成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima 成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima

「風景」が変わるとき。- <幸福感受性>をとぎすましてゆくこと。

養老孟司先生は、久石譲との対談のなかで、つぎのように語っている。

養老孟司先生は、久石譲との対談のなかで、つぎのように語っている。


養老 …小川のせせらぎというのは、実は周囲の林が音を増幅しているんです。ただ水が流れているから聞こえるんじゃなくて、森林のさまざまな樹木なんかと共鳴することで強く聞こえてくる。…

養老孟司・久石譲『耳で考えるー脳は名曲を欲する』(角川onerテーマ21、2009年)


「小川のせせらぎ」は、それが単一にひびくのではなく、<森林のさまざまな樹木と共鳴している>という音の風景は、まるで、目に見えるようでもあるし、共鳴し交響する音が聞こえてくるかのようでもある。

いつか、小川のせせらぎを耳にするときがきたら、ぼくは、そこに森林のさまざまな樹木たちとともに音を奏でている<音の風景>を感じることだろう。

これだけのことばでも、風景はいつもと違ってみえてくる。ことばという<情報>のもつ機能のひとつは、見えないものを見えるようにしてくれることである。


小川や樹木たちが森林という舞台で奏でる音を感じることは、それだけで人を充たしてくれるものがある。

これからの時代をささえ、基礎づけ、ひらいてゆくものとしての<幸福感受性>(見田宗介)をとぎすまし、もっとひろく感じ、もっとふかいところへ降り立っていきたい。じぶんが生きてゆくことの核心のところにとりもどしてゆきたい。


上に引用した箇所では、養老孟司は<幸福感受性>のことを語っているのではなく、<耳で聞く>ことと<目で見る>ことがズレることを、久石譲に語っている。「川が流れているから、音がする」のではなく、逆に、「音がするから、川があるんだな、とわかる」というように。

さらに、「目と耳の情報を統合する機能」ということを養老孟司は語っている。このことは、他の著作でもふれられていたりするが、言葉の基本には「時空」(時間と空間)があるということである。目が耳を理解するために「時間」という概念が必要であり、耳が目を理解するために「空間」という概念が必要という、興味深い観点だ。

そのことはさておき、このようなことが述べられているなかに、「小川のせせらぎというのは…」という話が、さっと入ってくる。

その、さっと、あるいはさらっとさしこまれた話のほうに、ぼくは惹かれたのであるが、このような話が日常に生きられているところに、養老孟司先生の感覚と思考の「確かさ」を、ぼくは感じることになる。


今回とりあげたトピックは、人にとってはなんでもないものだけれど、そのようななんでもないことを、とぎすまされてゆく<幸福感受性>が、まったく違った「風景」をぼくたちにさしだしてくれるのだと思う。

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音楽・美術・芸術, 身体性 Jun Nakajima 音楽・美術・芸術, 身体性 Jun Nakajima

この時代に「ジグソーパズル」をやる楽しみ。- 楽しさと学びのプロセスとしてのジグソーパズル。

家の片づけをしていたときに、ジグソーパズルが見つかった。だいぶ前に購入してやらないままに、きれいに小さな箱に納まっていた。

家の片づけをしていたときに、ジグソーパズルが見つかった。だいぶ前に購入してやらないままに、きれいに小さな箱に納まっていた。

「パズル系」のゲームは、今ではスマートフォンを手にとれば、いつ、どこにいても、プレーすることができる。

だから、「ジグソーパズル」を販売する店舗などは、これからかなり縮小していくだろう(あるいはすでに、かなり縮小しているだろう。店舗を持てずオンライン店舗になるかもしれない)と漠然と考えていたのだけれど、実際には、ここ香港では、実店舗がのこっている。のこっている、というだけでなく、ある店舗はそれなりの広さを確保し、平日のお昼などでも人が入っている。

ここ香港はオフィス/店舗賃貸料がおどろくほど高いから、実店舗でやっていけるだけでもすごい。すごいと思いながら、このような趣味・遊びが今も好まれていることに、ほっとするところもある。

もちろん、これまでにもさまざまな形態が考案されてきている「ジグソーパズル」が、これからどのような運命をたどってゆくのかはわからないけれど(テクノロジーは想像をこえる仕方で道をひらいている)、このような遊びのすべてがデジタルにおきかわるわけではないと、ぼくは思う。CDが出ても、ストリーミング音楽が出ても、「レコード」がなくならないのと同じように。


そんなこんなで、いろいろと考えるところはあるのだけれど、ジグソーパズルは、遊ばれることでその使命をまっとうするものであるし、なによりも、ジグソーパズルをやってみたくなったので、小さな箱に納められたパズルを机の上にひろげ、とりかかることにした。

なによりも、画面のクリックではなく、じぶんの「指」を使って組み合わせてゆくことが心地よい。たぶん、10年ぶりくらいのことだから、組み合わせてみながら、じぶんの「組み合わせ方」を思い出していく。

あまり意識することなく、じぶんの身体に「組み合わせ方」がしみこんでいるようにも感じる。他の人と一緒にパズルをすると、「組み合わせ方」(ぜんたいの戦略とこまかい戦術)が、違っていることもわかる。そんな気づきがある。

300ピースの小さいパズルだから、2時間と見込んでいたのだけれど、途中で失速してしまい、結局、4時間ほど完成するまでにかかった(楽しさは完成ということ以上にプロセスにあるのだけれど、それでも時間の速さを気にしてしまうのである)。でも、途中むずかしくなってきてから、あきらめることなく、完成させることができた。

プロセスも楽しく、気づきがさまざまで、なおかつ、完成したときの嬉しさがある。


完成したジグソーパズルは、チベット仏教の「砂曼荼羅」のように、できあがってすぐに「解体」しようと思っていた。できあがりのものに固執・執着するのではなく、<手放す>のだ。

ここ数年、ぼくは<手放す>ことを、日々のなかで、実践してきた。だから、そうすることに、とくに抵抗もない。けれども、ジグソーパズルの「花」がきれいであったので、数日だけ、部屋を照らしだしてもらうことにした。

昔であれば「せっかくつくったんだから」などという気持ちからくる執着がのこって、なかなか壊すことができなかったと思う。今回は、そのような執着としてではなく、あくまでも、美を楽しむこととして、数日おいておいたのだ。

楽しさと学びのプロセスとして「ジグソーパズル」(あるいは同様の遊び)を体験することができる。そんなことを思う。

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海外・異文化, 身体性 Jun Nakajima 海外・異文化, 身体性 Jun Nakajima

海外に住みながら「季節」のことをかんがえる。- 「雨季と乾季」あるいは「四季」を生きながら。

「2019年」になって、人間がつくりだす紀年法(西暦はキリスト紀元)のことをかんがえていたら、<自然>のことが、ふと、頭の中に浮かんだ。紀年法による年ではく、「年」という時間の単位は地球が太陽を一周する時間(「閏年」での調整が入るが)であり、さらには、そこには「季節」がある。

「2019年」になって、人間がつくりだす紀年法(西暦はキリスト紀元)のことをかんがえていたら、<自然>のことが、ふと、頭の中に浮かんだ。紀年法による年ではく、「年」という時間の単位は地球が太陽を一周する時間(「閏年」での調整が入るが)であり、さらには、そこには「季節」がある。

紀年法などは、人間の「頭脳」に働きかけるのに対し、季節などは、人間の「身体」に直接に働きかけるものだと、ふと思ったのだ。

西暦の「2000年」や日本の元号の変更などが人びとの意識(そして行動)を変容させて時代をつくってゆくのに対し、一年そして季節のうつりかわりは、人びとの「身体」に直接に作用してくる。


2002年から海外に住んできたなかで、「季節」ということを、ぼくはときおりかんがえる。

2002年の半ばから2003年の半ばにかけて住んでいた西アフリカのシエラレオネ、それから2003年の半ばから2007年初頭まで住んでいた東ティモールで、ときおり、「季節」のことをかんがえたりしたことを思い起こす。

シエラレオネも東ティモールも赤道に近く、熱帯性の気候で、雨季と乾季のうつりかわりがある。それまで日本とニュージーランドに住んできたぼくの身体にとっては、この「雨季と乾季」の季節のうつりかわりは、新しさがあるいっぽうで、どこかなじまないようなところがのこる感覚があったことを覚えている。

もちろん「雨季」的な気候は初めてではないし、また「乾季」的な気候も初めてというわけではない。でも「四季」にすっかり慣れてきた身体にとって、最初の一年・二年のころは、そのような新しさによる興味、それからなんとなくの違和感を感じたのである。

熱帯性の「雨季と乾季」では、日本のような寒い「冬」は訪れないから、それはそれでとても過ごしやすいところでもあるのだけれど、「四季」に慣れ親しんできた身体だからだろうか、最初のころは「四季がない」というふうにかんがえてしまう。四季という季節のうつりかわりの「いいところ」が、ちらほら、ぼくの脳裡にうかんできたりするのであった。

あるいは、いい・わるいということよりも手前のところで、四季ではない季節をすごしてゆくことで、「季節」というものが、じぶんの身体に及ぼす影響のようなものをよりいっそう感じ、ぼくはときおり季節のことをかんがえていたのだ。


東ティモールですっかり「雨季と乾季」の気候に慣れたあと、ぼくは、ここ香港に移り住むことになる。

亜熱帯性の気候の香港。日本と比べると、相対的に、冬はそれほど寒くはない。日本のような秋の紅葉があるわけでもなく、冬に雪はふらない。それでも、そこにはやはり「四季」が、香港の「四季」がある。

東ティモールの「雨季と乾季」を経験している身体であったから、よりいっそう、「四季」に敏感であったのかもしれないと、今では思う。日本から直接に香港に来たのであれば、香港に、四季の「欠如」を見ていたかもしれないし、あるいは「香港の四季」に気づくのに、もっと時間を要したのかもしれない。

でも、やはり、香港には香港なりの季節のうつりかわりがあるし、さらには、「雨季と乾季」のシエラレオネや東ティモールにだって、シエラレオネなりの、また東ティモールなりの季節のうつりかわりがある。

それら季節のうつりかわりのなかで、季節の影響を受けながら、あるいは季節を楽しみ享受しながら、人びとはそれぞれの仕方で、それぞれに生きている。

都市/「脳化社会」(@養老孟司)は季節をできるかぎり脱色してゆくようなところがあるけれど(そうすることで人間社会を自然的制約から離陸させてきたけれど)、そうでありながら、しかし、あたりまえだけれど季節はなくなることはないし、いろいろな仕方で、生きるということと共振している。

「異文化」だけでなく、<異気候/異季節>ともいうべき視点も、海外に住みながら、ぼくはいっそう、この身体に感じてきたし、これからも感じてゆくことを思う。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

神経回路の「絶望的な混線」(三木成夫)。- 「内臓感覚のいちばん麻痺しているのが、ホモ・サピエンス」ということ。

ぼくたちの「身体」はぼくたちに日々、瞬間瞬間に、さまざまな「シグナル」を送りつづけている。


ぼくたちの「身体」はぼくたちに日々、瞬間瞬間に、さまざまな「シグナル」を送りつづけている。

そうして送られる「シグナル」を、いわば「レシーバー」でキャッチし、じぶんは「何が必要だ」「何がしたい」ということへに変換する。

でも、むずかしいのは、この「変換」である。


人間の「内臓系」(からだの内側に蔵されている“はらわた”の部分。これに対し「体壁系」は手足や脳、目や耳などの感覚器官など、からだの外側の壁を造っている部分)についての講演会で、解剖学者の三木成夫が挙げた事例が、そのことを端的に教えてくれる。内臓の感覚として、最初に挙げられたのは「膀胱感覚」で、三木自身の子どもの観察を交えた事例である。

少し長くなるけれど、この「観察された事例」、それはだれもが(自身として、あるいは子どもに対応する者として)体験し、その体験をいくぶんか記憶しているであろう事例を共有しておくことで、内臓系のシグナルを感受することの「複雑さ」を理解していただけるだろう。少なくともぼくの理解は、一気にすすんだ。



 ちょうど、あのオシメが取れた頃のことです……。子どもが一人で遊んでいる。その遊んでいる時ーたとえば積み木をしたり、絵本を観たりしているその一連の動作のなかで、なにか異質な動きが、ふっと入る……。腰のあたりが……(笑声)。これを見た時ありゃいったいなんだ……(笑声)。
 ところが、しばらくしたら隣の部屋から、母親の声が聞こえてくる……「オシッコでしょう?」という、まだのんびりした声です。子どもはしかし見向きもしない……。私はその時、あれがサインかと初めて知った(笑声)。
 そこでなんとなく見てますと、それは、ある一定の間隔を置いてやってくる。明らかに異質な動きです。…ちょうど“陣痛”と同じで、だんだん間隔が狭まってくる(笑声)。そのうちに、今度は母親の声が少し大きくなって「早く行ってらっしゃい」とやるわけです。子どもは、いぜんとして見向きもしない。
 …そうこうしているうちに…動きがかなり激しくなってくる(笑声)。…そのうちに、だんだんむずかるんですね……。ヤレおんぶしろとか、肩ぐるましろとか……。こりゃうるさいことになるゾと思って考えてますと、案の定、隣の声も「ハヤク行きなさイっ」ってグッと切迫度が加わってくる(笑声)。

『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)


母親にしてみれば「それなりに切実な問題」であろうとしながら、子どもにとってみれば、これは「まったく関係ない」こと、つまり「トイレという感覚が浮かばない」のだと、三木成夫は冷静に観察をしている。

三木成夫はさらっと述べているけれど、「トイレという感覚が浮かばない」ということは、ここで語られていることの核心である。ぼくは、単純に、子どもは「遊び」などに夢中なのだと思っていたのだけれど、その見方は「トイレに行くこと」がほぼ無意識的に日常に組み込まれた者たちが投影している見方のようだ。

「トイレという感覚が浮かばない」子どもは、トイレに行こうとする気配を見せず、拒否を継続してゆく。じぶんの体験か、あるいは他者(子ども)の様子なのか、どこか既視感のわく状況描写である。


 私は子どもを横で見てまして、いろんなことを教わりましたが、これだけは、ほんとうになるほどなあ……と思った。そこで、今度はいよいよ「それオシッコが出るョー」といって、膀胱の真上あたりをギュッと押さえてやる。そしたら、なるほどそれは感覚として、かなり強く響くのでしょうが、本人は、それが自分の内部から出たものだとは思わないから「イヤダ」といって手を払って、行こうとはしない。…
 …しまいにうるさいから「……もっと向こうで遊んでおいで、お父さん、お仕事すんだら一緒に遊んであげる」。すると、いちおうは向こうへ行きかけるのですが、もうその頃は地だんだ踏んで、とうとう部屋をあっちこっち走り回る……(笑声)。こうなったら母親も真剣です「ハヤクシナサイッ!」さすがに迫力がある。「イヤ、イカナイ」。もうまるで真剣勝負です。…
 …それで、最後のとどめは、もうギリギリの瞬間、あの天の啓示のように「オシッコー!」(笑声)、それはもう心の底から叫んで一目散に駆って行ったーその早かったこと……(笑声)。ともかくも皆さん、人間の内臓感覚とはいかなるものか、全部ここに尽くされている、と私は思います。…

『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)


「人間の内臓感覚とはいかなるものか、全部ここに尽くされている」と、三木成夫は語っている。すべてが、ここに尽くされている、と。

ここに「すべてが…?」と思いながら、人は、実際には、身体の(ここでは内臓系の)シグナルを正確に受けて行動するということは、思っている以上にできていないのではないか、という考えが、ぼくのなかに浮かぶのである。

三木成夫の言い方を借りれば、「麻痺している」のである。

三木成夫は、少し極端な言い方で、講演会の徴収に問いかけている。じぶんの体のなかにタンパク質がどれだけ足りないのか、動物タンパクか植物タンパクか、さらには脂肪がどれだけ不足しているか、といったようなことを、「ほんとうに素直に感受できる人間」がいたら、挙手してください、と。

そんな人はおそらく一人もいないはずであり、なぜなら「麻痺している」のだから、と三木成夫は語る。そのことが、三木の結論のひとつである。つまり、内臓感覚のいちばん麻痺しているのが、ホモ・サピエンスであるということである。


なお、三木は講演がすすんだところで、このことを、現代の神経学の用語を借りて、「神経回路を、どこかで取り違える」のだと述べている。「なにしろ、私どもの脳のなかには、それこそ天文学的な数の回路が、乱麻のごとく張りめぐらされているのですから……。絶望的な混線が起きる」のだと。

そして、上述の例をふたたびとりあげながら、膀胱の不快な感覚がひとつの回線をつたって、大脳皮質にたどりつくまでに、これが引き金で、いろいろな雑音(親のヒステリー声やお尻ピンや諸々の「不快」)が割り込んできては「正規の回路」をふさぎ、混戦がきわまってゆくのだと、三木成夫はつづける。これは「ほんとうに深刻な問題」であるのだと。

「膀胱感覚」は内臓感覚のうちのあくまでもひとつであり、胃袋の感覚などへのひろがりを考えると、「内臓感覚のいちばん麻痺している、ホモ・サピエンス」にとって、ほんとうに深刻な問題である。

このような「麻痺」、つまり神経回路の「絶望的な混線」から生じている問題は、じぶんの日々の「よき生(well-being)」をはじめ、他者とのかかわりを含めて、多岐にわたっているのではないかと、ぼくは見ている。でも、それが、人間の生に「ドラマ」を投げ込むものでもあるのだと、ぼくは思う。


ここから「どこへ」行くのか、と問う人がいるかもしれない。まずは認識からだと、ぼくは思う。生命を知ること。ホモ・サピエンスを知ること。「じぶん」を知ること。完全に知ることは無理でも、可能な地平まで。

ところで、ここで取りあげた箇所は、著書『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)の「最初」の章に収められており、またその元となった講演会の「最初」に触れられた話でもある。「最初」から、こんな調子である。

それは、まるで、ビートルズ(The Beatles)の名盤『A Hard Day’s Night』が、最初の曲「A Hard Day’s Night」の、あの短く高らかに鳴り響くギター音で幕が開けられるように、はじまっている。最初から聴く者(読む者)の頭のなかに、「革新(あるいは、核心)」を打ちこむのだ。

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身体性, 野口晴哉 Jun Nakajima 身体性, 野口晴哉 Jun Nakajima

「食べ過ぎの心理」について。- 「体を知り尽くしていた」野口晴哉の視点。

「食べ過ぎの心理」と聞くと、ついつい、知りたくなってしまう。ぼくはとくに「食べ過ぎ」をすることはないのだけれども、それでも、やはり知りたくなる。とりわけ、あの野口晴哉先生が語る「食べ過ぎの心理」となれば、なおさらのことだ。

「食べ過ぎの心理」と聞くと、ついつい、知りたくなってしまう。ぼくはとくに「食べ過ぎ」をすることはないのだけれども、それでも、やはり知りたくなる。とりわけ、あの野口晴哉先生が語る「食べ過ぎの心理」となれば、なおさらのことだ。

整体指導や体癖研究などを通じて体を知りつくしていた野口晴哉(1911-1976)が、専門外である「教育」について、整体協会における講座で語ってきたことの記録が、野口晴哉『潜在意識教育』(全生社、1966年)としてまとめられている。

この本のなかの「性格形成の時期」という章の一節(第四節)に、「食べ過ぎの心理ー乳児期の欠乏と潜在意識の方向」という文章がおかれている。

そのぜんたいと詳細は、この本を読んでほしいが、ここではいくつかのポイントにしぼって、書いておきたい。


他の著作を含め、野口晴哉は「体への信頼」ということを大切なこととして提示しているが、その視点がここでも貫かれ、<体は食べすぎることはできない>と述べている。


 眼が覚めたら起床し、腹が空いたら食べ、眠くなったら眠るというように、体の要求によって体を使ってゆくことを考えねばならない。体を信頼しないということを前提にした行動は、よいはずのことでも、力が発揮されないために逆になるということも少なくない。第一に体は食べ過ぎるなどということはできない。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年


もちろん、ここで語られる条件、「体の要求にしたがって」ということが肝要である。現代は、野口晴哉がこのことを語っていた時代にもまして、この条件を満たしてゆくことがむずかしいときだ。どうしても「頭」ばっかりが大きくなってしまい、上記の文章の直前に野口が書いているように、体のことに気を使い「食べ過ぎはしないか、働き過ぎはしないか、眠りが足らないのではないか」と意識でばかり考え過ぎなのである。そんなこんなだと、体が本来の力を発揮できないのだと、野口は書いている。

ともあれ、この条件を認識したうえで、それでも実際には食べ過ぎでお腹を壊す人たちなどを見ながら、野口晴哉は「人間の体の要求を超えてまだ要求があるのだろうか」と問いを立てながら、「食べ過ぎの心理」へと分け入っていくことになる。

そこで持ち出されるのが、この章「性格形成の時期」の論理展開の骨格をなしている「生後十三ヵ月間の問題」である。この時期が大切であること理由のひとつは、赤ちゃんが自分の意志を言葉によって表すことのできないこの時期に「潜在意識に与えた歪みは、大人になっても、意識以前の心の方向として働き続けるから」である。


生後13ヵ月以内の乳児の栄養とその与え方(質や量まで)、いくつかの状況事例などを概観しながら、この時期に、赤ちゃんの「体の要求によって食べるという自然の性質」のままに育ててゆくことで、大きくなっても食べ過ぎるということがないようになるのだと、野口晴哉は語っている。だから、たとえば、親が時間を定めて無理に食べさせるような仕方は弊害を生んでいく。

そのような事例が挙げられながら、とにもかくにも、いろいろな理由によって、食べ物の満ち足りない時期が何回かあると、赤ちゃんの潜在意識の方向が「体の要求によって食べるという自然の性質」からはなれていき、「満ち足りない時期」に備えるようになるのだという。こうして食べ物が与えられたときに「ともかく食べておく」という不備に備えた食べ方が形成されていくのだが、このことは逆に見れば、赤ちゃんの潜在意識に「欠乏」が刻印されることになるのだ。


…赤ちゃんの時代からその潜在意識の中にそういう欠乏を教えないことである。食べ物はお腹が空けば自然に与えられるというような、絶えず赤ちゃんに快い状況で、産まれてから十三ヵ月間を育てると、あまり意地の汚い子供にはならなくなると思うし、大人になってもそう食べ過ぎや飲み過ぎをやらなくなってゆくだろうと思う。
 みんな「食べ過ぎた、食べ過ぎた」と言うけれども、それはお腹の壊れるまで、ともかく詰め込んでいないと不安だったという、そういう不安をいつも抱えていた意気地のない気持ち、惨めな心の反映なのである。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年


体のことを知り尽くしていた野口晴哉が「食べ過ぎの心理」を<欠乏感>に見出したことに、ぼくは学びとともに、深い納得感を得る。体のことを知り尽くしていても「心」は知らないんじゃないかという声が出るかもしれないが、そうではない。体のことを知り尽くしていたからこそ見出される「心」なのだ。つまり、冒頭に書いたように、<体は食べすぎることはできない>ということを知っているからこそ、そこを基礎として<欠乏感>という不安にたどりついたのであった。


「食べ過ぎの心理ー乳児期の欠乏と潜在意識の方向」の節を、野口晴哉はつぎのように閉じている。


 今日のように何でも潤沢にある世の中になっても、そういう気性が残るのは、逆にいえば潜在意識内の欠乏を埋めようとする絶え間ない動きで、そういうものが仕事の上に、何とかもう一つやってやろうというようになるのだと思うので、或る意味の欠乏は子供の向上心をつくる上に悪いとはいえないけれども、食べ過ぎるようになるまでに欠乏に追いやることは考えものだと思う。しかし食べ過ぎということは本当はないはずで、あり得ないのである。それなのにあるということは、それは体の自然の現象ではなくて、潜在意識教育の結果、親が子供の体を歪めてしまったためである。

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年


「潜在意識内の欠乏を埋めようとする絶え間ない動き」は、食べ過ぎることに限らず、さまざまな分野・領域にまでひろがっている現象であるように、ぼくは思う。野口晴哉が書くように、「或る意味の欠乏」は向上心とつながるのであろうが、欠乏感と向上心の組み合わせは、とても気をつけなければならない。このような「欠乏感」を、世界の「豊饒さ」への感知へと置き換えながら、ぼくたちの「体」への信頼を含め、人生や世界を信頼してゆくことのなかに、ぼくたちは「世界」の違う風景を見るのだ。

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宇宙・地球, 身体性 Jun Nakajima 宇宙・地球, 身体性 Jun Nakajima

三木成夫「生命とリズム」のことばから。- 人間の原形と地球・宇宙のリズムの共振。

「三木成夫の著書にであったのは、ここ数年のわたしにひとつの事件だった」と、かつて、思想家の吉本隆明(1924-2012)が深く影響を受けることとなった、解剖学者の三木成夫(1925-1987)の研究と著作。

「三木成夫の著書にであったのは、ここ数年のわたしにひとつの事件だった」と、かつて、思想家の吉本隆明(1924-2012)が深く影響を受けることとなった、解剖学者の三木成夫(1925-1987)の研究と著作。

三木成夫が「人間の生命」について書いた文章は、とても美しい(もちろん、きわめて論理的でもある)。

「人間生命の誕生」(『生命とリズム』河出文庫に所収)では、「人間の生命形態」について、植物と動物との比較において追求されている。

三木成夫の拠って立つ「ゲーテ形態学」における方法論に基礎をおきながら、つまり、人間の<すがたかたち>(人間の原形)を知るために、人間と植物と動物の三者に共通する「生過程の原形」を求めたうえで、その原形の「人間における変容(Metamorphose)」を追求する方法で、人間生命にせまってゆく。


なお、三木成夫は、「自然を眺める人間の眼」には、<かたち(すがたかたち)>に向かうものと、<しくみ(しかけしくみ)>に向かうものの二種があるとしながら、これらは「左右の眼の使い分け」によって、ひとつのものが生きたもの/死んだものとなるとし、前者を<こころの眼>、また後者を<あたまの眼>と呼んでいる。

そして、ここで「人間生命」と三木が言う時、それは人間のもつ独自の<すがたかたち>のことである。この<すがたかたち>の学問体系がゲーテ形態学によって確立され、ゲーテは人間独自の<すがたかたち>を「人間の原形」と呼んで、この解明に生涯を賭したのだという(ゲーテは、文学者というだけでなく、科学者でもある。三木も、自然科学者でありながら「文学的」であるとぼくは思うが、真の知性たちは追い求めるもののために「境界を越境する」)。


さて、三木成夫は、「生過程」を、「「成長」と「生殖」の位相交替のはてしなく続く、ひとつの波形として描き出すことができる」としている。

成長と生殖の営み、つまり「食と性」は、もちろん、植物と動物とでは異なる。

三木の「まなざし」の興味深さは、動かないままに「合成能力」によって生を営む植物の視点から、その能力を「欠いた」ものとして動物の営みを記述している。動物は、合成能力がないから「動く」ことで草木の実りを求め、また合成能力の代償として「運動と感覚」の機能が身についたのだと説明している。

この「植物」にかんすることばがとても美しく、ぼくには感じられる。


 植物はしたがって、完全に無感覚・無運動の、言ってみれば覚醒のない熟睡の生涯を永遠に繰り返してゆく生きものということになるのであるが、…しからばいかにして歳月の移り変わりを知ることになるのであろうか?それはこの植物を形成するひとつひとつの細胞原形質に「遠い彼方」と共振する性能が備わっているから、と説明するよりほかないであろう。巨視的に見ればこの原形質の母胎は地球であり、さらに地球の母胎は太陽でなければならない。
 …細胞原形質には、遠くを見る目玉のない代わりに、そうした「遠受容」の性能が備わっていたことになる。これを生物の持つ「観得」の性能と呼ぶ。植物はこのおかげで、自らの生のリズムを宇宙のそれに参画させる。

三木成夫『生命とリズム』河出文庫


ぼくたちの「眼」は、物事を分節しながら「世界」を認識してゆくから、植物は植物、地球は地球、太陽は太陽、宇宙は宇宙、といった具合に、対象を別々に理解している。個人主義的な社会のなかではさらに物事を「個体」として看取していくから、対象は「別々」である。

そのような「世界」認識を、生命が持つ「観得」の性能は連関するものとしてとらえる。植物は、「自らの生のリズムを宇宙のそれに参画させる」のだ。


ここのところ、NASA「InSight」による見事な火星着陸に触発されて、ブログを書いている。火星や月や星空のことなどを書いているのだけれど、それは「宇宙」というカテゴリーのもとに、じぶんの、あるいはじぶんをとりまく生命たちと「別々」のこととして考えているのではないことを、三木成夫のことばをガイドに、いまこうして、もうひとつのブログを書いている。

宇宙や太陽系の形成と発展という視点からみれば、その形成と発展のなかに、現在のかたちとしくみの「地球」とその生命体たちが存在しているのであるから、地球とその生命体たちが宇宙のリズムと共振していることはなにも不思議なことではない。

三木の研究とことばは、それとはちょうど逆の仕方で、つまり植物と動物と人間という生命体たちを起点としながら、それらの生過程のなかに宇宙とそのリズムをとりこんだ視点で説明してくれている。

真木悠介(社会学者の見田宗介)の描く「現代人間の五層構造」(生命・人間・文明・近代・現代)の要諦は、現代の人間はそれらを「かけあがってきた」のではなく、どんな現代の人間においても、これらの五層が<共時的に生きつづけている>ということである。

この五層における人間のいちばん基底にある「生命」としての層が、宇宙/太陽系のリズムとともに、いまも生きつづけている。


植物につづいて「動物」はどうであろうかと、三木成夫は文章を展開させてゆく。


…その原形質もまた宇宙のリズムに乗って自らの食と性を営んでゆくのであるが、ここではさらに、その時々の原形質の欠乏を満たす糧を、それがたとい五感の及ばぬ遥か彼方のものであっても、それを的確に観得し、それに向かって運動を起こす。つまり成長繁茂・開花結実という生過程にのみ結ばれた植物の「観得」の性能は、動物ではさらに餌と異性に向かう個体運動(locomotion)にまで結ばれることになる。かれらが日月星辰のリズムに乗って、ある時は大空を渡り、ある時は急流を遡り、それぞれ彼方の見えぬ「食と性」の目標に向かってあたかも生磁気に牽きよせられるがごとくに進んでいくーいわゆる“鳥の渡り”とか“魚の産卵”に見られる動物の「本能」とは、まさにこの「遠観得」の性能に依存するものであることがここで判明した。

三木成夫『生命とリズム』河出文庫


動物の「観得」はここにとどまらず、感覚・運動の回路を通じて「外界」を形成し、人間にいたっては無限の「世界」にまで拡大されるとしながら、三木は、人びとは植物原形質が観得した「遠のおもかげ」を見出すことができるのであると説明している(論理の展開の詳細は本書をご参照ください)。


これからの時代と生きかたをきりひらいてゆくうえで、三木成夫が追い求めたものと彼のことばは、とてもたくさんの教えを与えてくれているように、ぼくは思う。

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香港, 身体性 Jun Nakajima 香港, 身体性 Jun Nakajima

香港で、「(家で)冷房を使用しない生活」をしながら。- なるべく自然な風に身体をひたして。

香港は朝晩は少し肌寒くなってきた(とは言っても気温では20度前後)ところですが、ふと、2018年の香港の夏も、ここ過去5年ほどと同様に、家で「冷房・エアコン」を使わずにすごしたことを思いました。


香港は朝晩は少し肌寒くなってきた(とは言っても気温では20度前後)ところですが、ふと、2018年の香港の夏も、ここ過去5年ほどと同様に、家で「冷房・エアコン」を使わずにすごしたことを思いました。

今年の夏も、家では冷房をつけず、扇風機(兼、通風機)だけですごしたことになります。

朝晩は少し肌寒くなっても、お昼頃には25度前後まで気温があがり、陽射しはまだ夏の余韻をのこしているので、扇風機(通風機)は風をよわくして、(街中ではクリスマスの飾りが所々で見られる)11月になっても使っています。


「香港で冷房・エアコンを使用せずに過ごしていること」を香港に住んでいる人たちに伝えると、複雑な表情が返ってきたりします。

その背後には、やはり、とても蒸し暑い香港の気候が横たわっているわけです。

「そんなことしなくても…」というところでしょうか。

ぼくとしてはストイックさを追求しているわけでもないし、このことを自慢するようなことでもないし(「自慢」することなんてなにもないのですが)、ただ、香港のショッピングモールやオフィスや諸々の施設などが年がら年中冷房がふきわたっているため、身体をきづかい、せめて家くらいはできるだけナチュラルにと思ってはじめただけでした。

「環境にやさしく」ということは思わないでもないのですが(将来はもっと自然との共生を突きつめてゆきたいと思いながらも)、いまは扇風機を動かしてますし、とても暑い日は上述のような場所で冷房にあたることもあるので、そのような高尚なことを掲げる気はありません。

あえて言えば、とても蒸し暑い日はやっぱり暑いと感じながら、でもどこかで楽しみながら、冷房・エアコンを使用しない生活をおくっていたのです。

なお、冷房・エアコンを「使用していない」ということは、冷房・エアコンが「ない」ということではありません。

冷房・エアコンは「ある」のであり、その気になれば、スイッチオンすることができます。

そんなわけで、ふと気がつけば、今年の「香港の夏」も、家で冷房・エアコンを使わずに夏をのりきったなぁと、まだ陽射しがつよくふりそそぐ香港で、思ったのでした。


とは言いつつも、注意書きとして追加的に書いておかなければいけないのは、香港のどこでもできることではなくて、ぼくの住んでいるところが、風通しのよくて、比較的静かなところだから、このようなことを選択することができるということです。

どこの都会も似たようなところがあると思いますが、香港の高層マンションが密集していて、車通りがはげしかったりする場所ですと、空気や騒音などの問題があります。

ぼくの住んでいるところの周りは海や緑がひろがっているため、窓をあけひろげて、自然な空気をじゅうぶんに部屋にまねくことができることが、冷房・エアコンを使わない選択肢を準備してくれるものなのです。


より自然な空気のなかで生活していると、やはり、身体がそれに順応していきます。

それと同時に、しかし、冷房・エアコンの環境に対する「慣れ」が減じていくようなところがあるため、上着などを用意して柔軟に対応しようと心がけるのですが、それでも冷房による独特の「冷え」が身体にひびくことがあります。

そのような「結果」や「影響」を(文字通り)体験しながら、いろいろと感じたり、楽しんだり、考えたりしています。

「エアコン」を人間が発明し(たしか、最初に産業用として使われたようなことを、ある作家が語っていた)、それが都会生活のすみずみにまで行き渡りながら、人間は、生活し働くことの、大きな可能性をおしひろげてきました。

「エアコン」がなくなったら、現在の世界の経済活動などは、かなり減速してしまうだろうし、影響ははかりしれないと思うところです。

でも、それが、人間の身体という「内部の自然」と、地球環境という「外部の自然」との臨界線に、さまざまな問題や課題を生成させていることも事実です。

とはいえ、そのようなことのはるか手前のところで、ぼくは、なるべく自然の風にこの身体をひたすことを望んで、家の窓をあけひろげているのです。

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三木成夫の著書との出会い。- それは、「ひとつの事件」(吉本隆明)である。

解剖学者の三木成夫(1925-1987)。

解剖学者の三木成夫(1925-1987)。

三木成夫先生の著作との出会いは、確かに「ひとつの事件」であった、としか言いようのない出来事である。


三木成夫のことを知ったのは、加藤典洋の大きな仕事、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)という著書においてである。

「有限な生と世界を肯定する力を持つような思想」をきずきあげること、という、社会学者である見田宗介の提起する課題を真摯にひきうけながら、その方向へと歩みをすすめた著書。

この本の終盤、加藤典洋が「この考察をどこで終わればよいのか」と自問しながら、書きすすめていくなかで、吉本隆明(1924-2012)の著書『アフリカ的段階についてー史観の拡張』を素材のひとつとしてゆくところで、吉本隆明が三木の「解剖学的な人間観」にヒントを得ていたということが語られている。


 吉本の『アフリカ的段階についてー史観の拡張』における「動物生」といういい方、またその「精神史」と「外在史」という考え方の全体は、その最初のヒントを、この三木の解剖学的な人間観から受け取っている。吉本は、1990年代初頭に、三木の著作と出会い、彼自身のかつての言語学的な、また心的現象学的考察が、もう一つ深い発生学的な人間観、世界観へと踏み込めるのではないかと考えた。先に見た吉本の歴史観の更新の提言は、じつはそこから生まれてきたものにほかならない。…

加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)


その吉本隆明は、「三木成夫の著書にであったのは、ここ数年のわたしにひとつの事件だった。」と、三木が亡くなったあとに出版された著書『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院、1992年)の「解説」に書いている。

さらに、「…知識に目覚めはじめの時期に、もっとはやくこの著者の仕事に出あっていたら、いまよりましな仕事ができていただろうに…」と後悔の念をいだくこともあったというほどに、吉本隆明の思想にとって、決定的な影響をもったようだ。

吉本隆明のことばをそのまま借りれば、三木成夫の著書との出会いは、ぼくにとって「ひとつの事件」であったとも言える。


とはいえ、ぼくがようやく読み終わったのは、三木の生前に出されていた著作(2冊のみ)の一冊(『内臓のはたらきと子どものこころ』の文庫版)、『内臓とこころ』(河出書房新社、2014年)である。

三木の著作のうち、はじめて出版されたもので、講義録である。

読みながらこまったのは、ハイライトしたい箇所がいっぱいありすぎること、さらにBookWalkerの電子書籍で読んでいるのだけれど、ハイライトできる数なり量なりが限定されているので、途中でハイライトできなくなってしまったことである。

なにはともあれ、それほどにひきこまれてしまったのだけれど、では三木成夫は何を語り、なにがすごいのかというのは、まとめるのがむずかしい。

まだぼく自身のなかで混沌としていることが理由のひとつだけれど、他方で、解剖学をはみだしてゆく三木成夫の「思想のひろがりと深さ」が大きな理由でもあるだろう。


1978年ころにたまたま三木に出会うこととなった松岡正剛は、生前に発刊されたもう一冊の三木の著作『胎児の世界』(中公新書、1983年)をとりあげて語るなかで、三木成夫はもともと解剖学者であること、しかし、ゲーテを愛した形態学者であり、徹底した反還元主義者であり、言霊主義者であり、そしてタオイストであったとしている(松岡正剛「胎児の世界」、Webサイト『松岡正剛の千夜千冊』)。

また、三木の弟子といわれる布施英利は、著書『人体 5億年の記憶:解剖学者・三木成夫の世界』(海鳴社)にかんするインタビューの冒頭で、三木成夫の解剖学の「ユニークさ」について、つぎのように語っている。

布施 「…三木成夫がユニークなのは解剖学全般の研究をすべて体系化しようとしたことにあります。だから、人間や動物だけじゃなく、植物とか、星も出てきちゃう。それらをある意味で人体に集約させているわけですよ。そこに人間の胎児を扱う発生学、もっとずっと長いスパンで過去を遡る進化の視点も取り込んでいく。比較解剖学は今生きている猿や魚なんかを比べるという横の比較なのに、そこに(発生学や進化の)縦の比較も全部含めちゃうから、何かの思想のように見えちゃうわけですよ」

「五億年の生命の記憶から人体がわかる!解剖学者・三木成夫を解き明かすその弟子・布施英利インタビュー」、Webサイト『TOCANA』


三木が務めていた大学の学生たちも、松岡正剛も、布施英利も、養老孟司も語っているように、三木成夫は相当に変わった人(おもしろい人)だったようである。

養老孟司は、また三木成夫の時代がやってくるという予感をいだいているようだが、ぼくもその「予感」を感じ、その「予感」のうちに、三木成夫の著書を読む。

三木成夫の著書との出会い、それは「ひとつの事件」である。

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「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」(飯島勝矢)。- 「歩く」ということ。

誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。

誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。


糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)の企画「糸井重里が知りたいことシリーズ vol.1」、その冒頭に掲げられていることばである。

ぼくは、このことばを見て、そこにまったくじぶん勝手な意味合いを与えて読んでいくことになるのだけれど、そのことはあとで書くことにして、ともあれ、第一回のテーマは「歩く」である。

「糸井重里が知りたいことシリーズ 」は、糸井重里が「知りたいこと」をテーマとして選び、専門家、また一緒に学んでほしい方を交えての、座談会形式ですすめられる。

第一回のテーマ「歩く」では、東京大学で「老い」(老いによる衰弱)を研究している飯島勝矢先生(著書に『東大が調べてわかった衰えない人の生活習慣』)、またカンニング竹山を迎えての座談会である。


飯島勝矢は自身の著書にふれながら、つぎのように語る。


飯島 …本の中でも「歩く」だけで健康になれるとはまったく書いていません。歩くという動作や手法というよりも、「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」、そういうことが大事だと話をしています。

第一回「運動神話」「糸井重里が知りたいことシリーズ vol.1」『ほぼ日刊イトイ新聞』


飯島勝矢の研究は「フレイル(衰弱)」ということにあり、ここではその研究結果のひとつを紹介している。

詳細はこの座談会記録を読んでいただくのがよいと思うが、65歳以上の自立高齢者を対象とし、「何を生活習慣に取り入れているか」を調査して、「要介護一歩手前の状況なのか全く問題ないのか」を見ていったという。

この調査における「生活習慣」でとりあげられたのは、「運動習慣(ウォーキングやジムなど、ひとり黙々とする運動)」「文化活動(囲碁や将棋など)」「地域ボランティア活動」の、3つの活動である。

この調査結果の中で「いちばん驚いた」のは、「運動習慣」だけの人は、「地域ボランティア」や「文化活動」をしている人よりも3倍くらいリスクが高い、ということであったという。

つまり、ふつうの見方をすれば、「運動習慣」がある人がリスクが低いと思うけれど、それとは逆の結果が出たのである。


ここでのポイントは、飯島勝矢自身が解説しているように、「人とのつながり」である。

「地域ボランティア」や「文化活動」は、「人とのつながり」を基盤とし、醸成している。

だから、ひとりで黙々とする運動ではなく、「誰と歩くのか、ワイワイと歩けるのか」ということが大切だということになる。


というようにして、飯島勝矢のコメント、およびシリーズ vol.1のタイトルに戻ってくる。


誰と「歩く」のか。たのしく「歩いている」か。


「ワイワイ」ということばはイメージがわきやすく、魅力的でもあるけれど、「ワイワイ」していない人たちを除外するようにも聞こえるから、「たのしく」の方がより包括的な表現である。

ところで、ぼくは、座談会の内容を読む前、このタイトルを見たときに、このタイトルに別の意味を勝手に与えてしまっていたのである。

ぼくは、「運動習慣」的な「歩く」ではなく、「人生」的な<歩く>というようにこのタイトルを解釈して、惹かれたのであった。

ぼくたちが人生を<歩く>なかで、「誰と」歩くのか、そして、「たのしく」歩いているか。

そのようにタイトルを「読んで」、座談会のやりとりを読みはじめ、「そう(ぼくの解釈)ではないんだ」と思いつつ読みすすめ、次第に、「いや待てよ」の感覚がわきあがってくる。

飯島勝矢が「人とのつながり」ということに言い及んだとき、ぼくの解釈でもいいんじゃないかと、思い直したのだ。


人生の道ゆきを<歩く>とき、「誰と」歩くのか、そして、「たのしく」歩いているのか、ということが大切であることと同じに、ふだん運動などで「歩く」とき、「誰と」歩くのか、そして「楽しく」歩いているのか、ということが大切である。

人生の道ゆきを<歩く>ように、ぼくたちはなんでもない道を「歩く」ことができるし、逆に、なんでもない道を「歩く」ように、ぼくたちは人生の道ゆきを<歩く>ことができる。

そんなふうにして歩きながら、じぶんへの問いがやがてやってくる。


<誰と>歩くのか。<たのしく>歩いているか。


生きるということは、ある意味において、たぶん、そのようなことだけでもあるように、つい思ったりしてしまう。

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「人間は自由か、運命・宿命に導かれているか?」の問い。- 内田樹が解釈する武術家甲野善紀のことば。

武術家の甲野善紀(こうのよしのり)。

武術家の甲野善紀(こうのよしのり)。

アジアを旅し、ニュージーランドに住んだのちに、「身体論」ということに関心をもちはじめていた2000年頃に、ぼくは武術家甲野善紀の名前を知り、著作を手に取った。

武道や武術をするわけでもないぼくは、それでも「身体」ということにひかれ、甲野善紀にたどりついたのであった。

名前をどなたかの著作で知り甲野善紀の本を取ったのか、あるいは著作を手に取って甲野善紀の名前を知ったのかは、正確には覚えていない。

また、どの著作を最初に手に取ったのかもよく覚えていないけれども、養老孟司と甲野善紀の対談の本(『自分の頭と身体で考える』)を手に取ったことを、ぼくは覚えている。

いずれにしろ、ことばのなかに、探求者であり、芯の通った、凛とした響きを感じたものだ。


甲野善紀を尊敬する思想家・武道家の内田樹は、甲野善紀『武術の新・人間学』の文庫版解説(「ご縁の人・甲野先生」)を書いていることを他の著作で知り、そこで語られることばに、ぼくは惹かれる。

甲野善紀の武術稽古の始まりには、「人間は自由か、それとも宿命に操られているか」という問いがあったことに、内田樹は照明をあてながら、つぎのように書いている。


 人間は自由なのか、それとも宿命の糸に導かれているのか?
 それについて甲野先生がたどりついた答えは『人間は自由であるときにこそ、その宿命を知る』ということであった。私はこの洞見に深い共感を覚えるものである。
 自由と宿命は『矛盾するもの』ではなく、むしろ『位相の違うもの』である。ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる。私はそのように考えている。

内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)


「人間は自由か、それとも宿命に操られているか」という問いは、古今東西、さまざまに問われ、回答が試みられてきたものである。

しかし、問いそのものの違和感と回答の歯切れのわるさのようなものを感じることがよくあり、ぼくはそもそもの問いの立て方に無理があるように思ったりしていた。

そのことを、『位相の違うもの』として捉える内田樹の思考に、ぼくも同じことを考えつつ、「ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる」ということばに慧眼を見る。

なお「自由」などということばは、とかく観念論の深みにはまっていってしまいがちなのだが、武術や武道という「身体」というものが、ある種のストッパーとして、観念の罠から距離をつくっているように思う。

内田樹は、さらに、つぎのように書いている。


…自由であるというのは、ひとことで言えば、人生のさまざまな分岐点において決断を下すとき、誰の命令にも従わず、自分ひとりで判断し、決定の全責任を一人で負う、ということに尽くされる。
 他人の言葉に右往左往する人間、他人の決断の基準を訊ねる人間、それは自由とは何かを知らない人間である。そのような人は、ついにおのれの宿命について知ることがないだろう。
 おそらく甲野先生が『運命の定・不定』の問題についてたどりついた答えは、そのような決定的に単独であることを引き受けた人間にだけ、宿命は開示されるということではないか、と私は解釈している。…

内田樹・釈撤宗『いきなりはじめる仏教入門』(角川ソフィア文庫、2012年)


この文章はこれにつづいて「ご縁」ということにつなげられてゆくのだけれども、その手前のところで、「自由」ということばを具体化することにより、「ほんとうに自由な人間だけが、おのれの宿命を知ることができる」ということの意味をいっそう鮮明にしてくれる。

なお、この文章は宗教学者の釈撤宗に宛てられたものであり、のちに、釈から内田樹に返信された文章にあるように、別のことなる光をいろいろな角度からあててゆくこともできる(が、ここではこれ以上立ち入らないことにする)。


自由と運命・宿命という関係性は、だれも(おそらく)「正しい」回答を提示できるものではないし、だれも(おそらく)それぞれの論拠を「証明」できるものでもない。

それでも、人にとって、自由だとか、運命・宿命だとかの「位相」は、生きる道ゆきのなかで、とても「切実なこと」として現れてきたりするのであって、それら「切実さ」に寄り添いながら、じぶんのものとして、じぶんの「生きかた」のなかに獲得してゆくことばであるように思う。

甲野善紀のことば、内田樹のことばから、そのようなことを学び、かんがえさせられる。

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「体育座り」について、ふたたび。- 内田樹の読みとくフーコーと竹内敏晴らを素材としながら。

「体育座り」(あるいは「三角座り」)について、その「体育座り」を相対化し、そして止めることについて、以前のブログ(「「体育座り」を止めること。- 海外の環境が助けてくれる「unlearning」のプロセス。」)で書いた。

「体育座り」(あるいは「三角座り」)について、その「体育座り」を相対化し、そして止めることについて、以前のブログ(「体育座り」を止めること。- 海外の環境が助けてくれる「unlearning」のプロセス。)で書いた。

海外に出て、たとえば旅の途中で、あるいは西アフリカのシエラレオネで、また東ティモールで、小学校の子供たちを見たり接していたときも、「体育座り」を、ぼくは目にしなかった。

そのような実際の経験も手伝って、ぼくが小さいころ「ふつう」だと思っていたことがそうではないということを考えていたのであった。

日本の姿勢治療家である仲野孝明が「体育座りは、今すぐ止めなさい!!」とブログで書いているのを読んでいて、ぼくは海外での経験を思い出したのである。


この「体育座り」について、竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)が著書『思想する「からだ」』で書いていることを、思想家の内田樹の文章から知った。

竹内敏晴は、体育座りによって、いわば「手も足も出せない」ように子供が自身で自分を縛りつけていることを指摘する。

そのうえで、この姿勢が「息を殺している」姿勢であること、息をたっぷりと吸うことができない状態であることを述べている。


内田樹は、フランスの思想家ミシェル・フーコーを下敷きにしながら、竹内敏晴のことばを踏まえて、つぎのように書いている。


 生徒たちをもっとも効率的に管理できる身体統御姿勢を考えた末に、教師たちはこの坐り方にたどりついたのです。しかし、もっと残酷なのは、自分の身体を自分の牢獄とし、自分の四肢を使って自分の体幹を緊縛し、呼吸を困難にするようなこの不自然な身体の使い方に、子どもたちがすぐに慣れてしまったということです。浅い呼吸、こわばった背中、痺れて何も感じなくなった手足、それを彼らは「ふつう」の状態であり、しばしば「楽な状態」だと思うようになるのです。
 竹内によれば、戸外で生徒を坐らせる場合はこの姿勢を取らせるように学校に通達したのは文部省で、1958年のことだそうです。これは日本の戦後教育が行ったもっとも陰湿で残酷な「身体の政治技術」の行使の実例だと思います。

内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)


ここで「身体の政治技術」ということは、フーコーの提示した考え方をもとにしている(「構造主義」のよき入門書である本書はとてもわかりやすく、この考え方を紹介してくれている)。

フーコーの考え方を基礎に、内田樹は近代日本、明治政府における、軍事的身体加工の「成功」(農民たちを兵士に仕立てあげて勝利した西南戦争の成功)を経て、「体操」を学校教育の現場に導入した過程を、わかりやすく追っている(ここはぜひこの本を直接に読んでいただきたい)。


 近代国家は、例外なしに、国民の身体を統御し、標準化し、操作可能な「管理しやすい様態」におくことー「従順な身体」を造型することを最優先の政治課題に掲げます。「身体に対する権力の技術論」こそは近代国家を基礎づける政治技術なのです。

内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書、2004年)


海外に出て、より「不思議」に思っていた「体育坐り」ということを、姿勢治療家である仲野孝明が指摘する「健康」にかんする文章によって、ぼくの脳内のシナプスがつながった。

この「問題意識」が、フーコーの考え方で読み解く「身体」、また竹内敏晴の徹底した「身体実践」を架橋しながら、武道家でもある内田樹によってわかりやすく説明され、さらにシナプスが接合されてゆく。

「日々の生活」の功利的視点から入り、人類の歴史、そして学校教育にまで貫徹してゆくことで、よりひろがりと深さをもった視座で、「体育坐り」を見渡すところまでくることができたように思う。

その「地点」から見渡す「体育坐り」について、その理解の流れとポイントのみをメモとして、「ふたたび」のブログをここで書いた。

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「自然はじつは割り切れない」(養老孟司)。- 「男女の違い」を説明する論理。

本をひらいて、ページを数ページ繰ってゆくだけで、ぼくにとって、いつもなんらかの「気づき」や洞察をあたえてくれるような本を書く人たちがいる。

本をひらいて、ページを数ページ繰ってゆくだけで、ぼくにとって、いつもなんらかの「気づき」や洞察をあたえてくれるような本を書く人たちがいる。

そのような人たちは、例えば、真木悠介(見田宗介)であり、野口晴哉であり、河合隼雄である。

また、解剖学者の養老孟司もそのひとりである。

「脳化社会」というコンセプトは、人間や自然や社会を視るうえでの切り口のひとつとして、20年以上前からぼくの思考の「道具箱」にきっちりとおさめられ、適宜使われているものである。

「男と女はどこが違うか」(『男の見方 女の見方』PHP文庫)を論じる養老孟司の視点も、あいかわらず、鋭い。

養老孟司は、この問題に、「身体的な違い」という中立点を設けることできりこむ。

身体という「中立の観点」を設定することで、「男と女」という、文学的、社会的、個人的、自然科学的な主題として際限のないトピックを「まとめる」ことを企図する。

考え方や感じ方の違う男女の違いは「脳のはたらきの違い」であり、それはつまり「身体の違い」となるわけだ。

 

「男と女の違い」を説明してゆく養老孟司は、それがもともと、二つの点において「面倒」であることを述べている。

  1. 男女の違いは「自然に生じた」ものだが、自然の困る点は「ものごとがきれいに割り切れない」こと
  2. 「自然は割り切れる」という偏見の存在

身体的な男女の違いのように簡単に割り切れそうなこともそれほど簡単ではなく、また男女ははっきり分かれているという偏見がすでにあること。

「自然のものごとがきれいに割り切れない」例として養老孟司が挙げるのは、生死のことである。

何をもって死とするかは実はそれほど明確ではなく、心臓死をもって死とすることで、「わかりやすい」ものとなる。

それは、人間がそのように「決める」ことによってである。

 

…社会はそうした人間の取り決めでできている。したがって社会はわかりやすい。それをわかりにくくしているのは、むしろ自然である。ところが現代社会は、自然の持っているそのわかりにくさを、自然を「排除する」ことで、すっかり隠してしまった。
 だから、現代人は、ほとんど社会の論理、すなわち人工物の論理しか使っていない。この人工物論理は、ものごとをきれいに割り切る。しかし、その論理をそのまま自然にあてはめると、しばしば使いものにならない。…
 自然はじつは割り切れない。だから、男女の差も、生死と同様、絶対的なものではないのである。

養老孟司・長谷川眞理子『男の見方 女の見方』PHP文庫

 

こうしてはじまる「自然を割り切らない」養老孟司講義は、気づきと洞察に充ちている。

なお、「男女の違い」においても、そこに<自然を排除する>思考たちがあることはまた別の、しかし密接に関連する大きなトピックとしてあることを書いておきたい。

 

ところで、男女の身体的な違いを説明してゆくなかで、上述の「自然は割り切れる」という偏見に加え、男性中心主義のよる偏見、さらには「機能中心主義」という偏見を、養老孟司はあぶりだしている。

挙げられる例は「骨盤」のトピックで、多くの教科書が男性の骨盤を基準として捉え、また「女の骨盤をお産に適合した形」と書く。

後者は、その「はたらき」(機能)を重視するからである。

 

…しかし、形を考えるときに、はたらきばかり考えると、わかりはいいのだが、しばしば誤解を生じる。「なんのために」という説明は、人間が作ったものについては、よく当てはまる。なぜなら、人間は、ものをある目的で作り出すからである。しかし、自然の存在については、そう簡単に「目的」がわかるとはかぎらない。そんな目的など、まったくないかもしれないのである。

養老孟司・長谷川眞理子『男の見方 女の見方』PHP文庫

 

人間が「脳化社会」にすっぽりと入り込んでしまうときに陥ってしまいがちな思考の癖や偏見を、「自然」を置いてみることで、相対化している。

「思考の道具箱」に入れておきたい視点であると、ぼくは思う。

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身体性, 言葉・言語 Jun Nakajima 身体性, 言葉・言語 Jun Nakajima

竹内敏晴のレッスンにおける「たった一つの出発点」。- ルソーの言葉に混乱しながらの、気づき。

竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)。

竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)。

その竹内敏晴が、ルソーの晩年の作品『孤独な散歩者の夢想』のある箇所を読んでいて「ぎょっ」とした体験を、著書『「からだ」と「ことば」のレッスン』(講談社現代新書、1990年)のなかで、書いている。

この言葉に、かなり長い間、竹内敏晴はこだわりつづける。

 

まずは、その、ルソーの言葉である。

 

…人間の自由は、自分の欲することをなすことにあるなどと、僕は一度も思ったことはない。ただ、自分の欲しないことをなさないことにあると思っている。

ルソー『孤独な散歩者の夢想』青柳瑞穂訳(新潮文庫)

 

「したいことをすること」ということが自由であることだと思っていた竹内敏晴は、これ以後、「欲しないことをなさないこと」という言葉にこだわりつづけてゆく。

「竹内レッスン」と呼ばれる、「からだ」と「ことば」のレッスン(「話しかけ」のレッスン、「並ぶ」「触れる」「押す」レッスン、緊張に気づくレッスン、声とことばのレッスン、「出会い」のレッスン」など)という、「人が変わること」の具体的な方法を展開しながら、竹内敏晴はルソーの投げかけたことばの「意味」を問うことをしていったのだ。

竹内敏晴はそうして、じぶんなりの「気づき」を得てゆくことになる。

 

…したいことは容易に見つからないが、したくない、って感じは、人はすぐ感じとることができる。たとい単なるわがままだと言われるような次元のことでも、たしかに、そこに、その人がいるのだ。それを大切にすることから出発すれば、自分が現れてくる。見えてくるのではあるまいか。むしろ、現代では、まじめな人ほどやっていることを自分が好きか嫌いかなどと感じてみようともせず、ただやらねばならぬことだから一所懸命にやる、という訓練のうちにからだを凝り固まらせてしまっているのではないか。

竹内敏晴『「からだ」と「ことば」のレッスン』講談社現代新書、1990年

 

そうして、竹内レッスンの場にいる間は「イヤなのか好きなのか」を、からだに問うということをして、「イヤなことは捨てる」ということをしようとする。

そのことが、<たった一つの出発点>なのかもしれないと、竹内敏晴は書いている。

 

「ただやらねばならぬことだから一所懸命にやる」という<身体たち>をいっぱいにつくりだしてきた「社会」は、竹内敏晴がこの文章を書いた1990年頃以降も手をゆるめることなく、一見自由に見える個々人の身体たちを凝り固まらせているように、ぼくには見える。

それらに気づき、ときほぐし、「イヤなことは捨てる」という消去法を出発点としてきた竹内敏晴の方法に、ぼくは惹かれる。

じぶんに何かを「加えること」ばかりを推進する社会の力学から解き放たれ、消去法のうちに、じぶんの「からだ」と「ことば」に向き合う。

「消去」は、「加えること」よりも、時間も労力も要するものかもしれない。

でも、「じぶんを生きていく」ということにとって、それは大切なことであり、竹内敏晴が言うように、ある意味で、<たった一つの出発点>でもあるかもしれないと、ぼくは思う。

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言葉・言語, 身体性 Jun Nakajima 言葉・言語, 身体性 Jun Nakajima

「挨拶」のことばの届き方。- 東ティモールでの挨拶の「声」と「ことば」に心身を揺り動かされて。

東ティモールに住んでいたときに、ぼくの心身が揺さぶられたこととして、「挨拶」ということがあった。

東ティモールに住んでいたときに、ぼくの心身が揺さぶられたこととして、「挨拶」ということがあった。

挨拶のことばの響き方であり、より正確には、挨拶のことばの「届き方」であった。

「届き方」ということは、ある人がある人に挨拶のことばを届けるとき、その「ことば」がどのように伝わってゆくのかということである。

東ティモールの人たちの「挨拶」は、そのことばと響きが、直球で、かつそこに生きることの原初的な歓びをもって、ぼくの心身に伝わってくるような、そのような挨拶のことばであった。

 

東ティモールで話される言語は「テトゥン語」と呼ばれる言語である。

しかし、日常に交わされる言葉の中には、東ティモールの歴史の足跡を残すように、ポルトガル語、またインドネシア語が、いろいろな仕方で混じってくる。

「挨拶」のことばも例外ではなく、ポルトガル語の「おはよう」(Bondia)などがふつうに使われる。

例えば、「おはようございます。お元気ですか?」は、「Bondia. Diak ka lae?」のように会話される。

 

このような言語の使われ方もまた興味をひくところであるけれども、ぼくをとらえてやまなかったのは、そのことばの「届き方・届けられ方」であった。

挨拶のことばが発音されるときの「声の大きさ」が、まずは大きいこと。

お腹の底から響いてくるような声の大きさと響きは、例えば「ボソボソとした挨拶」に慣れてしまっている身体には、ひとつの驚きのようなものとしてやってくる。

ただ、声が大きいだけであれば、そのような人たちは世界のどこにもいるから、「驚き」で終わってしまっただろう。

「驚き」を超えて、それがぼくの心身を深く揺さぶったのは、挨拶のことばが、じぶんに伝わってくるときの「伝わり方」である。

 

竹内演劇研究所を主宰していた竹内敏晴(1925-2009)は、幼い頃の難聴とことばの困難のなかで、じぶんの声とことばが「ひらかれる」ことの経験とメルロ・ポンティの現象学を基礎にして、<からだとことばのレッスン>を展開していった。

竹内敏晴は、人間のからだのぜんたいが他者にいきいきとはたらきかけることにおいて、その現象の音声的なパートが「声」や「話しことば」であるという認識に立っている。

そんな竹内敏晴の<からだとことばのレッスン>のなかに、「話しかけのレッスン」というレッスンがある(竹内敏晴『<からだ>と<ことば>のレッスン』講談社現代新書、1990年)。

その形式のひとつは、四、五人の人に好きな方向を向きながら床に座ってもらい、二~三メートル離れたところにいる人がそのうちの一人に短いことばで話しかけ、座っている人たちのなかで「話しかけられた」と感じた人は手をあげるというものだ。

とても「簡単な」レッスンの形式なのだけれど、内実はそれほど容易ではないようだ。

聞き手は「話しかけられた!」とはすぐにはならず、発話されているにもかかわらず声がじぶんに届いてこない。

聞き手の感想は、たとえば、「声がじぶんの手前で落ちた」とか、「みんなに言っているようだ」とか、「通り過ぎて行った」とかである。

竹内敏晴は、このことについて、つぎのように書いている。

 

 声が私まで届いて来ない、とか、もっと手前で落ちてしまった、とか言うけれども、考えてみると、声そのものはちゃんと聞こえているわけだ。文としてのことばの内容も理解できている。にもかかわらず、自分に話しかけてくれてるかどうかと耳を澄ましてみると、さまざまに違った形が見えて(聞こえて)くる、ということは、話しかける、とは、ただ声が音として伝わるということとは別の次元のことだということだろう。
 …即ち、からだへの触れ方を、声はするのである。声はモノのように重さを持ち、動く軌跡を描いて近づき触れてくる。いやむしろ生きもののように、と言うべきであろうか。

竹内敏晴『<からだ>と<ことば>のレッスン』講談社現代新書、1990年

 

竹内敏晴の実践と生きられる理論は鮮烈である。

東ティモールでの、ぼくの経験も、竹内敏晴の<眼>で見てみると、その一端をつかむことができるように思う。

東ティモールでぼくに届けられる「挨拶」のことばは、もしそれが「話しかけのレッスン」の場であったとしたら、「聞き手」のぼくは、話し手の声が発生されるやいなや、すぐさまに「話しかけられた!」と手を挙げることができるような声であり、ことばであった。

そのような「挨拶」のことばに、いつしか、ぼくの身体もつられるようにして、同じような挨拶のことばと声を、他者たちに届けていた。

東ティモールの同僚たちに向かって、あるいはコーヒー生産者たちの村々に入っていってときに彼(女)らに向かって、竹内敏晴が言うように、まるで声が「モノのよう」であるように、ぼくは挨拶のことばを届けた。

そして、そのような<ひらかれた身体>が、心のひらかれ方にも通じているように、ぼくは感じたものだ。

東ティモールでの挨拶の「声」と「ことば」は、このようにして、ぼくの心身を、根底から揺さぶったのであった。

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身体性, Jun Nakajima 身体性, Jun Nakajima

旅することで、「地図」が、からだのなかにはいる。- <じぶんの地図>をつくっていくこと。

情報通信テクノロジーの発達によって、世界中の画像と動画とニュースに、いつでも、どこでも、ぼくたちはアクセスできる。

情報通信テクノロジーの発達によって、世界中の画像と動画とニュースに、いつでも、どこでも、ぼくたちはアクセスできる。

VRや360度動画などを駆使すれば、ほんとうに、その場にいるような錯覚さえ覚える。

そんな時代に生きながら、それでも、この身体で、実際に旅することは、異なる体験である。

この身体は、どれだけ画像と動画を見ていても、実際にその場にいくと、五感をひらきながら、その場を感じる。

その場の空間にひろがるにおいを感じ、空気の流れを肌で感じ、空気の質感を全身で感じ、さまざまな音をきき、そこの<全体感のようなもの>を、身体の全体感のようなもので感じる。

そして、実際に旅することで、「地図」が、ぼくのからだのなかにはいるように、ぼくは思う。

 

10代の頃、学校の地理の授業で、地図帳を前に、あるいは地球儀を前に、地域や地名をおぼえていた。

でも、これが、なかなかむずかしい。

地域や地名の「位置感」が、頭のなかにしっくりとはいってこない。

そんな経験を、ぼくはおぼえている。

それが、大学に入ってから、例えば、アジアを旅しながら、ニュージーランドに住みながら、また働くようになってアフリカに行くようになってから、「地図」が、ぼくのからだのなかにはいるようになった。

なんの苦労をすることもなく、「地図」が、ぼくのからだの体感としてきざまれていったのだ。

 

アジアの旅では、中国本土を電車やバスで旅しながら、またタイ・ラオス・ミャンマーという国々の国境をこえながら、さらにベトナムをバスと電車を乗り継ぎながら縦断していって、ぼくは「地図」をからだのなかにとりこんでいく。

今住んでいる香港にいても、そうである。

香港という限られたところでも、実際にその場に行ってみないと、やはりわからないことは多いし、香港の「地図」がからだにはいってこない。

実際にあちらこちらに足をはこんで、この身体をさらしてみることで、香港の「地図」が、ぼくのからだのなかに、ぼくのフィルターと物語を通して、ぼくのなかにはいってくる。

そんな風にして、ぼくのなかに<香港の地図>が、つくられていく。

あるいは、<世界の地図>が、ぼくのなかに、リアリティをもって、つくられていく。

そのような<地図>はリアリティのほんの断片であることも承知しているし、また人によっても感覚の仕方は異なることも承知だけれど、ぼくにとって、それはとても大切なことであるように思うし、生きるということのしあわせな一面であるようにも思う。

 

そのような<地図>があると、その地域やその場所のニュースをきいたときに、ぼくはじぶんの地図を重ね合わせながら、ある種の現実感(リアリティ)をじぶんのなかで組み立てる。

出来事の一面しか伝えることのないニュースに、そこにひろがりをつくりながら、読み解き、感じる。

じぶんの地図が「正しい」わけではないし、それも一面であるだけだけれど、その感覚が体感としてあるだけで、ぼくのなかに、余裕ともよべる空間ができる。

とくにニュースがなくても、日々生きているなかで、ぼくは思うことになる。

あぁ、あそこの人たちも、この地球のあの場所で、ぼくと同じときを生きているんだ、と。

そう思うだけで、ぼくの心は温かくなったりする。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

どんな「洗顔」にも哲学(生き方)がある。- 今野華都子著『顔を洗うこと 心を洗うこと』。

「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。

「どんな髭剃りにも哲学がある」という、サマセット・モームの言葉に、村上春樹は著作『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)の「前書き」で触れている。

村上春樹は、「どんなにつまらないことでも、日々続けていれば、そこには何かしらの觀照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい」(前掲書)と書いているけれど、ぼくは、どんな髭剃りにも「生き方」が詰まっていると思う。

別に髭剃りでなくても、どんな行為でもいい。

そこには何かしらの哲学、あるいは生き方があらわれてくる。

「洗顔」という、ぼくたちが日々続けている行為においても、ぼくはそこに哲学(生き方)があると思う。

そのような視点において、『顔を洗うこと 心を洗うこと』(サンマーク出版)という著作で、エステティシャンでもある著者の今野華都子(こんの・かつこ)は、「顔を洗うこと」と「生き方」をひとつとするような洗顔の仕方を教えてくれている。

本の最初のページで、今野華都子は読者に次のように質問を投げかける。

 

「あなたは子どもころ、誰かに顔の洗い方を教わりましたか?」

 

今野がそのように質問を投げかけると、ほとんどの人たちは「教わってもらっていない」か、教わっていても具体的な仕方は教わっていなかったりする。

ぼくも、見よう見まねでならっただけだと記憶している。

また、最近は女性誌などにも「洗顔の仕方」のページがあったりするけれど、それらは「美容」を目的としているものが多いのだろう。

今野は、そこに、さらに別の効果があるとし、「母親がわが子を大事に思い、キレイな顔でいてもらいたいとの願いを込めて「洗顔」を伝えるとしたら、それはどのような洗い方でしょうか」と読者に問いかける。

そこから、洗顔教室も営む今野が望むこととして、次のように書いている。

 

あなたが、あなたのお母さんになったような気持ちで、
あなた自身を大切に扱ってあげてください。

今野華都子『顔を洗うこと 心を洗うこと』サンマーク出版、2014年

 

今野は、こうして、本書で、大きく8ステップの「今野華都子式洗顔方法」を伝えている。

<じぶんを大切にする>ということにより深い次元でコミットしていたときに、ぼくはこの本と出会い、「顔を洗うこと」の見直しをせまられることになった。

「顔を洗うこと=よごれをとること、朝は目をさまさせること」ほどの意識であったから、そこに<心を込めて>という意識と動作はなかった。

そこに、顔を洗うことということのなかで、<心を込めて>ということをじぶんに向けていくことで、これまで<じぶんを大切にする>ということを忘れていたことに気づかされた。

そのようなこれまでの「洗顔の仕方」が、ぼくの生活のいろいろなところにも、出ていたように気づいたのだ。

 

今野じしんが実際にお客様の「お顔を洗ってさしあげている」と、それだけで、涙を流す方や感謝される方がいるという。

今野は、お客様が「自身が大切にされていた記憶、愛された記憶が蘇るからなのだ」と思うと、書いている。

 

<じぶんを大切にする>ということは、他者たちのじぶんへの接し方(大切にしてくれる接し方)にも影響し、また、じぶんを大切にすることで生まれるじぶんの状態と余裕が他者に役立つうえでも重要な土台となる。

そのような好循環を生みだしていくうえで、心を洗うように顔を洗うこと、<じぶんを大切にする>仕方で顔を洗うことは、大切な入り口であり、また日々習慣として続いていく大切な「哲学」である。

その意味において、どんな「洗顔」にも哲学(生き方)が込められている。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。

「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである。

「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。

ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。

1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。

ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。

それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。

生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。

年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。

 

なぜルービックキューブのことを書いているかというと、家を掃除しているときに、以前購入した、携帯用のルービックキューブが出てきたことが、もともとのきっかけである。

「携帯用」のものを購入したのは、海外への空旅の際にでも取り組めるものとして、だいぶ前に購入したのであった。

電源が必要なものでもないから、例えば、飛行機に乗って、飛行機が離陸するときにも楽しめると思ったことを覚えている。

ただ、購入後、あまる楽しむことなく、家の隅に埋もれていたのであった。

 

ルービックキューブはぼくが小さいころに流行していて、そのときにときおり挑戦していたのだけれど、当時も、そしてつい最近になっても、「一面」を作る(=一面を同じ色のキューブで揃える)ところまでしか、ぼくにはできなかった。

家の隅から出てきた携帯用のルービックキューブを目の前にして、つい、ガチャガチャと動かしたくなる。

手にして一面を作ってみると、さらに、その先に進みたくなる気持ちが湧いてくる。

今では、インターネットでパズルの解き方(6面のそれぞれの色を合わせる仕方)が出ているから、ぼくはそれらの「教え」にしたがって解いてみることにした。

 

そのように決めて、ぼくはその「教え」に忠実にしたがって、ルービックキューブをガチャガチャと動かしていく。

それまで一面ができたら次の一面というように「順次」色をあわせていくと思っていたのだけれど、そうではない方法にふれて、ぼくの考えがまったく狭かったことに気づかされる。

そのような気づきに出会いながら、ぼくは忠実に「教え」にしたがって、色をあわせていくことになる。

最終段階に入り、やがて、ぼくは、人生で初めて、ルービックキューブを、この手で完成させることとなったのだ。

 

「やり方」を教えてもらいながらの完成ではあるのだけれど、進めてゆくさいに上述のような気づきを得ることで「やり方」以上のことを学ぶことができたし、また完成できたことそのものに嬉しさを感じることができた。

<できる>ということが、体験を通じて、この身体にその感覚をのこす。

ぼくのなかでは「無理」だと思っていたことが、<できることを体感すること>で、大切な感覚を与えてくれたように、ぼくは感じている。

そして、このような感覚は、ルービックキューブに限ることなく、生きていくうえで、いろいろな状況においても大切なことであるように、ぼくの身体は思ったのだ。

その感覚の余韻を今でも身体に感じながら、ぼくはルービックキューブについて書くことにした、というわけである。

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「前者/後者論」(心屋仁之助)の根拠に関する、ぼくの仮説。- 「前者/後者」の身体価。

心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。

心理カウンセラーの心屋仁之助に、よく知られている「前者/後者論」がある。

心屋仁之助の著作『心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい』(王様文庫、2017年)における「前者/後者論」の記述をまとめると(要約ではない)、下記のようになる。

 

●「前者」=「空気が読めて、理解力もあり、理論的。表現力もあって、多くのことを同時にこなせ、処理能力も高い」タイプ。努力しなくても、比較的マルチに、複数の仕事を同時にこなせるタイプ。「有能」タイプ。「秀才」タイプ。

●「後者」=「天然で癒し系、表現がストレートで、何でも素直に受け取る(真に受ける)」タイプ。多くのことはこなせないが、何か一点に集中できるタイプ。「天然」タイプ。「天才」タイプ。

 

心屋仁之助は、これまでのカウンセリングや問題解決の経験から、またさらには、心屋仁之助と奥様との間の「話の噛み合わなさ」の解明において、これら「前者/後者論」(呼び方は特定のものがなく、ただ文章における順序を指して「前者/後者」であったものがそのまま使われているとのこと)を獲得している。

「前者」と「後者」の違いが、人間関係で「誤解」や「行き違い」、「問題」をつくっているのではないかと、心屋仁之助は気づくのである(※前掲書)。

ジョン・グレイが「Men are from Mars, Women are from Venus」という絶妙のタイトルで男女(脳)の違いを示したのと同じように、心屋仁之助は「前者/後者論」で、前者と後者との違いを示している。

 

この論を語り始めてからも実際に多くの共感者を得ており、特に論の「根拠」を示す必要もないと思われるから、そこには触れていない。

根拠にかかわらず、そこに実際の現象があり、その解明と視点が、多くの人たちの「助け」になっている。

 

それでも、ぼくの思考は自然と、その「根拠」をどこかで探し求めているようで、社会学者である見田宗介が書いた「思想の身体価」という文章が思考のなかで浮かんでくる。

「自由」とか、あるいは「自立」とかを求めるのは、そこに<生きる/生きられる身体>があるということである。

身体論としては、それを野口晴哉の「体癖論」の類型が参照されている。

ある集団において「スナドリネコさん」と「ぼのぼの」と呼ばれるようになった二人の、彼(女)たちの「二つの身体類型」(ここではそれぞれ、SとBと名づけられる)を事例に、見田宗介はこの短い論考を書いている。

 

 Sは、野口晴哉の整体の体癖論では「9種1種」、つまり骨盤がしまっていて性欲旺盛でいつまでも若く、空想と観念の自己増殖力に富む身体であり、Bはほぼこれと対照的に、「10種3種」とよばれるのだが、骨盤が開いていて包容力があり、身体がやわらかく感情が豊富で食べることが好き(引出しの中はちらかっている)という身体である。この両者はたがいに魅かれ合うらしくカップルも多い。…SはBの先天的な「自由さ」に魅かれ、BはSの「自立性」に魅かれるのである。Bは容易に人に共感し、まきこまれて自己を失ってしまうので、「自立」や「自我の確率」や「主体性」という観念に憧れている。ところがSにとっては、「自立」とか「自我」とか「主体性」とかははじめから強すぎてあきあきしていて、Bのように自由に自在に世界にまきこまれ、自分を失ってしまう能力に魅かれてしまう。…

見田宗介「思想の身体価」『定本 見田宗介著作集X:春風万里』岩波書店

 

見田宗介はこの文章に続いて、もう少し具体的に、SとBの「違い」を記述している。

ここで語られていることが、ぼくにとっては、心屋仁之助の「前者/後者論」の根拠の一部を語っているようにも感覚される。

野口晴哉の「体癖論」の詳細はいったん置いておくとして、心屋仁之助の「前者/後者」はそれぞれに、身体のあり方を異にしているのではないか、ということである。

心屋仁之助は、「前者/後者」のそれぞれの特性を基礎にしながら、「前者」は(後者に)<与えること>で後者の幸せになり、「後者」は(前者から)<受け取る>ということで前者の幸せになると、前掲書で書いている。

SとBが惹かれ合うように、前者と後者も惹かれ合う。

そのような対比をしながら、ぼくの思考は、「前者/後者論」はそれぞれの身体による違いを根拠のひとつ(あくまでもひとつ)とする「仮説」を形づくる。

ぼくの思考の戯れである。

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野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima 野口晴哉, 身体性 Jun Nakajima

勧善懲悪的な考え方から離れてゆく。- 野口晴哉の語る「養生」ということ。

整体の創始者といわれる野口晴哉は、食餌療法でこれこれ(酸性のものや肉や卵)は良くないと教えられているという食にかんする質問に答えるなかで、「養生」ということの本質を語っている。

整体の創始者といわれる野口晴哉は、食餌療法でこれこれ(酸性のものや肉や卵)は良くないと教えられているという食にかんする質問に答えるなかで、「養生」ということの本質を語っている。

 

毒のものはいけないというのは養生方法ではない。毒のものでも、体に良いものでも、共に害を受けないように摂取する体のはたらきを保つことが、養生の根本的な問題です。体に悪いから止めるというのは間違いで、悪くとも良くとも、使いこなして行くということが大事です。食べ物を食べ拡げるということが食養生であり、どんなものでも食べられるようになることが養生です。だから昔の人が骨折って食べ拡げたものを狭めるということは感心しない。…

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

「体」を知り尽くしてきた野口晴哉の、「養生」ということにかんする考え方である。

ここでのポイントを、振り返りながら言い換えて並べなおすと、次のようになる。

  1. 食べ物自体の善し悪しだけによらず、体のはたらきを保つこと
  2. 食を使いこなして行くこと
  3. 食べ拡げていくこと

これらの言葉は、人が陥ってしまう罠の存在を際立たせる。

人はときに、食べ物自体の善悪に傾倒してしまったり、いわゆる「善いもの」だけを摂ることで体を弱くさせてしまったり、食を狭めてしまう。

ぼくは食や体の専門家ではないけれど、「外部」のものに思考が依存し、それを「善し悪し」だけで切り取ってしまうことは、人のさまざまな行動にみられるものだと思う。

そのような思考により、「じぶんじしん」というものが置き去りにされる。

もちろん、「じぶんじしん」のことは「じぶん」に任され、託されるわけだけれど、その「じぶん」の身心にほんとうに向き合うことは、いろいろな事情やいろいろな社会の力学のなかで、それほど容易ではない。

 

野口晴哉は、言葉をさらに紡いでゆく。

 

だから体の構造をよく知ってやるのならば、食餌療法もまたよいことなのですが、体の研究ということをしないでただ食べ物の分析だけをして、まるで昔の芝居に於ける勧善懲悪のように、善いものと悪いものとをハッキリと区分けして、善いものだけを摂ろうとするのは単純すぎる。

野口晴哉『潜在意識教育』全生社、1966年

 

野口晴哉の言うように、「勧善懲悪のように、善いものと悪いものとをハッキリと区分け」する思考が、世界のいろいろなところにひろがっている。

それは、やはり「単純」すぎる。

なお、野口晴哉はこの文章のなかで、ベートヴェンやハイドンの音楽にそのような「単純さ」の地平にたつ音色を聴きとっていることは、「野口晴哉の音楽論」という視点においても、興味深いところである。

そのような「単純さ」のなかにあって、野口晴哉が書いているように、草花なら肥料のやり過ぎはそれらを枯らせてしまうことを人は知っている。

しかし、それが「じぶん」のことととなると枯れることはないと、「善い」ことを追い続けるように、栄養のあるものを食べつづける。

栄養の不足という機会によって、「じぶん」の側において摂取する力が増えるという効果には、なかなか思い至らないものだ。

 

野口晴哉は、ここで、食べ物だけのことではなく、「物事を善と悪とだけに割り切ろうとし、善いものだけを受け入れ、悪いものは何でも排斥しようとする」、勧善懲悪的な、単純な人生観にまで視野をひろげて、心をひらき、そのような人生観そのものを変えていくことをすすめている。

そのことは、「善人と悪人」という括りさえも、無効にする。

人は、ある条件のなかで善人になり、ある条件のなかで悪人になる。

 

勧善懲悪的な考え方から離れてゆくこと。

生をその全体において、生きてゆくこと。

野口晴哉の「養生」は、そのような方向性において翼をひろげてとんでゆきながら、ぼくたちの日々の生活や生き方をするどく照射してくる。

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社会構想, 身体性 Jun Nakajima 社会構想, 身体性 Jun Nakajima

「April Fool's Day(エイプリル・フール)」を支えてきたもの。- 時代の変容のなかで、この特別な日をまなざす。

2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。

2018年4月1日「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」は、「Easter(イースター)」と重なる日となった。

「April Fool’s Day(エイプリル・フール)」という、この起源の不明瞭な風習は、時代の変遷とともに扱われ方も変わってきている。

昨今のフェイクニュースなどの状況は、「April Fool’s Day」の言葉と内実を彩っていた<暖かさ>の感覚をふきとばしてしまい、「April Fool’s Day」はすでに過去形で語られるようなところもある。

 

情報技術の発展・進展にともない、いわゆる「情報の氾濫」の諸相が、「現実」というもののあり方を変えていく。

「情報」という視点から見渡してみて、「April Fool’s Day」という風習を支えていたものは何であるのか/何であったのか、という問いを立ててみる。

別の言い方では、「April Fool’s Day」という日が、楽しく過ごされることの条件である。

文化の壁を越えるようにして、世界の各地で過ごされてきた「April Fool’s Day」を支えてきたもの。

 

個人的な体験をもとにそのことをかんがえていくと、「April Fool’s Day」を支えてきたものは、そこに参加する人たちの個々の「身体」であるように、ぼくは思う。

学校や職場などで、まさに、身体をはって、嘘をつく。

時にはみんなで知恵を出し合う。

嘘をつく相手に対峙し、相手の反応も確かめながら、そして相手の反応を期待しながら、嘘を投げかける。

身体をはって嘘をつくとは、身体を使った嘘ということではなく、このように、じぶんの存在をさらしながらつく嘘である。

しかし、情報の氾濫の時代において、そこでは「身体」が不確かになっていく。

情報の背後に「身体」はあるのだけれど、情報空間のなかで、それは抽象化されていってしまう。

ぼくは、「April Fool’s Day」を健全なものとして支えていたのは、個々の生きる、具体的な「身体」であったと思う。

 

これまでは、メディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘もよく行われてきたのだけれど、もちろん、フェイクニュースの時代は状況を変えてしまった。

では、なぜ、以前はメディア媒体などを通じた「April Fool’s Day」の嘘は、それなりに特別な日の嘘として迎えられていたのか(問題が起きたことはさまざまにあったであろうけれども)。

そのようにも問うことができる。

ここでも、個々の「身体」が生きていたのだと言うこともできる。

そこに加えるとすれば、「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解があったうえで、「April Fool’s Day」の嘘という非日常がもちこまれるという共通の了解があったからではないかと、ぼくは思う。

「社会というものが(おおよそ)このようにある」という日常にかんする共通の了解が、よくもわるくも解体されてゆくなかで、共通の了解という、ある意味での信頼がぬけおちていく。

 

このようにして、身体と共通了解(=信頼)がぬけおちていくような時代のなかで、「April Fool’s Day」の様相も変容をとげていると、ぼくには見える。

そしてまた、このような時代において、「April Fool’s Day」のもっていたような社会秩序における<遊び>を、どこに向けて突き抜けていかせるのかが、その先に問われているようにも、ぼくはかんがえる。

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