点から言えば、アンチテーゼ型は人の関心を呼び起こしやすい。日々の生活のなかで「生き方」を見直すときというのは「これまでの」生き方に対する疑いや否定などを感じているときだから、その気持ちに直截に届きやすいのは「アンチテーゼ」である。さらに、(3)その他としては、60歳からの生き方、人生100年時代の生き方のような、アンチテーゼでもテーゼでもない「テーマ型」の生き方の本が見受けられる。これら3つのカテゴリーは、重点にこそ違いはあるのだけれど、「これまで→これから」というようなベクトルを共通点として持っている。つまり、<生き方の変容>である。そしてそこには、<社会の変容>が連動している。
そのようななかで「これからの生きかた」は、<自由な生きかた>である。上述のカテゴリーで言えば、(2)のテーゼ型に含まれるところだけれど、実質的には、すべてのカテゴリーを包括するものでもある。アンチテーゼであろうが、テーゼであろうが、あるいはその他の特定のテーマであろうが、それらすべてへの<可能性>がひらかれている生きかたである。
見田宗介(社会学者)は名著『社会学入門』(岩波新書、2006年)のなかで、哲学者ニーチェの生涯を「ある困難な稜線を踏み渡ろうとする孤独な試み」であったとしながら、ニーチェのこの困難な「二正面闘争」についての、思想家バタイユの思考(バタイユ『至高性』)にふれている。
「二正面闘争」とは、次の通りである。
(1)<失われた至高性を回復すること>
(2)<他者に強いられる至高性の一切の形式を否定すること>
これら「二正面闘争」が、ほんとうに<自由な社会>の条件を構想する課題の遂行において引き受けなければならないものだと、見田宗介は「<自由な社会>の骨格形成」という論考をすすめているのだけれど、これらはそのまま<自由な生きかた>を考え、生き、ひろげてゆくうえでも引き受けていかなければならない「二正面闘争」であるように、ぼくはかんがえている。
見田宗介は上述の二正面闘争について、理解のために言い方を変えて提示してくれている。
(1’)<魂の自由>を擁護すること
(2’)<魂の自由>を擁護すること
見田宗介はここから<自由な社会>のモデル構成へと社会理論を発展させている。ぼくはここではその(同じシステム内の)別の一面である<生きかた>という側面に光をあて、「これからの生きかた」へと拡張させてみたい。
つまり、「これからの生きかた」は、つぎのように簡潔に述べておくことができる。
(1”)<生きかたの自由>
(2”)<生きかたの自由>
再度ニーチェの二正面闘争にバタイユが見たことに則して言えば、第一に、それぞれの人たちにとってほんとうに歓びに充ちた<生きかた>を取り戻すこと、の課題であり、また第二に、他者に強いられる<生きかた>の一切の形式を否定すること、の課題である。ニーチェ、バタイユ、見田宗介という系譜のなかで鮮烈に提示され追究されてきた課題の延長線上に<生きかた>の課題をあてはめてみたい。ぼくはそんなふうにかんがえる。
ひとつ目の、<生きかた>を取り戻すこと。「生きかたを取り戻す」ということを言い換えれば、ほんとうに<生きる>ということ、<生きる>ということの全体を引き受けてゆくことあるいは享受してゆくこと、さらに、じぶんが<生きる>ということに自ら責任をもつこと、などである。
二つ目の、他者に強いられる<生きかた>の一切の形式を否定すること、というのは比較的わかりやすい。じぶんの<生きかた>を生きること。もちろん、じぶんの<生きかた>のほうが良い・正しいなどというように、じぶんの<生きかた>を他者に強要しないことである。互いの生きかたを尊重すること。つまり、互いに自由に生きるということ。
「これからの生きかたはどんな生きかたか?」という問いへの応答、<自由な生きかた>というシンプルな応答には、これら二つの要素がもりこまれている。なお、ひとつ目のことは<じぶん>という存在のあり方を捉え直してゆくことであり、二つ目のことは、じぶんと他者との自由な関係性をきりひらいてゆくことである。<じぶん>という存在を捉え直したうえで、<じぶんの変容>を生きてゆくということである。
外の環境に眼を転じれば、コロナ禍があったり、情報通信技術に牽引される産業革命があったり、また環境破壊があったりする。そのような環境変化や社会変化の諸々が、ホモ・サピエンスがこれまでに経験したことのないことであり、「時代の変化」や「景気がよい・わるい」という言葉で集約・縮尺されがちな現在の変化をはるかに超える<変化・変容>のなかに、ぼくたちはいる。
このような<変化・変容>のなかで、<じぶん>という存在のこと、<じぶんの変容>ということ、そこに土台を置いた組織や集団やコミュニティのあり方、さらに<自由な社会>ということをかんがえ、構想し、共有し、企図し、動き、試してゆくことに、ぼくの心は所在し、ぼくの身体と頭脳のエネルギーは注がれている。
「じぶんが変わる」という主題。- 25年にわたる、ぼくの課題。
20歳のころから、ぼくにとっての大きな主題は「人が変わる」ということであった。「人が変わる」ということにまつわる、その方法をぼくは探っていた。ぼくがそのときに得た具体的な方法は「異文化」であった。
20歳のころから、ぼくにとっての大きな主題は「人が変わる」ということであった。「人が変わる」ということにまつわる、その方法をぼくは探っていた。ぼくがそのときに得た具体的な方法は「異文化」であった。
大学時代、ぼくは異国を旅し、それを<方法>とした。つまり、「旅」のなかで、あるいは「旅」の経験をジャンプ台として、「じぶんが変わる」ことを追い求めた。そのとき日本社会は、阪神大震災やオウム事件を通過し、21世紀の変わり目に直面していた。
とはいっても、夢中になって旅しているときに、明確に認識していたわけではない。旅の経験がぼくのなかでつみかさなり、それらをことば化してゆくなかで、ぼくは「旅」を方法のひとつとして認識したのであった。
旅の経験をことばに変えてゆく。その動機は意図的というよりも、衝動的といったほうがより正確である。「書かずにはいられない」という気持ちが、ぼくをかりたてていた。こうして、「断片集」というかたちで、ぼくは旅の経験を書いた。
文章を書いたのは、大学を卒業し、すぐには就職せず、大学院にすすむための準備をしているときであった。泳いでいるときの「息つぎ」のような時間に、ぼくは書いたのであった。「断片集」は、幾人かの友人たちに、送らせて(贈らせて)いただいた。
それにしても、「じぶんが変わる」という主題の立て方について、ぼくはいまになってかんがえる。そこに流れている気持ちはどのようなものであったのか。あるいは、その主題は、何を<前提>としていたのだろうか。断片集を書いたときから20年以上がたって、いっそう距離をおいてじぶんをみつめなおすなかで、ぼくはかんがえてみる。
この主題にあるのは、「じぶんが変わりたい」という渇望である。からだとこころの奥底からわきあがってくるような欲望である。こういうのもなんだか変ではあるのだけれど、ぼくは「じぶん」から抜け出したいと思っていた。
いま思うと、「じぶんが変わる」という主題の立て方は、問題の本質をつくものではなかった。ぼくの渇望がぼくを急かしているかのような、主題の立て方であった。
そんな折だったと思う。渇望が先行してしまうような主題だったけれど、その渇望の道ゆきに、ひとつの著作がぼくの前に現れる。
真木悠介の名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)であった。
社会学者の見田宗介が真木悠介名で書いてきた著作の、いわば最後に位置する著作である(時系列的には、現在のところ『旅のノートから』が真木悠介名の最後の著作になるがこれは主軸とされる著作ではない)。
自我の起原を、生物社会・動物社会にまでさかのぼり探究される著作であるが、そこでは「じぶん」を超えでてしまう契機が描かれている。「じぶんが変わる」ということを直接の主題としているわけではないが、その「じぶん」という現象が、標準的な生物社会学の糸をたぐりよせながら、その根抵において探究されている。
ぼくにとっての「じぶんが変わる」というつたない主題が、その根柢においてひらかれてしまう、という経験を、ぼくは感じることになる。それも、思ってもみなかった仕方で。どのようにひらかれたかについては、また別の機会に書きたい。
歓びに充ちた生きかたへ転回する<折り返し地点>。- 「グローバル化」と「人生100年時代」の時空間。
このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。
このウェブサイトの「Concept」ページを書いた。このサイトを展開していくための基軸となってゆく「考えかた」である。それらの「考えかた」に無理に固執してゆくつもりはないけれど、目的ではなく、方法としてのフレームワーク的な意味合いをこめて「考えかた」を書いた。
テーマは「これからの<生きかた>を生きる」ということのなかで、サブテーマの中心点として「<じぶん>の変容」を据えた。「生きかた」であるから、個人を中心に据えるのはあたりまえと言えばあたりまえである。けれども、個人の生きかた、ということにおいて、「じぶん」ということ、またそのじぶんが「変容」してゆく仕方に、もっともっと光をあてたい。これからの<生きかた>をひらいてゆくためには、「じぶんの変容」ということを深く生き、そしていま一度、徹底的にとらえかえしていくことが必要である。そう思って、ぼくは「<じぶん>の変容」を中心に据えた。
「じぶんの変容」を中心におきながら、時空間にY軸/X軸を描くようにして、それぞれに空間軸「グローバル化/異文化」と時間軸「人生100年時代」を設定する。じぶんという個人から直面する社会(の一側面)は、グローバル化と人生100年時代である、というように。簡略化した図式であり、方法論としての図式である。
空間的には、経済社会はグローバリゼーションのもとに「発展」をすすめ、情報通信技術の発展と共振してゆくことで、世界はいままでになかったほどに「つながっている」。空間という視点においては、人間はこのグローバル(地球)の先に宇宙を見据え、すでに競争がすすんでいることを付記しておきたい。
時間的には、個人(じぶん)は、人生100年時代の可能性のなかに、その人生の道ゆきを描くことになる。もちろん、現実的には「人生100年」ではない場合もある。病などどうしようもない場合があったり、あるいは、後進産業地域では人生50年という状況もある(ぼくが住んでいたシエラレオネはデータ上は「人生50年」である)。でも、「人生100年」という可能性と考えかたが、個人の生きかたや社会のありかたを変容させてゆく。そんな状況におかれている。なお、時間という視点においては、人間はこの「人生100年」の先に「不死」(ユヴァル・ノア・ハラリ)を希求している。
このようにフレームワークを立ててみる。
「これからの」に対して「これまで」は、空間的には「ナショナル」であり、時間的には「人生80年」というようにとらえてみることができる。そこでの、政治経済社会の主軸は「経済成長」である。「経済成長」が最優先であり、経済成長のもとにさまざまなものごとがアレンジされてゆく。そして、この「経済成長」の物語は、いまでも、(さまざまに綻びを見せながら)続いている。
では、「これからの」という未来において、政治経済社会の主軸はなにがくるのか。「くる」と書くのは正確ではない。「つくる」という創造・想像が大切な役割を果たしてゆくことになるから(現代は、未来を「予測」する思考に慣れてしまっている)。
結論をさきにのべてしまえば、これから創ってゆくのは「永続する幸福な安定平衡の高原(プラトー)」(見田宗介)としての社会である。物質的(マテリアル)な「成長」はその役目を終えてゆく(後進産業地域の課題は当面残る)。現在の地球環境・資源の状況を考慮すれば、終えざるをえない。物質的に「無限に成長」してゆくという幻想の軌道から、解き放たれなくてはならない。
だから、ぼくがかかげる時空間の図式、「グローバル化」と「人生100年時代」は、いわば生きかたの折り返し地点である。過去に戻るという意味での「折り返し地点」ではなく、ほんとうに歓びに充ちた<生きかた>へと転回する<折り返し地点>である。
「Most Popular Blogs 2020」のキーワードをひろう。ー 「少し長めの文章」への橋渡し。
じぶんで以前に書いた短い文章(ブログ)に触発されながら、もう少し長い文章を書いていく。これからそんなふうにして、これまでのブログよりも少し長めの文章を書いていこうと、ぼくは思っています。
じぶんで以前に書いた短い文章(ブログ)に触発されながら、もう少し長い文章を書いていく。これからそんなふうにして、これまでのブログよりも少し長めの文章を書いていこうと、ぼくは思っています。
サイトの「HOME」のページに、「Most Popular Blogs」を掲載しました。今年2020年のはじめからいままでの間に、多くの皆さまに読んでいただいているブログです。どんなふうにして、ぼくのそれぞれのブログに到達されたかは、ブログを書いてアップロードしているぼく自身にはわかりませんが、とてもありがたいことです。
どのブログのトピックもぼくにとっては大切なトピックですが、「Most Popular Blogs」のブログを眺め、もう一度読み返してみると、先日かかげたこのサイトのテーマ、「これからの<生きかた>を生きる」ということにおいて、本質的なトピックであることを感じます。
じぶんで書いておきながら、まるで他のひとが書いた文章を前にしているような感覚をどこか覚えながら、ぼくはそう思います。なお、このサイトのサブテーマ(中心的なサブテーマ)である「じぶんの変容」という観点においては、「じぶん」という存在のあり方は、いつもいつも「同じひとりの存在」ということでは必ずしもないのだということを加えておきたいと思います。このことは、例えば、ぼくと同世代の小説家・平野啓一郎が「分人主義」という視点で「私とは何か?」にきりこんでいるのを参考にすることができます。このことは、また別のブログなり、これから展開していく「少し長めの文章」なりで取り扱いたいと思います。
「Most Popular Blogs 2020」のブログは、そこからキーワードを拾い出せば、アートと自然、「Life is but a dream」人生観、虚構の時代、物語、自明性の罠からの解放、海外での「unlearning」(体育座りをやめる)。それらを見ていて、それぞれについて書いたブログをインスピレーションに、もう少し長めの文章を書きたいと思ったわけです。
小説家の村上春樹は、自身の主戦場である「長編小説」に向かうことができるかを、短編や冒頭の書き出しを書くことによって得る感覚に依拠しています。「これはいけそうだぞ」というのが、短い文章を書くことでわかる。そこに大きくひらかれてゆく世界を感じるわけです。同じように、ぼくも短いブログを書いてみて、それを読み返してみるなかで、「これはいけそうだぞ」と感じたのです。
そんな気持ちになったのは、「もう少し長めの文章」を書こうと思っていたことも理由のひとつです。それから、ブログを再度書き始めてゆくなかで、これまでのやり方をドラマのように「シーズン1」だとすると、「シーズン2」はどんな展開になるのかな、と、じぶんのなかからわきあがる衝動を待っていたところでもありました。
なにはともあれ、「もう少し長めの文章」を、「Most Popular Blogs 2020」のキーワードをひろいながら書いてみようと思います。「いまある流れ」に逆らわずに、民謡「Row, Row, Row Your Boat」の漕ぎ歌に吹かれながら、下流に向かって、ゆっくりと、漕ぎ続けてゆくように。
ぼくの内面からとりだされた「原石」。ー 外出をひかえて「Concept」ページを書く。
しばらくブログに文章をアップしていなかったのだけれど、いまこうして、ブログの文章を書き始めています。前回アップしたのは、2019年6月末のことだから、すでに半年以上が経ちました。
しばらくブログに文章をアップしていなかったのだけれど、いまこうして、ブログの文章を書き始めています。前回アップしたのは、2019年6月末のことだから、すでに半年以上が経ちました。
じぶんのサイトでありながら、ひさしぶりに登場するとなると、いったいどのようなことを、どのように書こうかと、迷ってしまうものです。小学生のころ学校を休んで、休み明けにどのように教室に現れるか気にかけた記憶がありますが、ある意味、それと似たところがあります。(どうにも自意識過剰なだけでもありますが、この半年ほどの間に、ぼくの「自意識」は決定的に変容してきたことを付け加えておきます。そのことは別の機会に書きますね)。
当たりまえですが、この半年ほどの間に、世界ではいろいろなことがありました。ぼくが12年以上住んできた香港も、ご存知のように、いろいろなことがあり、決定的な「変容」を経験せざるをえない状況に直面してきました。
この間、ぼくもじぶん自身の「変容」のなかに身心をすっぽりと投じていました。ある友人はそんな時期のぼくの写真を見て「憑物がとれた」と表現しましたが、まさにぼくの内なる「ゴースト」が取り除かれたような感覚(映画「ゴーストバスターズ」でゴーストが退治されたっときのような感覚)を、ぼく自身も感じていました。
外面的な変化をのべておくと、この「変容」の旅路の間に、ぼくは「ミニマリスト」になり、それから「フレキシタリアン(Flexitarian)」(=準菜食主義者)になりました。ぼくの個人的な「持ちもの」はスーツケースほどになり、また、可能な限り「菜食」を楽しむ。そんな変容がぼくにおとずれました。もちろん、突然変異のようにそうなったわけではなく、それまでの小さな試みや思考や願いがずーっとあって、それがかたちとなって結実したわけです。
そんなふうにして「じぶんの変容」を生きているときに、新型コロナウィルスが現れ、そのとき香港にいたぼくは、刻一刻と変わってゆく社会状況のなかにおかれました。そのときのことはいずれどこかで書こうと思いますが、とにもかくにも、ぼくたち(ぼくと妻)は外出をなるべくひかえ、ぼくはじぶんのホームページの「Concept」ページ(サイト全体をつらぬくコンセプト)の文章を書きました。
まずはホームページの「Home」の写真をとりかえることからはじめました。「生きる」ということのイメージとして<樹>があったから、この半年の間に撮影した樹のなかから選び、アップロードしました。それから、その樹を見ながら思いついた、<生きる。解き放つ。>ということばをのせてみる。全体テーマとして「これからの<生きかた>を生きる」と書いてみる。そこにこれまでずっと考えてきた「サブテーマ」の三つ、「じぶん」の変容、「異文化」の経験、「人生100年時代」の地平、をおく。そんなふうにして、ホームページ全体をつらぬく、テーマとサブテーマを設定していきました。
そして、新型コロナウイルス(当時の呼称)の状況を追い、そのための対策をうち、外出をひかえながら、ぼくは「Concept」ページを書いていきました。「これからの<生きかた>を生きる」について、それから、「じぶん」の変容、「異文化」の経験、「人生100年時代」の地平、それぞれについて。
「Concept」ページのそれぞれを読み返してみて、いまのぼくにとっては納得のいくように書けたように思います。「納得のいく」というのは、うまく書けたとか、過不足なく書けたとか、そういうことではありません。そうではなくて、ぼくが内面で感じ思っていることがらを、ピュアなかたちでとりだすことができた、ということです。とりだした原石はこれから磨いていかなければならないし、磨いた原石にさらにアレンジを加えていかなけれななりませんが、原石をとりだすことができたことで、その先に進めるように、ぼくは感じています。
そのような「感覚」に導かれながら、ホームページの更新とブログとメルマガのほうを進めていこうと思う地点に、ぼくは到達できたようです。その「到達」は、ぼくを触発し、励まし、支えてくれた、たくさんのひとたちと本の存在に依るところがほとんどです。
香港の「空」を見ながら。- 香港の、陽光としずかな雲の織りなす風景。
暖かい陽気のクリスマスのあと、ようやく、香港に「冬」がやってきたようだ。陽光は暖かさをふりそそいでいるけれど、ときおり吹く風が冬の冷たさをはこんでくる。
暖かい陽気のクリスマスのあと、ようやく、香港に「冬」がやってきたようだ。陽光は暖かさをふりそそいでいるけれど、ときおり吹く風が冬の冷たさをはこんでくる。
道をゆく人のなかには、半袖であったり、サンダルを履いている人もいるから、いつもながら、なんとも捉えどころのない冬ではあるのだけれど、やはり季節はうつりかわりを見せている。
香港の街は大気の問題からどこかうっすらと曇りがかったようでいるのだけれど、香港の「空」では、暖かな陽光としずかに動きゆく雲たちのコラボレーションが鮮やかにきらめきをつくりだしている。
ふーっと、心がもちあがるように、すいこまれる。
2018年も終わろうとしているなか、でも、そんなことを気にするふうでもなく、香港の「空」は、この地球の美しさをたたえている。
<人間の生きることの歓び>は、ただ、このような経験のうちにあったりする。そんなことを、ぼくは思い起こす。
「発展途上国の開発・発展と国際協力」を研究していたころ、「人間のベーシックニーズ」(住まいや食べ物や水など)ということにふれ、「ニーズ」ということを正面から考えていた。そのようなとき、見田宗介の名著『現代社会の理論』に出会い、その本のなかで語られる<人間の生きることの歓び>に、ぼくはすっかり惹かれて、いくどもいくども読み返すことになった。
…生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、つまり「必要」ということが、原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、一般に生きるということが、どんな生でも、最も単純な歓びの源泉であるからである。語られず、意識されるということさえなくても、ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。…
どんな不幸な人間も、どんな幸福を味わいつくした人間も、なお一般には生きることへの欲望を失うことがないのは、生きていることの基底倍音のごとき歓びの生地を失っていないからである。あるいはその期待を失っていないからである。歓喜と欲望は、必要よりも、本原的なものである。見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)
「ただ友だちといっしょに笑うこと、好きな異性といっしょにいること、子供たちの顔をみること、朝の大気の中を歩くこと、陽光や風に身体をさらすこと、こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、どんな生活水準の生も、生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受」する。
「必要(ニーズ)」よりも歓喜と欲望は本原的であると、見田宗介は書いている。だからといって「必要」をおろそかにしていいということではないけれど、「生きる」ということが、「最も単純な歓びの源泉」であることの経験と享受と理解は、決定的なものであるように、ぼくは思う。
この源泉は、いま、そしてこれからの時代を、一歩、一歩、あゆんでゆくための、たしかな土台である。
「Luckily, I am a botanist.」(マーク・ワトニー)。- 映画『The Martian』に見る「生きる力」の源泉。
「Luckily, I am a botanist.」。映画『The Martian』で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。...Read On.
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
映画『The Martian』(邦題『オデッセイ』、リドリー・スコット監督)で、一人だけ火星に取り残された宇宙飛行士マーク・ワトニー(マット・デイモン)が、生き残りにかける決心の後に、気づき、自分に語った言葉だ。
この言葉には、生きるということの力の源泉と可能性が現れている。
映画は、火星への有人探査の風景から幕が開ける。
赤い大地で、マーク・ワトニーを含む探査チームが探査を続けている中に、巨大な砂嵐が襲ってくる。
巨大な砂嵐により火星探査の任務は中止され、クルーたちは火星から宇宙空間へ退避するため、砂嵐の中、ロケットに向かう。
この退避中に、砂嵐の強風によって折れたアンテナがマークに直撃し、マークはかなたへと飛ばされる。
マークは死んだものと判断され、時間の猶予のない他のクルーたちは火星から離陸してしまう。
砂嵐が去った火星で、マークは意識を取り戻すことになる。
そこから、マーク・ワトニーが生き残りに向けたドラマがはじまっていく。
次の火星への有人ミッションは4年後。
火星に残されたのは、探査用に設営された仮設キャンプと31日分の食料。
飛び立ったクルーたちのヘルメス号にも、NASAにも連絡が取れないという状況。
これは、「問題解決」の究極の試練だ。
冒頭の言葉は、この究極の問題解決の入り口において、マーク・ワトニーが「希望」をきりひらいていく言葉だ。
「Luckily, I am a botanist.」(「運よく、ぼくは植物学者だ。」)
生きるということの力の源泉と可能性の言葉。
希望をひらく「助走」は、この絶望的な状況でも「運がいい」と考えていることである。
その「助走」がありつつ気づきを得たマークは、第一に、「植物」を専門としているということ。
つまり、それが「栽培」という道をひらいていくことである。
このことは、ぼくに、古生物学者デイヴィット・ラウプの進化論にでてくる「理不尽な絶滅」の理論を思い起こさせる。
進化論を「絶滅」から考え抜いてきたラウプが、ゲームのルールがまったく変わってしまうような地球の出来事において生き延びてきた生物たちは、「前のゲーム」でたまたま発達させていた性質を、「変わってしまったゲームのルール」の場でたまたま生かすことで「適応」してきたということを説いた説だ。
「火星に取り残される」というゲームのルールがまったく変わってしまった中で、「植物学者」であることは、「適応」のためには相当に有利に働くはずだ。
これが、一つ目のこと。
それから、二つ目に、「植物」という「生き物と共に生きてきたこと」である。
マーク・ワトニーは、火星で、栽培による「芽」を見つける。
そこで、彼は、この「芽」に触れながら、「芽」に向かって、「Hey there」と声をかける。
一つ目の「栽培」ということが、人の「物質的な拠り所」を築くものであるならば、二つ目の「芽」は、人の「精神的な拠り所」を築くものである。
マーク・ワトニーの他に「誰」もいない不毛の火星で、「芽」は、同じ生きるものとしての「精神」を分かちあうものであったはずである。
遠藤周作の著作『深い河』に出てくる風景の中に、ぼくは同様のことを感じたように思う。
もちろん、マーク・ワトニーが、生き残りに向けて「味方」としていく力は、仲間であったり、音楽であったり、さまざまだ。
しかし、「植物学者」ということの源泉である「植物」がもつ<共生の論理>(食べ物を与えてくれる存在であり、共に地球で生きるという存在)が、マーク・ワトニーに生きる力を与えていくのだ。
それは、宇宙がつくりだした奇跡の芸術作品としての「地球」を照らし出す光でもある。
マーク・ワトニーが、「地球の叡智」を駆使して生き残りに立ち向かったように、ぼくたちは日々を「地球の叡智」できりひらいていくことができる。
不毛の火星に「地球の叡智」を花開かせていくよりは、この地球で「地球の叡智」によりたくさんの花を咲かせる方が、はるかに容易であることを、この映画は見せてくれている。
マークの言葉を反芻しながら、ぼくは、「運よく、ぼくは……だ」の「…」をどの言葉で埋めることができるだろうか、と自分に問いをなげる。
「火星」を起点に、現実として宇宙を視野に。- Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』。
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。...Read On.
ぼくの構想のひとつである「時間と空間の『人と社会』学/「生き方」学」(仮名)。
その「空間」の座標軸は、ひとまずは「グローバルへの広がり」を視野に入れながら、しかし、その先には「宇宙空間への広がり」を見据えている。
「そんなに大きな話を」という声に対しては、SpaceX社のElon Muskは「火星移住計画」を着実に進めているし、2030年代前半頃の実現見通しも言われている。
「仮説」や「妄想」は、確実に「現実」に向かっている。
その「現実性」を感じさせてくれた書籍のひとつに、Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)がある。
『私たちはいかに火星に住むのか』。
この書名は、二重の意味において「正しい」。
第一に、どのように火星に「到達」するかではなく、「住む」のかということについて書かれていること。
第二に、「どのように」住むのか、という具体性において書かれていること。
この二重の意味が、人が火星に降り立つ日が「目前」であることを伝えている。
【Contents(目次)】
Epigraph
Introduction: The Dream
Chapter 1: Das Marsprojekt
Chapter 2: The Great Private Space Race
Chapter 3: Rockets Are Tricky
Chapter 4: Big Questions
Chapter 5: The Economics of Mars
Chapter 6: Living on Mars
Chapter 7: Making Mars in Earth’s Image
Chapter 8: The Next Gold Rush
Chapter 9: The Final Frontier
Imagining Life on Mars
「The Dream」と題されるイントロダクションは、「予測的な物語」で始まる。
A Prediction:
In the year 2027, two sleek spacecraft dubbed Raptor 1 and Raptor 2 finally make it to Mars, slipping into orbit after a gruelling 243-day voyage. As Raptor 1 descends to the sufface, an estimated 50 percent of all the people on Earth are watching the event, some on huge outdoor LCD screens…
ひとつの予測:
2027年、流線型の宇宙船Raptor 1とRaptor 2が、いよいよ火星に到達する。宇宙船は243日の旅ののちに、火星の軌道にはいっていく。Raptor 1が火星の地表に向かっておりていくところ、地球の50%にあたる人びとがこのイベントを見ている。屋外のLCD巨大スクリーンで見ている人たちもいる。…
Stephen L. Petranek著『How We'll Live on Mars』(TED Books, 2015)
(※日本語訳はブログ著者)
それは、現実に見ているような錯覚を、ぼくに与える。
映画『The Martian』(オデッセイ)の風景が、ぼくの記憶の中で重なる。
このようなイントロダクションに始まり、Stephenは、火星への有人飛行と移住が技術的に可能であることなどを、具体性の中で語る。
Stephenは、Elon Muskが移住計画の全体の妥当性について、「環境的な障害」ではなく、「基本コストの課題」として見ていることに、注意を向ける。
火星移住は、火星における空気、放射線、水などの問題・課題よりも、コストが課題だということだ。
もちろん空気や水などといった、人間の生きる条件ともなる環境要因は大切である。
しかし、この本においても、それらの問題・課題を、具体性の次元において(一般読者向けに)語っている。
火星移住のシナリオが具体性の中で語られ、最初で述べたように、いかに火星に到達するかということではなく、焦点はどのように住むのかという方向に重力をもつ。
読み終えると、火星移住が現実のものとして感じられるから不思議だ。
そして、ぼくが驚いたのは、「Chapter 8: The Next Gold Rush(次なるゴールド・ラッシュ)」という章で展開されている内容だ。
それは、火星の「その先」にあるものだ。
火星と木星の間にある小惑星帯には、鉱石資源がある。
NASAによると、その価値は「今日の地球のすべての人が1000億ドルを持っていること」と同等だろうと言われる。
資源問題という「グローバリゼーション」の行きつく現問題を(範囲はわからないけれど)解決する方途を、宇宙資源がひらいていく可能性がある。
そして、グローバル企業はすでにその「ビジネス」に参入している。
地球と小惑星帯の間に位置する火星は、この方途における「基地」のような役目を果たす可能性があるのだ。
それは先のことかもしれないけれど、実はそれほど遠くない未来の話だ。
準備は進められていて、実際の小惑星における鉱石発掘の試験などは2020年代前半頃ということも、この書は触れている。
地球という「有限の空間」、グローバリゼーションというプロジェクトの行き止まりの空間が、その先に「無限の宇宙空間」をきりひらいていくその仕方と、人と社会への影響を、ぼくは追っている。
宇宙を視野に入れることは、すでに現実問題として、ぼくたちの前に立ち現れている。
「TED Talks」の中でひとつを選ぶとすれば。- Benjamin Zanderの言葉と物語、そして肯定の力。
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。...Read On.
「TED」(Technology Entertainment Design)は、「ideas worth spreading」の精神のもと、TED Conferenceなど、さまざまな事業を展開している。
最初の形は1984年にさかのぼり、2006年に「TED Talks」として無料動画配信がはじまることで世の中に広まることになった。
TEDの講演会では、さまざまな分野の、さまざまな人たちが「ideas」を世界に伝えている。
「TED Talks」は、TEDの講演からキュレートされた動画が配信され、質の高いプレゼンテーションを見ることができる。
サブダイトルも充実し、日本語を含む各国語のサブタイトル付きで、見ることができる。
TEDは、「TED Talks」の初期から、ぼくの学びの場のひとつとなっている。
そこには、大きく分けると、ぼくにとって3つのことがある。
- 肯定の力
- 言葉/プレゼンテーション
- 物語
まずは、TEDの動画を見るたびに、世界が<肯定の力>で照らされる。
世界には、志を高く持ち、よりよい世界へ向かうための力となる人たちであふれていることを感じる。
講演のトピック・分野はさまざまだから、一層、その「広がり」を感じることになる。
この<肯定の力>が、短い時間で区切られた「プレゼンテーション」の中に凝縮されることになる。
TEDを世界的に広げていく原動力となったプレゼンテーション形式。
ぼくたちは、「プレゼンテーションの方法・仕方」という視点において、TEDを素材に学ぶことができる。
ぼくも、講師の立場から、TEDのプレゼンテーションから学んでいく。
この10年、TEDのプレゼンテーションに関する書籍も多数出版されており、学ぶべきことに事欠かない。
「プレゼンテーション」は短い時間の中に凝縮されるため、そこで語られる「言葉」も厳選されていく。
<言葉の力>というものを、世界がふたたび取り戻していく流れのひとつともなっている。
<言葉の力>は、そこで語られる「物語」によって生かされていく。
講演者は、プレゼンテーションの中に、<物語の力>を注入していくことになる。
物語には講演者の思いや情熱が流れ、語りにリズムが生まれ、まさしく躍動していく。
すばらしい講演は、これらが一体となっている。
ほんとうにたくさんの「TED Talks」の講演の中で、見たのは一部であるという限定性を付けた上だけれど、ぼくがたったひとつの講演を選ぶとすれば、それは次の講演である。
「Benjamin Zander: The transformative power of classical music」
(*リンクはこちら)
クラシック音楽の指揮者Benjamin Zanderによって2008年に行われた講演は、今でも、見るたびにぼくに感動を与えてくれ、ぼくを触発し、学びを提供してくれると共に、すばらしいプレゼンテーションの原型のようなものとして、ぼくの中にある。
プレゼンテーションスキルということで言えば、プレゼンテーションに関する書籍である、Nancy Duarte『Resonate: Present Visual Stories that Transform Audiences』(Wiley)の中で、Benjamin Zanderのこの講演が素材として取り上げられている。
観客とのエンゲージメントもすばらしいものがあるし、プレゼンテーションという形での<物語>は、その中に笑いや悲しさや感動などのすべての要素がある。
講演はピアノを使いながらすすみ、動画を通じても、講演の親密さが伝わってくる。
この<物語>を通じて、観る者は、クラシック音楽の「内的な音楽」にとりこまれ、その世界はいつしか自分の人生の「内的な音楽」にまで射程を伸ばしていく。
音楽のコードに言葉をのせながら、Benjamin Zanderはこのことを成し遂げる。
Benjamin Zanderは、講演の終わりの方で、「指揮者」は、オーケストラの中で「音を出さない」ということに、45歳で気づいたことの話を伝えている。
「音は出さない」けれど、人の可能性を引き出すのが指揮者である自分の役目だと。
その気づきが、Benjamin Zanderの生の方向性を決定づけてゆく。
そんなBenjamin Zanderの「成功の定義」は、シンプルだと、彼は言う。
成功の定義は「It’s about how many shining eyes I have around me.」だと言う。
自分の周りにどれだけの人たちの目が輝いているのか。
「shining eyes(目が輝くこと)」。
ぼくが、西アフリカのシエラレオネで、東ティモールで香港で、目指してきたことと、それは重なる。
だから、Benjamin Zanderの言葉と情熱に動かされて、「目が輝くこと」を、ぼくは自分の「個人ミッション」の中に取り入れることにした。
目が輝くという<肯定の力>と共に、今日の一日を、ぼくは生きる。
「社会」を語りながら個人を見据え、「個人」を語りながら社会を見据えること。- ブログを書いてきていつも念頭にあったこと。
半年以上毎日ブログを書いてきて、ここ2ヶ月ほどの中で、書いてきたことの「総体性・全体像」と「秩序・つながり」のようなものが浮かびあがってきている。...Read On.
半年以上毎日ブログを書いてきて、ここ2ヶ月ほどの中で、書いてきたことの「総体性・全体像」と「秩序・つながり」のようなものが浮かびあがってきている。
ふと、いろいろ書き留めてきたことが、つながるときがある。
ぼくのこの指向性には、二つのことがある。
第一には、人類学者レヴィ=ストロースが言う「秩序づけの要求」という根底的な人間の要求なのか、ぼくはいろいろに考えてきたことを全体像のなかに「秩序」づけようとしている。
そして、第二に、考えてきたことの全体像と秩序づけにおいて、「個人と社会」のそれぞれが視野として獲得されている。
「秩序づけの要求」ということを昨日書いたので、今日は二つめの「個人と社会」の視野ということを書いておきたい。
<個人が最初にいて社会ができあがっているのでもなく、社会があって自分という個人のあり方があるのでもなく>という感覚を小さい頃から、ぼくはもっていたように思う。
それがどこから来たのかはわからない。
でも、そのような感覚があって、その感覚を明確に「言葉化」することを助けてくれたのは、社会学者の見田宗介の著作からであった。
見田宗介の言葉の中から、「自我/主体/アイデンティティ」という問題設定で見田宗介が書いている箇所を、ここでは引いておきたい。
「自分」とは何か。「私」とは何か。「個性」とはどういうことか。「主体性」とはどういうことか。「アイデンティティ」とはどういうことか。このように互いに重なり合いながら、少しずつ異なっている問題群は、学問にとってだけでなく、思考や表現や行動のさまざまな分野にとって、基礎的な問題である。それが主題としてはっきりと問われることがない場合にも、これらの問題にたいする特定の答え方(考え方)が、その学問や思想や芸術や制度の全体の基礎になっている。この基礎がくつがえされると、その学問や思想や学術や制度の全体が崩壊したり、転回や再構成を迫られるような、そういう前提になっている。語られる時も語られない時も、自我や主体やアイデンティティのあるあり方が最初にあって、それを出発点として、社会が組み立てられているのではない。巨視的な「社会」のあり方と個々の「自分」のあり方は、互いに他を前提し合う同じ一つのシステムの相関項として、産出し合い、再産出し合うサイクルをとおして持続し、時にめざましく変容してきた。
見田宗介「序 自我・主体・アイデンティティ」『岩波講座 現代社会学2 自我・主体・アイデンティティ』井上俊/上野千鶴子/大澤真幸/見田宗介/吉見俊哉・編、岩波書店
明晰な文章である。
社会と個人(自分)のあり方は、「互いに他を前提し合う同じ一つのシステムの相関項」であるという認識は、小さい頃からぼくがもっていた感覚に、明確に言葉を与えてくれる。
そして、今、そして今の先にひろがる未来の「社会のあり方」と「個人(自分)のあり方」は、見田宗介が上記の文章を書いた1995年よりも一層めざましく変容してきている。
その変容は、巨視的な「社会」と微視的な「個人」の中間に位置する、家族、企業、団体などにも、当然のことながら及んでいる。
「互いに他を前提し合う同じ一つのシステム」において、それぞれの「相関項」は、しかし、いろいろな緊張をはらみながら、影響し合い、システムを解体しつつシステムを産出するプロセスに、ぼくたちを置いている。
その解体と生成のプロセスにおいて、個人たちは、一方でワクワクし、他方で不安を覚える。
ぼくもワクワクと不安の中で、しかし、未来を予測するのではなく「構想」する視点で、個人の「生き方」(生活する仕方、働き方、協働の仕方など)を模索し、書いてきた。
個人の生き方を考え語りながら、そこの背景に社会の構想を見ている。
あるいは、社会のあり方や構想を考え語りながら、そこの背景に個人の生き方を見ている。
そのようなことを、この半年ほど繰り返し繰り返し行ってきた。
冒頭で述べた通り、その繰り返しの中で、それが全体像と秩序を獲得しつつあるというところに、ぼくは今いる。
その全体像・秩序と内容は、これまで考え実践してきたことの延長線上に描かれることと、また思いもよらなかった仕方で描かれたこととが融合してきている。
その融合されつつある全体像については、またどこかで書こうと思う。
「語ってはいけないものを語ってはいけない」(真木悠介『旅のノートから』)。- ぼくたちの一番大切な経験の見方、語り方、そして生き方。
真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。...Read On.
真木悠介の著作『旅のノートから』は、とても素敵な本だ(現在は『真木悠介著作集Ⅳ』所収)。
真木悠介が、「18葉だけの写真と30片くらいのノートで、わたしが生きたということの全体に思い残す何ものもないと、感じられているもの」である。
もともと「私家版」のようなものとしてつくり、好きな人たちに贈るつもりでいたという。
30片の「ノート」の最後は、「えそてりか I」というタイトルがつけられている。
1990年のインドへの旅の後に書きつけた、この世界の見方、語り方、そして生き方についての「私記」である。
ただし、この「ノート」は、世界の見方の「過ち」、世界を語る仕方の「過ち」から書き始めている。
この世界では、見てはいけないものがあり、語ってはいけないものがある。
ここでは、「金の卵を生むニワトリ」の話が、例のひとつとして、あげられている。
金の卵を生むニワトリがいました。そのニワトリのもち主は、こんなにたくさんの金の卵を生みつづけるのだから、その「本体」はどんなに巨きな金の塊だろうと思ってそのニワトリをしめてみると、ふつうのニワトリの肉の塊があるだけでした。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
「花」もそうであろう。
花の美しさにみちびかれて、人は、「本体」はどんな美しさをたたえているのかと花をむしりとる。
むしりとって見たところで、そこには根があり、茎があるだけだ。
日本では江戸時代まで、花をむしりることは禁じられていたという。
それは、畏れの感覚にささえられたものであっただろうけれど、他方で、「世界の見方」を人々はどこかで知っていたのだということもできる。
人は、経験の煌きに導かれて、経験の「核」への衝動にとらわれる。
真木悠介は、「語ってはいけないこと」にふれて、こう書いている。
ぼくたちの一番大切な経験は、そこからきらめく言葉たちが限りなく飛び立ってゆく源泉である。けれどもこの源泉自体を言葉にしてしまおうとするなら、ぼくたちは何もかも失ってしまう。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
語ること、言葉にすることで、切り開かれる世界や歓びの倍増を経験することもあるけれど、村上春樹が「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と書くように、ぼくたちは言葉の限定性のなかで生きる。
言葉にすることで、経験や出来事が、ありふれたものになってしまう。
真木悠介は、「性、という出来事じたいの煌きと深さ。と、性について語ることの無残との落差。見ることの無残との落差。」と、ぼくたちの一番大切な経験のひとつを例として挙げている。
この一番大切な経験の「源泉」自体、真木の別の言葉では「生のリアリティの核のところ」に、ぼくたちは、わけいってはいけない。
では、どうすればいいのか。
「えそてりか I」の最後には、こう書きつけられている。
それに照らされた世界を見ること。
それに陽射された世界を語ること。
それに祝福された世界を生きること。
真木悠介『旅のノートから』岩波書店
18葉の写真の一葉一葉、そして30片のノートの一片一片が、生きることの核に、照らされた世界、祝福された世界の輝きが戯れている。
『旅のノートから』の表紙の写真、インドのコモリン岬の子供たち(その感動的な話は、見田宗介『社会学入門』(岩波新書)のなかで、語られている)。
この写真を見ていたら、ぼくは、『東ティモールを知るための50章』(明石書店)の表紙の写真を思い出した。
ぼくが、東ティモールのレテフォホで撮影した写真だ。
コーヒーパーチメントと呼ばれる、コーヒー豆に殻がついた状態のものを乾かしている工程のなかで、村に立ち寄った際に撮った写真だ。
その写真を再度見ながら、ぼくは思う。
この一葉も、陽射され、祝福された世界の輝きが戯れているのだ、と。
困った相手が気になってしょうがないときに。- 真木悠介・鳥山敏子著『創られながら創ること』で、「鳥山敏子の気づき」に気づきを得る。
教師であり、後に「賢治の学校」を創設した、今は亡き鳥山敏子は、社会学者・真木悠介との対談の中で、「困った子供」との関係の経験を共有している。...Read On.
教師であり、後に「賢治の学校」を創設した、今は亡き鳥山敏子は、社会学者・真木悠介との対談の中で、「困った子供」との関係の経験を共有している。
「困った子供」は、万引きなどを繰り返す子供だ。
鳥山敏子は、この「困った子供」が夢中になれるような「授業」をつくることを企図する。
これまでの授業をこわし、新しい授業をつくる。
鳥山敏子が手にいれた方法のひとつは、「ものをつくりながら考える授業」であった。
彼女は、「社会科の授業を創る会」の実践から着想を得ていく。
「産業革命」を学ぶことにおいて、教科書的に学ぶのではなく、例えば機織りを実際にすること(機織り機の仕組みを考え、実際に機織り機をつくり、布を織る)を通じて学んでいく。
「人間の歴史」を学ぶことでは、実際に米をつくりながら、土や虫や肥料や水や気象、道具、稲刈り・脱穀・精米、生産力、濃厚、用水路などを考える。
それは、身体をつかって具体的に考えるという方法だ。
対談の文章からも、授業をつくっていく過程の鮮烈さが、伝わってくる。
…で、これがすごくおもしろかったわけ。授業はもう発見の連続で、おもしろくておもしろくてたまらないわけ。…つくったり、やってみたり、なってみるなかで、それなりにからだが感じたり考えたりしていることがあるでしょ。どの子もさ、実際にものをつくると、どのからだもその過程でいっぱい考えるんだよね。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』(太郎次郎社、1993年)
自分の考えを述べることが苦手な子供たちも、元気を得て、いきいきとしてくる。
そして、そのうちに、そのような子供たちも、「ことばだけの思考」(抽象的な思考)も楽しむようになる。
ぼくが学校に通っていた時期(1980年代)は、鳥山敏子が苦悩を乗り越えていた時期と重なる。
子供たちの「身体」が崩れてきていた時代だ。
ぼくは、鳥山敏子と真木悠介の対談を読みながら、また関連する書籍を読みながら、自分の子供時代をふりかえる。
ぼくにとっての「方法」は、大学時代に海外に出ていくことであった。
アジアを旅するなかで、ニュージランドで歩くなかで、ぼくは「身体」を取り戻しながら、「身体」で具体的に考えていった。
それが、後年「抽象的に考えること」を楽しむ土台にもなったのだと、ぼくは考える。
さて、鳥山敏子は、「ものをつくりながら考える授業」を展開するプロセスのなかで、次のような出来事に出会う。
そうやって夢中になって授業にとりくんでいたとき、はっと気がついたら、あの女の子が私の横でいっしょになって鉄を溶かすことにとりくんでいたのね。私が、この子困ったな、どうしようかな、と思っているときはさ、ぜんぜん関係がつくれなかったのに、すっかりそんなこと忘れて授業づくりに夢中になってたらさ、ふっと気がついたらその子が私のとなりにいて、一生懸命やっていた…。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
あの「困った子」が、すーっと、(先生ではなく)人間としての鳥山敏子との距離をちぢめる瞬間だ。
鳥山敏子は、この経験から、こんな「気づき」を見つける。
…ああ、なんだ、人間っていうのは、気になって気になってしょうがないときってのはうまくいかないもんなんだなっていうかね。自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕っていうか、安心して自分自身でいられる時間がもてて、おたがいがふっといっしょに歩めるっていうか、そんなもんだったんだなっていうふうに思ったの。…
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
ぼくは、この出来事に流れる「物語」と、そのエッセンスがとても好きだ。
それは、「自分の世界があって、自分も楽しんでやっているときに、相手にも相手の世界をつくる余裕…がもてて、おたがいがふっといっしょに歩める」という経験を、ぼくの心身で感じてきたからである。
学校だけでなく、仕事場でもそうであるし、家族もそうだったりする。
自分が生きられていないと、相手がふっといっしょに歩む余裕とリズムが持てない。
そんな「自分が生きられていないなかで、相手が気になって気になってしょうがない」ということを、ぼくは、いくどもいくどもしてきてしまったのだ。
インスピレーションに充ちた対談の終わりのところで、真木悠介は、鳥山敏子の「やっていることはなにか」と考え、語っている。
世間的な分類での「教育」や「授業」にそぐわないこと、「授業」からはみ出している部分があることを語りながら、そのような「できごとを、どういうことばで表したらいいか」を、鳥山敏子に尋ねる。
鳥山敏子は、こう応えている。
…なんか、さっきの真木さんが言っていた、ことばになっていくというか。…ことばとして言うとしたらね。創造することは、超えられながら超えることだって。
真木悠介・鳥山敏子『創られながら創ること』太郎次郎社
真木悠介が、対談のなかで、フランスの思想家であるバタイユの思想からひきだした「創られながら創ること」という創造の本質を語るとき、鳥山敏子は「あ、毎日、やっていることだな」と思ったという。
「自分の個性を表現する」という狭い創造ではなく、「創られながら」という、<自分>が壊れていく解体の契機を生きながら、ほんとうに創造していくことができる。
それは、映画監督・黒澤明の「作るっていうか、生まれるんですね」という言葉と、呼応している。
黒澤明も、作る過程で、この「創られながら」という、自分自身が創られるという深い体験をしていたはずである。
この体験は、バタイユや黒澤が語るような芸術作品に限らず、鳥山敏子が語るように「毎日のこと」として、生きていくことができる。
そして、<創られながら創ること>という、(解体されながら)「生まれる」という体験のうちに、ぼくたちの<感動>ということの本質もあると、ぼくは思う。
「欲望は欲望によってしか越えられない」(見田宗介)。- 生き方の「道具箱」におさめる言葉。
ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」。前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。...Read On.
ぼくは、20年ほど前のメモに、こう記している。
見田宗介「欲望は欲望によってしか越えられない」
前後の脈力もなく、この一文を、手書きで、書き付けている。
当時なぜこの一文に惹かれたかは定かではないけれど、「欲望を禁欲する」仕方に、息苦しさのようなものを感じていたからだと、ぼくは思う。
ただし、人が自身の人生を生きていくときにも、組織が組織文化をかたちづくっていくときにも、あるいはひとつの社会がその社会を構想していくときにも、この認識は、きわめて、大切である。
人生においても、組織文化においても、そして社会構想においても、二つの方向性がある。
これら二つの方向性は、行動様式の「基底的な認識」を、次のように異にしている。
- 「欲望は欲望によってしか越えられない」
- 「欲望は禁欲によってしか越えられない(抑えることができない)」
もちろん、実際の社会的な生活のなかでは、ぼくたちは「禁欲」しなければならないことを、さまざまにもっている。
組織や社会では、ルール・規則は必要だ。
しかし、このような「生活の表層」でなく、ぼくたちは、生きることの<基層>ともいうべき地層にまで降りていく。
社会学者の見田宗介は、「欲望」という問題系に対して、きわめて意識的に、取り組んできている。
彼の修士論文をベースとする大著『価値意識の理論』(弘文堂、1966年)は、副題を「欲望と道徳の社会学」としている。
社会的人間の理論における、これら二つ(欲望と道徳)の問題系は、次のように、方法として、分けられている。
- 欲望の問題系:人間の行動の「動機」ないし「欲求」、また行動の「目的」や「生き甲斐」
- 道徳の問題系:「ほんとうの善」とはなにか、「ほんとうの幸福」とはなにか
これらの問題系が、後年、見田宗介が展開する理論や分析の<基層>として、一連の著作に通底してくることになる。
『価値意識の理論』から30年後の1996年に出版された『現代社会の理論』(岩波新書)では、「欲望は欲望によってしか越えられない」という視点が、「歴史的な出来事の分析」と「未来の構想」の二つに向けられている。
第一に、「歴史的な出来事の分析」として、「冷戦の勝利」ということを見ている。
「冷戦の勝利」について、理論的・思想的に寛容なことは、勝利は軍事力の優位による勝利ではなく、「自由世界」における<情報と消費の水準と魅力性>であったことであると、見田は言う。
第二に、「未来の構想」として、われわれは「情報を禁圧するような社会、消費を禁圧するような社会」に魅力は感じず、「情報と消費」のコンセプトを原的に考察し、そこから未来をきりひらくことを、提案している。
また、社会の視点だけでなく、「個」という視点においても、見田宗介は別の著作(『自我の起原』岩波書店)で、エゴイズムが禁欲ではなく、個に装填されている「欲望」によってひらかれることを、生物社会学・動物社会学の地平から解き明かしている。
生活の表層における禁欲はさておき、ぼくたちは、じぶんが生きていくなかで、二つのアプローチをとることができる。
欲望を欲望によって超えるか、禁欲によって超えるか。
「それはセルフィッシュだ(自己中心的だ)」というときに語られる「欲望」は、ときに、「貧しい欲望」であったりする。
そのような欲望は、「ほんとうの歓び」ではなく、一時的な欲求充足である。
中途半端な「自己中」なのだ。
「ほんとうの歓び」は、「セルフィッシュ」を、原的に、そして徹底的に突き詰めていく先にひらかれるものだと、思っている。
「ほんとうの歓び」は、自分一人だけでは、手にすることができない。
これからの人の生き方の規範も、これからの組織も、これからの社会も、見田宗介の一文が、鍵の一つだと、ぼくは思う。
ただし、現代社会では欲望は表層的に、またネガティブに捉えられがちである。
欲望の言葉の周りには、さまざまな「禁欲」「禁圧」の言葉が、道徳的に語られている。
それでも、表層の言葉と現象を透明につきぬけていく芽となるように、ぼくはその<基層>に、言葉の種をまきたい。
「欲望は欲望によってしか越えられない」
「ゲームのルールと法則」だけでなく、「ゲーム盤」を気にしてきたこと。- 「前提」を疑い、根源的に考えること。
ぼくたちは「ゲームのルールと法則」を学ぶ。そして、ゲームをプレイし、出来事を日々つくりだし、一喜一憂する。でも、ここでは「ゲーム」のことではなく、「ゲーム盤」のことを書こうと思う。人間社会という「ゲーム盤」のことである。...Read On.
ぼくたちは「ゲームのルールと法則」を学ぶ。
そして、ゲームをプレイし、出来事を日々つくりだし、一喜一憂する。
でも、ここでは「ゲーム」のことではなく、「ゲーム盤」のことを書こうと思う。
人間社会という「ゲーム盤」のことである。
1) 「ゲーム」:「社会の科学」として学ぶ
ここでは、イメージとして、次の言葉を次のように考える。
「ゲーム」とは、社会、企業、ビジネス、キャリアなどのこと。
「ゲームのルールと法則」は、経済、金融、経営、法律、道徳・倫理などのことを、ここでは指す。
これらを、「社会の科学」として、ぼくたちは学ぶ。
他方、ゲームをプレイする人たちの心情などは、文学や哲学などとして現れ、ぼくたちは「人間の哲学」として、そのような世界に触れる。
これらの「ルールと法則」を学ぶことは、ゲームをプレイする上では、とても大切だ。
ゲームで「勝つこと」は、経済力を上げ、社会的なステータスを上げる。
社会も、世間も、学校も、両親も、(幸福な例外をのぞいて)「勝つこと」に向けたプログラムをつくり、助言を投げかけてくる。
「人間の哲学」などやっても仕事に就けないから、大学では経済学部や商学部など、「社会の科学」を学べと、「親身になって」言葉を投げかける。
(※今は「文系」ではなく「理系」へ、ということがいろいろと言われている。)
ぼく自身のことで言えば、大学で学ぶことを選ぶ際に「中国語学科」を選んだ。
中国語は、シンプルに分解すると「中国のこと+中国の言語」である。
シンプル化すると、「社会の科学」(中国の経済社会など)と「人間の哲学」(中国文学)である。
ぼくは単純に「外国語」を学びたいと思っていたところ、中国の経済発展を見るなかで「周り」が中国を勧め、ぼくは中国語を選択した。
それは今思うと、「社会の科学」と「人間の哲学」のどちらかを選択することの拒否だったのかもしれない。
その後、「社会の科学」と「人間の哲学」という分裂(と統合)に対する、もどかしい気持ちとモヤモヤ感は、社会学者・真木悠介の『現代社会の存立構造』を読んでいて、霧が晴れた。
(※このことについては、別途、書きたい。)
2) 「ゲーム盤」が気になって仕方がなかった
「ゲームのルールと法則」を学ぶことは、面白いし、役に立つ。
しかし、ぼくは「ゲーム盤」自体が、気になって仕方がなかった。
ゲーム、そのルールや法則だけでなく、ゲームを成り立たせている「前提」自体が気になったのだ。
「ゲームのルールと法則」をよく学んで、社会に出て、ゲームに勝っていけばよいというふうには、ぼくの場合ならなかった。
ぼくが「ゲーム盤」自体が気になって仕方なかったことの理由のひとつは、この「ゲーム盤」の上での「生きにくさ」であった。
ぼくの小さい頃から10代を生きてきたなかでの「息苦しさ」のようなものが、大学時代の「旅」後に、時代の「根源的な問い」を問う知性たちとの出会いのなかで、少しづつだけれど解き放たれてきた。
大学時代のアジアやニュージーランドへの「旅」で、例えば、ぼくは「これまでの遊びの貧しさ」のようなものを感じ、旅後に考えてきた。
(※「遊びの貧しさ」は、「遊び」といって出てくるのが、遊園地や映画やカラオケといった「すでに在る」ものだけであるということ。「在る」については下記。)
ぼくに「助言を与えてくれた知性」は、詩人の寺山修司、人類学者のレヴィー・ストロース、哲学者・社会評論家のイヴァン・イリッチであった。
「本来『家』とは『在る』ものではなく、『成る』ものです」(『家出のすすめ』角川文庫)と、寺山修司は言う。
この「在ると成る」という言葉を手がかりに、レヴィー・ストロースのいう「ゲームと構造」の箇所をぼくは読む。
…科学と同じく、ゲームは構造から出来事を作り出す。したがって競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して、儀礼と神話は、出来事の集合を…分解したり組み立てなおしたりし、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。
レヴィー・ストロース『野生の思考』みすず書房
ぼくたちは、「在る」ところの場、言い換えれば用意されている「ゲーム盤」の上で、ゲームをし、出来事を作り出していく。
イヴァン・イリッチは、1970年の著書『脱学校の社会』で、制度という視点から、きりこんでいる。
…学校は、その構造がいくつかの段階を進級するような儀礼的ゲームとなっている…。…学校が人々に教育するもの、すなわち人々の血の中に入り、習慣となるものは、ほかならぬゲームそのものなのである。制度による世話を受けることの「終わりのない消費という神話」を社会のすべての人々が信じ込まされていく。
イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』東京創元社
堀江貴文が著書『すべての教育は「洗脳」である』で展開している論点の一部は、すでに1960年代から1970年代に語られはじめていたことである。
この本が注目されたのは、堀江貴文の存在と共に、他方で、ようやく「大衆」が、信じ込んできたものに疑問を感じざるをえなくなったからである。
ちなみに、堀江貴文は、ゲームのプレイに長けていながら、「ゲーム盤」を取り変え、新たにつくっていく者である。
そして、更に付け加えれば、「遊び」をつくりだしていく者である。
ぼくが、日本の都会に住みながら感じていた「遊びの貧しさ」のようなものから自由であるのが、堀江貴文だ。
3)「ゲーム盤」が取って変わる時代への過渡期
「ゲーム盤」が取って変わる時代の過渡期に、ぼくが置かれてきたことも、ゲーム盤に惹かれた理由のひとつであった。
時代の背景としては、「ゲーム盤」自体が持続可能性をなくしつつあることだ(地球の環境や資源の問題、人びとの「内面」の問題など)。
そして、新たな「ゲーム盤」がつくられつつあること(IT技術のひらく可能性など)を、断片として、感じてきたからである。
そのような、社会と人の限界と、限界の先に開かれる可能性が、ぼくに「根源的な問い」を考えさせてきたのだ。
「社会の科学」としては、国や社会の「成長・発展」とは何か、「お金」とは何だろうか、資本主義とは何かなどの根源的な問いをぼくにつきつけてきた。
「人間の哲学」としては、ほんとうの幸せとは何だろうか、歓びをもって生きるにはどうしたらよいか、などという根源的な問いが、次々とやってくる。
そして、そんなときに、世界のさまざまな知性たちに、ぼくは助けられてきた。
「ゲーム盤」という言葉をここでは使っているけれど、最初から「ゲーム盤の全体像」が見えていたわけではない。
ゲーム盤の上で、「ゲーム」をプレイして出来事をつくりだしながら、しかし、「根源的な問い」に導かれながら「ゲーム盤」の全体像が結晶してきた。
もちろん、完全に「ゲーム盤の全体像」が見えているわけではないけれど、この20年の歳月のなかで、全体像はよりくっきりと、ぼくの前に見えている。
社会学者・見田宗介は、社会の構造変化と価値観の変化の間に「time lag」があることを語っている(見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』太田出版)。
社会の価値観の変化は、社会構造の変化に「遅れて」やってくる。
すでに現代という過渡期は、過渡期であるがゆえに、「価値観を変えてきている人」と「価値観が変わっていない人」に分かれている。
このような価値観の変化の「遅れ」がないように、社会を見据えておくこと。
そして、価値観の変化以前に、社会の構造そのもの(ゲーム盤)をつくるプロセスに「主体的」にかかわっていくこと。
そこに、ぼくの「ライフワーク」のひとつはある。
「ユートピア・天国・極楽」という幻想に仮託された世界の可能性。- ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に共通する視野・視点。
「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。...Read On.
「ユートピア・天国・極楽」といったイメージや幻想に仮託されてきた世界の可能性を考える。
歴史という射程距離の長い視野で、人間と社会の未来を真摯に考え構想する、ルトガー・ブレグマン、ユバル・ハラリ、見田宗介に触発される。
1)ユートピア・天国・極楽に仮託された世界の可能性
オランダの思想家・歴史家であるルトガー・ブレグマン(Rutger Bregman)の著作『Utopia for Realists』(邦訳「隷属なき道」文藝春秋)を読んでいる。
邦訳の副題は「AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働」と題されているが、英語版は「How We Can Build The Ideal World」であり、硬質な理論・思想を展開している。
そもそも、この著作を手にとった理由は、(ぼくが読み飛ばしてしまっていた)社会学者・見田宗介の文章であった。
近代・現代の後にくる時代、「永続する安定平衡の高原(プラトー)」としての社会を見晴るかしながら、見田宗介は、このように書いている。
幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。…
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
「天国」や「極楽」という幻想の実現はないけれど、そこに「仮託された・希求された世界」は可能であること。
オランダの29歳の思想家・歴史家は、同じように、「Utopia」(ユートピア)の幻想と思想に仮託されてきた世界の実現を描く。
ルトガーが「ユートピア」という言葉に託すのは、ブループリント的な世界ではなく、開かれた世界である。
彼は、「よい場所」(good place)であり「どこでもない場所」(no place)と書いている。
「想像力を喚起・触発するような代替的な地平(horizons)」が必要なのだと。
「地平」は複数形で、開かれた世界である。
(Rutger Bregman『Utopia for Realists』Little, Brown and Company)
歴史家ユバル・ノア・ハラリは、天国や極楽やユートピアとは直接的に言っていないけれど、人類が克服してきた3つのこと(飢饉・飢え、ペスト、戦争)が管理可能な世界は、昔の人びとにとってみれば、ユートピア・天国・極楽のような世界である。
そして、ユバル・ハラリは、著書『Homo Deus』で、人類の未来の企てとして「Deus(神)になる」ことを挙げている。
天国・極楽・ユートピアは、「神」がつくる世界である。
それらの共同幻想として希求されてきた世界は、「可能な世界」として、現代の真摯な智者たちに、現れている。
2) 未来の構想
ユバル・ハラリも、ルトガーも、そして見田宗介も、科学に依拠しながら、(これまで科学が重点を置いてきた)「未来の予測」ではなく、「未来の構想」に照準をあわせている。
ユバル・ハラリは、「歴史を学ぶこと」の目的を、次のように書いている。
…科学はただ単に未来を予測するだけのものではない。すべての分野の学者たちは、しばしば、われわれの地平(horizons)をひろくすること、そうすることでわれわれの前に新しい未知の未来が開かれることを希求する。これは歴史について特に言えることだ。歴史を学ぶことは、結局のところ、われわれが通常考えない可能性に気づくことを目的としている。歴史学者は、過去を、繰り返すために学ぶのではなく、過去から解き放たれるために学ぶのだ。
Yuval Noah Harari 『Homo Deus』(HarperCollins, 2016)
(邦訳はブログ筆者)
ユバル・ハラリの視野は、著書『Sapiens』(サピエンス全史)に見られるように、その射程は果てしなく広い。
ルトガーも、歴史に刻まれてきたユートピア思想を丹念に読み解くところから、未来の「現実的なユートピア」を描いている。
見田宗介も、ヤスパースの「軸の時代」という、紀元前に思想や哲学や宗教が花開いた時代の転回点として、現代と未来を見据えている。
近代・現代という世界を、歴史という視野・視点をとりいれることで相対化し、それを踏み台にして「未来を構想」している。
3)ぼくたちの生きている「現代」
見田宗介は、人びとが天国や極楽という幻想に希求してきた「永続する現在の生の輝きを享受するという高原」は可能としながらも、そこには「幾層もの現実的な課題の克服」が必要であることに触れている。
…この新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な過渡期の転回を共に生きる経験が「現代」である。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか(二〇一五版)」『現代思想』2015, Vol.43-19
こう見てくると、ぼくたちの生きている「現代」とは、人の歴史における、とても大きな転回点であることがわかる。
経済において、例えば、景気がよいとか悪いとか、それだけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。
産業構造の転換だけに回収されない情況に、時代に、ぼくたちは生きている。
幾千年もの間、人びとが希求してきた世界の実現への「過渡期」に、ぼくたちは生きている。
これから人と社会は、見田宗介が書くように、「新しい戰慄と畏怖と苦悩と歓喜に充ちた困難な」時期を加速させていくだろう。
人工知能も、IoTも、ベーシックインカムも、ビットコインも、ポケモンも、Facebookも、この「過渡期」における現実的な課題の克服のための、幾多もの「試み」の氷山である。
これまで「あたりまえ」だと思っていたことが、この幾多もの「試み」のなかで、まったく違ったものになっていくだろう。
働き方が変わり、学び方も変わり、遊び方も変わり、そして生き方も変わっていく。
これまでの人類が経験もしたことのないような仕方で。
この「現代という過渡期」の「戰慄と畏怖」のなかで、予測ではなく、未来の構想に向けて、雨粒のひとつのような文章を、ぼくは紡いでいる。
この<雨粒>のひとつは、他の雨粒たちとともに、この<地球>においてふりそそぐことで、ふりつづけることで、人と社会という<地層>を次第に固めていくことになるとよいと、ぼくは思う。
「メタ合理性」(見田宗介)の視界。- 「未来構想のキーワード」を道具箱に集める。
これまでの歴史に見られないほどの、時代の激しい変遷のなかで、「未来」は「予測するもの」としておかれがちである。...Read On.
これまでの歴史に見られないほどの、時代の激しい変遷のなかで、「未来」は、「予測するもの」としておかれがちである。
人工知能(AI)、IoT、VR、ベーシックインカムなど、この変遷を駆動するキーワードには事欠かない。
それはそれで大切なことであるし、ぼくも「定点観測」で、いろいろな事象をおっている。
予測は難しくても、数々の叡智たちをまねて、「今のなかに未来を視る」ことを心がける。
しかし、それと同時に大切なことは、「未来(の社会)を構想すること」である。
歴史や社会は、予測の対象という客観的な対象として現象するものでありながら、われわれが主体的に創っていく(少なくとも主体的に影響を与える)ものでもある。
ただし、構想する対象としての「未来」の感覚のされ方も、変遷してきた。
社会学者・見田宗介は、2006年にヒットした映画『ALWAYSー三丁目の夕日』に触れて、次のように書いている。
一九五八年という、高度経済成長始動期の東京を舞台としている…この映画のほとんどキャッチコピーのように流布した標語は、
「人びとが未来を信じていた時代」
というものであった。「未来を信じる」ということが、過去形で語られている。一九五八年と、二〇〇六年という五〇年くらいの間に、日本人の「心のあり方」に、見えにくいけれども巨大な転回があった。
見田宗介「現代社会はどこに向かうか」『定本 見田宗介著作集 I』岩波書店
映画のキャッチコピーのように「すばらしい未来」を信じていた時代から、「不確実性の未来」に(意識的にも無意識的にも)不安を覚える時代に突入していると、ぼくは感じている。
この「不安」を駆動力として、未来を「予測」し、「生き延びるため」の準備をととのえたい欲求が発動される。
「構想」は、それとは違うベクトルで、未来を肯定性のなかにおく。
だから、人間の歴史で類を見ない変化のなかにおかれながら、「キャッチコピー」はこのように転回される。
「人びとが未来を構想する時代」。
「未来の社会学」を展開する社会学者・見田宗介が、この今の時代に要請される(べき)理由のひとつは、ここにある。
そして、ぼくたちは、「未来構想のキーワード」を見田宗介の理論と文章から取り出すことができる。
そのようなキーワードのひとつとして挙げておきたいのが、「メタ合理性」ということである。
見田宗介は、この言葉自体を主題化しているわけではないが、「近代のあとの時代」を考察するなかで、このことを書いている。
*合理性の二つの水準。合理性の限界を知る合理性。
合理性から非合理性へ、という仕方で前近代に戻るのではなく、合理性の限界を知る合理性=メタ合理性へ。具体的に内容をいえば、生の全域、社会の全域を支配する原則としての「合理化」ではなく、たとえば自由と自由との間を調整し、人間と自然との共生を豊饒に味わい深いものとして生成し持続するための叡智のようなものとして、合理性それ自体の限界を知る<方法としての合理性>として、<自由な社会>の道具箱の中にそれは生きつづけるだろう。
見田宗介「近代の矛盾の「解凍」」『定本 見田宗介著作集 VI』岩波書店
「近代社会の原理」は、「合理化」ということである。
合理化は、社会の組織などの全域、また生の全領域を、生産主義的に「手段化」していく力である。
見田宗介は、一九五八年から二〇〇六年の間のおよそ「五十年」に見られた「心のあり方」の変化を、「日本人の意識調査」(NHK放送文化研究所)にみている。
調査項目の「信じているもの」に関する、1973年と2003年調査の比較において、「奇跡」「易や占い」「お守りやお札の力」「あの世、来世」を信じるものが増大している(例えば、「あの世、来世」は、5%から15%へ増大)。
社会学者マックス・ウェーバー(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』)が、かつて、近代社会の原理である「合理化」は「脱魔術化、魔術からの解放」であることを指摘していたことに言及し、見田宗介は「合理化=脱魔術化」という方向の変曲点の経過を、ここに読み取っている。
しかし、だから変曲点からの方向性として前近代に戻るのではなく、いわば「メタ合理性=合理性の限界を知る合理性」という方向性を、見田宗介は提示している。
「メタ合理性」。
ぼくたちは、このキーワードを、未来を構想するための「道具箱」に入れておくことができる。
追伸:
映画『ALWAYSー三丁目の夕日』は、香港のDVD店でも、手に入ります。
日本の外(アジア)でも、それなりによく観られた映画でしょうか。
経済成長を遂げてきているアジアの国々では、違った観方(過去形ではなく現在形での観方)がされていると、ぼくは思います。
「お金・時間・自分」という問題系をつきつめて。- 真木悠介が照準する「みんなの問題」。
真木悠介が、追い求めてきた問題系は、お金、時間、自分(自我)という、ぼくたちが生きていく中で必ず直面していく問題系である。...Read On.
「真木悠介」は、社会学者である
見田宗介のペンネームである。
見田宗介は、「ペンネームは家出」で
あると、評論家の加藤典洋との対談で
語っている。
(『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社)
ペンネームを使うことで、
・締め切りがなく書きたいものを書く
・過去のイメージに縛られないで書く
ことができる、という。
その真木悠介が取り組んできた仕事は、
近代・現代に生きる誰もが直面する
問題に照準している。
1)真木悠介が照準する問題系
真木悠介が、追い求めてきた問題系は、
・お金
・時間
・自分(自我)
という、ぼくたちが生きていく中で
必ず直面していく問題系である。
直面する仕方は人それぞれである。
真木悠介は、これらの問題系に対して
それぞれ、次の著作を書いている。
●『現代社会の存立構造』(1977年)
●『時間の比較社会学』(1981年)
●『自我の起原』(1993年)
これら真木悠介の著作群を読んだから
といって、お金が増えるわけではないし、
時間が有効活用できるわけではないし、
また、エゴが解決するわけではない。
それは言ってみれば、著作、
『あなたの人生の意味 先人に学ぶ
「惜しまれる生き方」』(The Road
to Character)で、デイヴィッド・
ブルックス(David Brooks)がいう
ところの、
「履歴書向きの美徳」(履歴書に書ける
経歴)を磨くものではない。
むしろ、デイヴィッドが言う、
「追悼文向きの美徳」(葬儀で偲ばれる
故人の人柄)を磨いていくような著作群
である。
「履歴書向きの美徳」も、ぼくたちが
日々生きていく中では大切である。
ぼくたちの日々の「悩み」は、
これら3つの問題系に溢れていて、
ぼくたちは日々、それらに立ち向かって
(あるいは手放して)いく必要がある。
しかし、お金を一生懸命にかせぎ、
時間を徹底的に有効活用し、そして
「自分」の壁を表面的に乗り越えても、
それでも「生きにくさ」が残る(ことが
ある)。
どんなに自分ががんばっても、社会の
大きな壁にぶつかってしまうような
ところが存在している。
真木悠介は、「お金・時間・自分」の
問題を、「じぶんの問題」として
真摯に引き受けることで、だからこそ、
「みんなの問題」を引き受けてもいる。
「お金・時間・自分」という問題系は
真木悠介の生を貫き、
また、近代・現代に生きる人を貫く
生きられる問題系である。
2)『現代社会の存立構造』から。
ペンネームの真木悠介名で書かれ、
1977年に出された、
『現代社会の存立構造』は、
大澤真幸が総括するように、
「近代社会の、総体としての構造と
仕組みを、根本から理論化している」
書物である。
2011年から2013年にかけて、
見田宗介=真木悠介の『定本著作集』が
編まれた際には、しかし、
『現代社会の存立構造』は著作集から
外された。
「外した理由」を、加藤典洋との対談で
真木悠介は述べている。
『現代社会の存立構造』は読もうと
思ってくれた方はわかるように、
非常に抽象的で難解で面白くない。
つまり、誰にも読んでもらわなくても
いいから自分のノートみたいなものと
して…書いた。
…『存立構造』については、近代市民
社会の存立の構造みたいなものが
明確にできるという感じがあった。
…ただ、難しい議論だし、誰にも
読まれないだろうと。だから『定本』
から外しました。
『現代思想』2016年1月臨時増刊号、
青土社
それを見た社会学者の大澤真幸は、
それではいけないということで、
復刻版を、自身の解題を付して
出版している。
『現代社会の存立構造』は、
マルクスの『資本論』をベースとして、
しかし『資本論』に付着した政治性を
完全に切り離して、議論を進めている。
非常に難解だけれども、
この著作は、眼を見開かせる内容で
いっぱいである。
経済形態(商品、資本、合理化、
資本制世界の形成など)について、
普段、ぼくたちがその中に置かれ
ながら、でもその「前提」を問おうと
しないところに降り立っていく、
著作である。
そして、その議論は、
「時間」の問題に引き継がれていく。
著作『時間の比較社会学』は、
「時計化された生」を生きる
ぼくたちの生の成り立ちを明晰に
解明していく。
それから、真木悠介は、
「時間」につづく仕事として、
「自我論・関係論」を明確に意識し、
10年以上をかけて『自我の起原』を
完成させる。
真木悠介は、『自我の起原』の
「あとがき」で、自身の問いが純化
され、つきつめられていく方向を
こう表現する。
人間という形をとって生きている
年月の間、どのように生きたら
ほんとうに歓びに充ちた現在を
生きることができるか。
他者やあらゆるものたちと歓びを
共振して生きることができるか。
そういう単純な直接的な問いだけ
にこの仕事は照準している。…
真木悠介『自我の起原』(岩波書店)
お金、時間、自分(自我と関係)に
関する真木悠介の著作群は、
「ほんとうの歓び」をつきつめる
直接的な問いに応答する著作群である。
(それぞれの著作については、別途、
どこかで主題にしてみたい。)
その思索の一つの発端として、
『現代社会の存立構造』はあった。
3)「時代」の変わり目に。
そして、「時代」の変わり目に、
ぼくたちは直面している。
前出のデイヴィッド・ブルックスは、
「人生」という単位で「美徳」を語る。
経済を語るメディアは、景気・不景気、
あるいは産業構造変化として、数年から
数十年単位で、時代を語る。
真木悠介は、現代の諸相に見られる
ことも視野に入れながら、
人間の起原・社会の起原にまで降り
立ち、人間と社会の「未来」を語る。
カール・ヤスパースの言う「軸の時代」
というコンセプトにヒントを得て、
「現代」を新しい視野におさめる。
ヤスパースが「軸の時代」と名付けた
文明の始動期に、世界の思想・哲学・
宗教等が生まれ、世界の「無限性」に
立ち向かったことに、真木は眼をつけ
る。
そして今、世界は、世界の「有限性」
の前に立たされ、新たな思想とシステ
ムを要請している。
見方によっては、ぼくたちは、
二千年を超える時代の「変曲点」に
位置している。
ぼくたちが日々直面する、
「お金、時間、自分」という諸相は、
時代が変曲する局面にて、極限し、
先鋭化する。
世界の金融危機、経済活動と時間の
関連性と諸問題、それから、壊れる
「自我」など、
世界の「無限性」はその極限の地点
で、様々な問題を先鋭的に創出して
きている。
その中から、それらを乗り越えて
いこうとする様々な「試み」が
出てきている。
「お金」をとってみても、
ローカルカレンシーから、ベーシック
インカム、そしてビットコインなど、
「試み」が繰り返されている。
そして、この「変曲する局面」には、
「お金・時間・自分(他者との関係)」
を根本において理解しておくことが
大切であると考える。
「履歴書向きの美徳」だけでは、
やはり足りないのだ。
人生という単位で
「追悼文向きの美徳」を追求し、
数年から数十年という単位で
「パラダイム変化」を志向し、
数百年から二千年単位で
「思想・システムの構想」の冒険
に加わることが求められるのだ。
真木悠介(見田宗介)が照準して
きた仕事は、このようにして、
「みんなの問題系」である。
ここでいう「みんな」とは、
今現在生きている「みんな」だけ
ではなく、過去から未来にまで
照準する「みんな」であると、
ぼくは思う。
お金・時間・自分、という問題を、
生きられる問題として、真摯に
徹底的に引き受けてきた真木悠介の
仕事は、これからの「未来」の道と、
それを支える思想とシステムを構想
する際に、際限のないインスピレー
ションを、ぼくたちに与えてくれる。
「生きる」から「生ききる」に、<ことば>を変える。- 宮沢賢治がこめた「一文字」に心を動かされて。
「生きる」から「生ききる」へ。自分の「ライフ・ミッション」を書き直しているとき、その中のことばの一つとして、「生きる」、とはじめに書いた。...Read On.
「生きる」から「生ききる」へ。
自分の「ライフ・ミッション」
を書き直しているとき、
その中のことばの一つとして、
「生きる」、とはじめに書いた。
それから、
「生きる」に「き」の一文字を加えて
「生ききる」とした。
この加えた「き」は、英語で言えば、
「fully」の意味を宿す。
Liveだけでなく、Live fully。
生ききること。
人によっては「重く」聞こえるかも
しれないけれど、
今のぼくには、しっくりくる。
<ただ生きること>の奇跡を
土台としてもちながら、
この生を<生ききること>。
「一文字」に、気持ち・感覚(と、
さらには生き方)を込める仕方を、
ぼくは、宮沢賢治に学んだ。
宮沢賢治が、1931年11月3日に、
手帳に書き込んだ、有名なことば。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ…
宮沢賢治
宮沢賢治が書き付けた「直筆」を
見ると、ことばの間隙から、
宮沢賢治の「声」が聞こえてくる。
直筆から見ると、最初の「原型」は
このようなことばであった。
雨ニマケズ
風ニマケズ
雪ニモ夏ニモ…
宮沢賢治は、「雨ニ」と「風ニ」
のそれぞれの後ろの横に、
若干小さい文字で「モ」を加えて
いる。
「雨ニ」ではなく「雨ニモ…」、
「風二」ではなく「風ニモ…」、
である。
「モ」にこめられた、宮沢賢治の
気持ちと感覚が伝わってくる。
このこと(と直筆を見る面白さ)を、
名著『宮沢賢治』(岩波書店)の
著者、見田宗介から学んだ。
見田宗介は宮沢賢治生誕100年を
迎えた1996年に、宮沢賢治研究者で
ある天沢退二郎などとの座談会で、
このことに触れている。
(「可能態としての宮澤賢治」
雑誌『文学』岩波書店)
宮沢賢治が、この「一文字」に
込めたものに、ぼくは心が動かされた。
その記憶をたよりに、
自分の「ライフ・ミッション」を
手書きで書きつけながら、
ぼくは「生きる」に「き」を加える。
「生ききる」
ことばを、ぼくの身体に重ねてみて
ぼくは確かめる。
そうして、ぼくの身体とそのリズムが
ことばに「Yes」と言う。
たったの「一文字」が、
世界の見方や生き方を変えることが
あることに、気づかされた。
「知」についてのメモ。- ヘッセ、サイード、真木悠介を導きの糸に。
「知」と「生」についてのメモ。知の巨人たち、ヘッセ、サイード、真木悠介から教えられたことのメモである。...Read On.
「知」と「生」についてのメモ。
知の巨人たち、ヘッセ、サイード、
真木悠介から教えられたことの
メモである。
20世紀前半のドイツ文学を代表する
ヘルマン・ヘッセ。
文学研究者・批評家で、主著として
『オリエンタリズム』がある
エドワード・サイード。
それから、社会学者の、
真木悠介(本名:見田宗介)。
一見すると、繋がりのない、
ヘッセ、サイード、真木悠介は
ぼくにとっては「師」である。
思想家の内田樹は、「師」について
語る中で、
「師」=
「想像的に措定された俯瞰的な視座」
あるいは
「弟子をマップする視座」
である、と述べている。
(内田樹『レヴィナスと愛の現象学』
文春文庫)
この視座をもつことで、
「自分自身を含む世界の風景」を
超えることができる。
「師」とはそのような存在であると
するなら、
ヘッセも、サイードも、真木悠介も
ぼくの「師」である。
圧倒的な跳躍で飛び上がった俯瞰的
視座で、自分を含む世界の風景を
違った形で見せて/魅せてくれる。
この文章は、
その「俯瞰的視座」から、
ぼくの生を「マップする視座」の
メモ(のほんの一部)である。
なお、ここでいう「知」は
広義の意味での「知」である。
1)それ自体で歓びの「知」
ヘッセの著書は、ぼくが確か高校生で
あったときに、夏休みか何かの「読書
感想文」を書くために選んだ本であっ
た。
すすんで手に取ったというよりは、
他に特に読みたいようなものもなかっ
たから、最後に、仕方なく手にとった
本であった。
確か、新潮文庫の『シッダールタ』や
『知と愛』を、ぼくは読んだ。
読書感想文は「宿題」として書いた。
大したことは書かなかったと思う。
「あとがき」か何かを参考にしながら
字数を積み上げただけのようなもので
あった。
でも、それらの著書、特に『シッダー
ルタ』は、ぼくの人生に「宿題」を
残した。
ぼくは、ヘッセの文章に、深いところ
で「何か」を得ていたのだ。
大学時代、本を読むようになったぼく
は、ヘッセが「教養」について書く
文章の冒頭にひきつけられる。
ほんとうの教養というものは、
何か他の目的のための教養ではなく、
それ自体で意義のあるものである、
という趣旨の文章であった。
大学入学のための教養、
就職するための教養などというのでは
なく、
それ自体で歓びになるような教養。
ぼくは、この言葉を頼りに、
大学院に進んだ。
国際協力の仕事では、当時「修士」
が必要であるような状況だったから、
大学院の学びは「何かのため」で
あった。
しかし、ヘッセの言葉を頼りに、
ぼくは学び自体をほんとうに楽しむ
ことを意識し、
そして、とことん楽しむことができた。
2)「知」と「権力」
エドワード・サイードの著書、
『オリエンタリズム』は、
大学の授業か何かでの課題図書であっ
たと記憶している。
大学などで、「ポストコロニアル」的
な思想がよく学ばれていた時期であった。
日本語の分厚い書籍を手に、
何度もくじけた本である。
ひどく「難解」な本であったのである。
他方で、ぼくは、社会学者の見田宗介
(筆名:真木悠介)の著作の「難解さ」
を通過していた。
しかし、見田宗介の著作の内容を理解
しはじめ、また「読むこと」の深みが
増していくなかで、ぼくは、サイードの
著作に真正面から向かうことができて
いったように、記憶している。
サイード著『オリエンタリズム』は
今でこそ内容は覚えていないけれど、
「とてつもない本」であったことだけ
は、身体で記憶している。
はるか上空に舞い上がった「俯瞰的
視座」を与えてくれるような内容で
あった。
ただ、サイードが教えてくれたことで
ひとつだけ明確に覚えていることが
ある。
それが、知と権力のことである。
知は権力に結びつきやすい。
知識人は、知を、よきことに使わなけ
ればならない。云々。
大学院を修了し、ぼくは
国際協力・国際支援の領域で仕事を
する機会を得る。
西アフリカのシエラレオネ、
東ティモールと、
緊急支援・開発協力の現場に降り立つ。
サイードが仔細にわたって語る「知=
権力のこと」の、その「姿勢」を意識し
つつ、ぼくは常に「大きな俯瞰的視座」
をもちながら、言葉や語り、支援の実践に
取り組んできた。
3)「知」と「生」
そして、社会学者の真木悠介。
(ブログ「ぼくと「見田宗介=真木悠介」」)
内田樹が哲学者レヴィナスの「自称弟子」
であるのと同じように、
ぼくは真木悠介の「自称弟子」である。
真木悠介は、小さい頃からの自身の切実
な問題であった「時間の虚無」ということ
に、名著『時間の比較社会学』(岩波書店)
で自身の展望を手にいれる。
この著書の「あとがき」で、
真木悠介は、「知」と「生」について
書いている。
生きられるひとつの虚無を、知によって
のりこえることはできない。けれども
知は、この虚無を支えている生のかたち
がどのようなものであるかを明晰に
対自化することによって、生による自己
解放の道を照らしだすことまではできる。
そこで知は生のなかでの、みずからの
果たすべき役割をおえて、もっと広い
世界のなかへとわたしたちを解き放つのだ。
真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)
「理論のための理論」にならないような、
ほんとうに生をきりひらくための理論を
追求していく真木悠介の「姿勢」が、ここ
に見られる。
ところで、
「知と生」という問題系において
世間一般に流布する「問題の立て方」は、
「理論と現実」
というものである。
往々にして、理論を仕事にする人たちと
現実(現場)を仕事にする人たちとの間
にはギャップがあるものだ。
真木悠介の思想と姿勢は、
そんな「問題の立て方」に対して、
一気に、垂直に「軸」を突き通すような
力を有している。
真木悠介は、『時間の比較社会学』の
「最終章」の最後で、このように語って
いる。
知でなく生による解放とは、世界を解釈
することではなく世界を変革するという
こと、すなわちわれわれが現実にとりむ
すぶ関係の質を解き放ってゆくことだ。
けだしひとつの社会の構造は、人間の
自由な意志と想像力とがその中でみずか
らをうらぎるような軌道をさえ描いてし
まうような磁場を形成しているのであり、
ひとつの時空とその非条理からの解放は、
ひとつの社会のあり方の構想なしには
ありえないからだ。けれどもそれはこれ
までのいわゆる「社会変革」のイメージ
とはすでにはるかに異質の、しかし同様
に実践的な、ひとつの人間学的な解放で
なければならないだろう。…
真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)
真木悠介が、「知」と「生」をひとつ
のものとして突き抜けていく仕方に、
ぼくは憧れる。
「知」と「生」をひとつのものとして、
ほんとうに追い求めていく「師」として、
真木悠介はぼくにとって在る。
「未来」を考える拠り所。- 加藤典洋著『人類が永遠に続くのではないとしたら』と向き合って。
文芸評論家の加藤典洋が、日本の「3・11の原発事故」をきっかけに、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)。...Read On.
文芸評論家の加藤典洋が、日本の
「3・11の原発事故」をきっかけ
に、「私の中で変わった何か」に
言葉を与えた著書、
『人類が永遠に続くのではないと
したら』(新潮社、2014年)。
実はまだ、この文章を書きながらも、
この著書と真剣に向き合っている。
400頁におよぶ書籍の折り返し地点
が見えてきたくらいのところに、
ぼくはいる。
向き合っている途中だけれど、
いくつか書いておきたい。
(1)『現代社会の理論』への応答
加藤典洋の『人類が永遠に続くので
はないとしたら』(新潮社)は、
大分前に手に入れていたけれど、
ずっと読めずにいた書籍である。
読めなかった理由のひとつは、
この書で展開される「執念の考察」
(橋爪大三郎)と真剣に向き合わうこと
を、ぼくに要請したからである。
ぼくの側に、その準備ができていなかった。
そもそも、この書籍を手にとったのは
この著書が、社会学者の見田宗介の
名著『現代社会の理論』への応答と
展開を主軸とする論考であったからで
ある。
タイトル『人類が永遠に続くのではない
としたら』が、見田宗介への応答を
告げるものである。
ちなみに、20年ほど前に書いたぼくの
修士論文も、見田宗介の『現代社会の
理論』に刺激を受け、「人類が永遠に
続くのではないこと」を引き受ける形で、
経済社会の発展(また途上国の開発)の
問題を論じた。
見田宗介は、現代社会がそのシステムの
魅力性と共に、「外部の臨界」で、
環境・資源、貧困などの「外部問題」に
直面していることを指摘する。
地球は「有限性」の中におかれている。
この乗り越えの未来社会構想を、
「光の巨大」と「闇の巨大」を、ともに
見はるかす一貫した理論のうちにおさめた
ことに、見田の著書の意義はある。
「光の巨大」と「闇の巨大」の理論の分裂
は、加藤典洋が「近代二分論」と呼ぶ状況
である。
「ゆたかな社会」を高らかに喧伝する
「(光の)近代論」と、「成長の限界」を
説く「(闇の)近代論」が、まじわること
なく、分裂してきた状況がある。
闇の巨大を説く近代論(『成長の限界』
や『沈黙の春』など)は、環境問題や
資源枯渇の問題などを眼前にみせる。
「心のやさしい」学生などは、
自分の生き方に「罪的な気持ち」を
抱いてしまう。
指摘の「正しさ」と共に、この近代論
が説く何かに、ぼくは、感覚として
「居心地の悪さ」を感じてきた。
見田宗介は、「全体理論」として、
「光」と「闇」を統合する視点を提示
している。
加藤典洋は、3・11後の状況の中で、
1996年に発刊された『現代社会の理論』
の「重要さ」を指摘すると共に、深く、
そして一歩先に進めていく視点と共に、
彼の著書で展開している。
この箇所だけでも、加藤の書籍から学ぶ
べきところだらけだ。
(2)「リスク」の視点
加藤典洋は、見田の理論の「革新さ」を
見抜き、どこまでも深い読解を展開していく。
しかし、加藤が不満に思うただひとつの
ことは、見田の理論では「地球の有限性」
が「外部問題」としてしか捉えられていな
いことである。
加藤は、3・11後の、原発の「保険の
打ち切り」(*保険会社が事故を起こした
原発の運転作業や収集作業の「リスク」を
引き受けられない事態)を見聞きするうち
に、産業資本システムの「有限性」が、
システムの「内部」からも起きている、
という視点をとりいれている。
加藤は、ベック著『リスク社会』の深い
独自の読解を手掛かりに、この「システム
内部からの瓦解」を、見田の理論につなげ
ていく。
(加藤典洋によるベックの読解の鮮烈さ
に、ぼくは深く感銘を受けた。)
ベックの理論は、加藤の言葉を借りれば
「(富の)生産からリスク(の生産)へ」
という視点である。
そして、リスクがバランスを失い、回収
不能なリスクをつくりだしてきてしまって
いる。
つまり、リスクが生産を上回るものになっ
てしまっている。
加藤は、3・11後の原発の保険打ち切り
に、そのことを見た。
この状況は、システムはその「内部」に
システムの「臨界」をつくりだしてきたと
いうことである。
後期近代(現代)は、資本制システムの
「外部」にも「内部」にも包囲されている。
地球の「有限性」に直面している。
見田はこの「有限性」を直視し、
「有限な生と世界を肯定する力を
もつような思想」をうちたてる方向性
へと論を進める。
加藤はこれを引き受け、この書の後半
部分を書いている。
(*これからじっくり読みます。)
(3)「未来」を考える拠り所。
ここで、ひとつ取り上げたいのは、
このような「未来」を考える拠り所で
ある。
加藤典洋は、後期近代(現代)を超えて
いく「脱近代論」の二つの方向性を、
地球という「船」が沈んでいくことに
かけて、次のように言っている。
…脱近代論の論とはいえ、船が沈まない
ようにしようという論と、これからは
沈みかかった船の上で未来永劫生きて
いくんだという論とでは、当然、大いに
違うだろう。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)
この二つの違いに対応させる形で、
加藤は
・「リスク近代」という考え方
・「有限性の近代」という考え方
と呼んで、次のように書いている。
「リスク近代」の考え方は、どうすれば
地球という船を沈めないですむだろうか
と、問う。これに対し、「有限性の近代」
の考え方は、どうすれば沈みかねない船
の上で、人はパン(必要)だけでなく、
幸福(歓喜と欲望)をめざす生を送る
ことができるだろうか、ともう一つその
先のことを、問う。
加藤典洋『人類が永遠に続くのではない
としたら』(新潮社)
加藤典洋は、「リスク近代」から、
加藤が呼ぶ「有限性の近代」へと論を
すすめていく。
後者は、有限性の中に「無限」をまなざす
考え方である。
「有限性の近代」は、人間とは何か、
などを自問しながら、論じられる。
人は、パン(必要)だけでは「生きる」
ことができない。
「有限性の近代」をひきうけるには、
人間や社会を根底的にとらえなおしていく
ことが大切になってくる。
この捉え直しは、「近代の中」だけでは
なく、近代前、あるいは人類史のような
地点にもさかのぼる捉え直しである。
加藤典洋の視界も、そこまで広がり、
深くきりこんでいる。
見田宗介が拠り所のひとつとする
バタイユの視界も、広く深い。
また、『サピエンス全史』で著名と
なったYuval Noah Harariの視界も
人類史に広がっている。
Yuval Harari著『Homo Deus』は、
ある意味で、「有限性の近代」を
ひきうけていく論考である。
「未来」を考える拠り所は「今」にある
と言われる。
それは、一面では正しいけれど、
「今」だけでは見えないこともある。
(「今」の中に、過去も含まれるという
「言い方」もあるけれど。)
「今」を相対化しつつ、人間や社会
そして自然を今一度、根底的に捉え直す
ときに、ぼくたちはきている。
人や家族、組織や社会などについて展開
する理論や議論において、
ぼくはしばしば「違和感」を感じる。
「居心地の悪さ」を感じることがある。
これら「違和感」「居心地の悪さ」は
それら理論・議論が前提としている人や
社会の「あり方」のすれ違いからきて
いたりする。
それは、「リスク近代」を説く者と、
「有限性の近代」をめざす者との対話が
すれちがうであろう状況と、似ている。
「未来」を考える拠り所として、
根底的な思考に降りていくこと。
人間とは、社会とは、近代とは、無限とは。
根底的な思考を、後期近代(現代)は、
要請してやまない。
「沈みかかった船の上で、これから未来
永劫生きていこう」と誓う中で。
ぼくは、見田宗介のいう「有限な生と世界
を肯定する力をもつような思想」をつくり、
そしてその肯定性に生きていくことを、
自身の生涯をかけて引き受けていきたい。