「うら」(うらなう)を考える。- 「世界のあり方」の比較社会学(見田宗介)を頼りに。

新年ということで、日本では「おみくじ」などを引いたりしている様子をここ香港で見聞きしながら、「おみくじ」や「うらない」のようなものへの、ぼくの関わり方を考える。...Read On.


新年ということで、日本では「おみくじ」などを引いたりしている様子をここ香港で見聞きしながら、「おみくじ」や「うらない」のようなものへの、ぼくの関わり方を考える。

ぼくにとっては、(今ではまずやらないけれど)「おみくじ」や「うらない」で書かれたことや言われることは、ぼくの心身と対話するときのツールである。

書かれたことや言われることで「気になること」は、じぶんの心身に何か「身に覚え」があることであると、ぼくは考える。

つまり、じぶんのなかで、問題であったり課題であったりすることだ。

そこから、じぶんが感じたり考えたりする問題や課題をつきつめていく。

逆に「気にならないこと」は、特に気にしない。

気づきのためのツールである。

 

社会学者の見田宗介は、「世界のあり方」の比較社会学という視点で、原始人たちが感覚していた「世界のあり方」について書いている。

 

 アメリカ・インディアンのホピ族の言語…では「時間」というコンセプトではなく、近代文明を形成してきた諸文化の言語のように「過去/現在/未来」という基本的な「時制」もなくて、その代わりに「顕在態」(manifested)と「潜在態」(unmanifested)という二つの態様が、「世界のあり方」の基本のわくぐみを作っています。

見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書

 

近代人が使う言葉との対比をまとめると、次のようになる。

●「過去」「現在」=「顕在態」(過去のものは、この世界に「蓄積している」と感じられる)

●「未来」=「潜在態」(ホピの人たちは「心中にあるもの」と言う)

 

見田宗介は別の著作で次のように書いている。

 

…アメリカ原住民のホピ族などの文法も、未来をあらわす形式と心象をあらわす形式が同じである。「うら」(うらなう)ということばに標本されるように、上代日本人の世界の感覚ともそれは呼応している。ほんとうは、will、shallという、英語の未来をあらわす仕方が心意をあらわす語によってしかされないように、時間の次元が心象の次元であるということは、ヨーロッパ文化自身の古層にも普遍する直感であった。

見田宗介『宮沢賢治』岩波現代文庫

 

これらに先立つ仕事(『時間の比較社会学』岩波書店)で、見田宗介(真木悠介)は、近代社会の「直線的な時間」とは異なり、原始共同体社会の時間感覚は「反復的な時間」であったことを、述べている。

顕在態と潜在態の反復、また、別の言い方をすれば、「おもての世界」(顕現している世界)と「うらの世界」(潜在している世界)の反復である。

原始社会や原始人たちの抱いていた「世界のあり方」の感覚だ。

 

文化のこれらの基底的な感覚と、「おみくじ」や「うらない」をしていた人たちの感覚がどのように交差していたのかは、わからない。

けれども、近代人がおみくじやうらないをしたときに「見る仕方」とは異なっていただろうと、推測する。

見田宗介が明晰に語っているように、原始人たちの感覚は、未来と心象がおなじ形式の言葉として使われる感覚に支えられている。

心象は「現在」、未来は「(現在ではない)未来」として、直線的な時間の内に感覚するのが近代人である。

 

そんなことを考えながら、原始人の人たちは、「うらない」のうちに、じぶんや事象の「心象」を見ていたのだろうと、ぼくは想像力をむけてみる。

「近代人」がついそうしてしまうような、起こるだろう未来の予測ではない仕方で、心象を見る。

しかし、近代人は「未来」という考え方を獲得し、世界をきりひらいてきた。

「未来」を信じ、構想し、行動していくところに、これからの「人と社会」の行く末は賭けられている。 

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野口晴哉, 言葉・言語 Jun Nakajima 野口晴哉, 言葉・言語 Jun Nakajima

「時の力を生かすこと」(野口晴哉)。- 技術を修めた者に向けられた言葉。

「市民社会の存立の媒体としての物象化された時間」(真木悠介)を獲得したことは、人類の発展において、決定的に重要なことであった。...Read On.


「市民社会の存立の媒体としての物象化された時間」(真木悠介)を獲得したことは、人類の発展において、決定的に重要なことであった。

それは、お金やメディアなどの、人と人を媒介するものと、構造を同じにしている。

時間は、一年があり、半年があり、四半期があり、また月・週・日がある。

時計は、1時間、1分、1秒を告げている。

年末年始というタイミングには、ぼくたちは「時間」をより明確に意識する。

「2018年という時間」を、世界ぜんたいで共にお祝いをするという、つなげる力としての「時間」。

ぼくたち個人にとっても、「時間」をうまく味方につけることで、ぼくたちの生は豊かになる。

 

「時間」について考えながら、整体の創始者といわれる野口晴哉のエッセイを読んでいたら、「時の力」という短い文章に魅かれる。

時間が刻一刻とすぎていく様から、野口は書き始めている。

 

 いつの間にか夏になり、秋になり、冬になる。
 時というものは少しも休まない。…

 この一瞬にも、永遠に連なる一瞬が消えている。
 生くるはもとより、死ぬも病むも、また人を導くも、ともに生活するにも、この時の力を軽視してはいけない。
 軽視する人は少ないが、忘れている人は多い。…

野口晴哉『大絃小絃』全生社、1996年


 

野口晴哉は「時の力」について、それを軽視している人や忘れている人に思い出させるように書いている。

生くることの全体に向けられながら、やがて、自身のよってたつ養生や治療を含めた「技術を修めた者」に向けて、言葉が集注され投げかけることになる。

 

 時の力を生かすことを考えることが、技術を修めた者には何よりも必要だ。
 世の中には芽生えた稲の伸びが遅いと、手でそれを引っ張って伸ばすような養生や治療が行われている。

野口晴哉『大絃小絃』全生社、1996年

 

野口晴哉の語る<時の力>は、明確に計測し見ることのできる「時間」ではなく、自然的な流れとしての<時>に触れている。

養生や治療に限らず、「技術を修めた者」にひびく言葉だ。

軽視もしないし、忘れもしない<時の力>だけれど、「市民社会の存立の媒体としての物象化された時間」の圧力と要請は、日々、ぼくたちにのしかかってくるものだ。

野口がこの文章を書いた数十年前に比較し、この「時間」の圧力と要請はいっそう強さを増している。

世界の人たちをつなげる「時間」と個人の生をひらいていく「時間」を味方につけつつ、どのようにしてこの<時の力>をも、生きることの実践としていくことができるのか。

その「方法」について野口はこのエッセイでは書いていないけれど、それはぼくたち一人一人に投げかけられた問いであり、ぼくたちの想像力が試されるところである。

思考や行動が狭く型づけられているなかで、どのようにしてこの想像力の翼を獲得していくことができるのかが課題である。

 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、新年(1月1日)を迎える。- 「生ききる」ことへ照準をあわせながら。

香港で、新年(1月1日)を迎える。昨日までの青空と暖かさ(20度を超える暖かさ)が遠のき、かすみがかり少し冷たい風が肌をさす1月1日となった。...Read On.

香港で、新年(1月1日)を迎える。

昨日までの青空と暖かさ(20度を超える暖かさ)が遠のき、かすみがかり少し冷たい風が肌をさす1月1日となった。

香港でも1月1日は「祝日」となっている。

しかし、2日からは社会はいつも通り動き出す。

1月1日だけが「祝日」で、年末も年始も、いつも通りである。

正月のお祝いは、1月1日ではなく、「旧正月」になされるからだ。

1月1日は旧正月の足音が聞こえはじめるときである。

香港で迎える1月1日が11回目のぼくは、この事情に一方で慣れながらも、他方で「文化の交差点」における不思議な時間・空間感覚を今でもおぼえる。

 

新年1月1日は、それでも「Happy New Year」の言葉が交わされる、お祝いのときだ。

ビクトリア湾では12月31日の深夜に恒例の花火が打ち上がり、多くの人たちが2018年の到来を祝った。

ぼくの住んでいるマンションの入り口では、「Happy New Year!」と、レセプションの方が声をかけてくれる。

ぼくも「Happy New Year」と英語でかえす。

それはぼくにとって、世界で今ここに共に在ることへの感謝の気持ちだ。

 

「現実」に向き直ると、そこには数々の困難と挑戦がぼくをとりかこんでいる。

でも、困難も挑戦もひっくるめて、生きるということの充実さはある。

2018年も、「生ききる」というところに、ぼくは照準をあわせながら、ここ香港で、1月1日を迎えている。

 

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言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

人はだれもが「物語」を生きる。- どのような「物語」を描き、どのように生きるか。

人であるということは、「物語」をもっているということでもある。人は、だれもが、「物語」を生きている。...Read On.


人であるということは、「物語」をもっているということでもある。

人は、だれもが、「物語」を生きている。

そして、人は、その生において、「物語性」の外部に出ることはない。

どのような「物語」を生きていくか、ということに、ぼくたちの生の本質はある。

 

すでに「物語・物語性」は、人や組織や社会において、いっそう重要なものとして取り上げられる場面が増えてきている。

ぼくもいろいろと文献などをさぐっている。

『The Storytelling Animal: How Stories Make Us Human』(Jonathan Gottschall著, Mariner Books)という面白いタイトルの本がある。

「物語を語る動物」としての人を、生物学、心理学、脳科学の知見から読み解いていく試みである。

また、橋本陽介『物語論:基礎と応用』(講談社)においては、フランス構造主義の物語論を中心に「物語」が中心にそえられている。

心理学者からの「ライフストーリー論」としては、Dan P. McAdamsの理論展開に、ぼくは耳をかたむけている。

河合隼雄の「物語論」も、心理学・臨床心理などさまざまな視点にきりこみ、深い議論を展開している。

 

「年末年始」という時期には、人や組織や社会の「物語」の一端が語られるときでもある。

「振り返り」という、ひとつの物語。

「目標」という、ひとつの物語。

「予想・予測」という、これも物語。

世界は「物語」に充ちている。

 

ぼくたちは、忙しさや困難さのただなかで、「点(dot)」に集注する。

ときには、一歩も二歩も後ろにさがってみて、スティーブ・ジョブズが語ったように「connecting dots」をしてみる。

そこに、これまで生きてきた・働いてきた・学んできたことの「物語」が見えてくることがある。

物語は、困難や挑戦、失敗などに「意味・意義」をふきこんでくれる。

そしてそのような間隙から、「新しい物語」の息吹が聞こえ、萌芽を見るかもしれない。

これらの「物語」を、どのように描き、どのように生きていくかという問いを、ぼくたちの生の全体はぼくたちに日々問いかけている。

 

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「気づき」に向けて。- 「かたづけることは、勉強することと同じで、生き方を変えることだ」(中谷彰宏)

作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。...Read On.

作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。
 

<かたづけができないタイプ分け。
前くじけ=先送り。
中くじけ=気が散る。
後くじけ=リバウンド。
もうひとつは、
前前くじけ=気づかない。>
なんと、勉強と同じですね。

中谷彰宏「中谷彰宏レター」(2017年12月23日)

 

タイプ分けの明確さとともに、「前前くじけ=気づかない」という視点に、「かたづけ士」としての思考と経験の鋭さが現れている。

「もうひとつは…」と、「前・中・後」とは別に「前前」として触れる仕方にも、「気づき」ということの本質が出ている。

「気づき」がないと、「かたづけができない」ということの出発点に立つこともできない。

中谷彰宏が書くように、勉強、さらには生き方ということをも貫く本質が、「かたづけること」に現出している。

 

かたづけ士の小松易は、著書『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)の「はじめに」で、人から「なぜ、ひらがなで『かたづけ士』なのですか?」と聞かれてきたことについて、書いている。

当初は「はっきりとした答え」を持っていなかった小松は、片づけコンサルティングの仕事を始めてから5年ほどたってから、「明確な答え」を持つようになったという。

明確な答えは、「片づけ」が「3段階で進化していくもの」であるというものだ。


●第一段階「片づけ」:「リセットの片づけ」、「整理(減らす)」と「整頓(配置する)」

●第二段階「型づけ」:「習慣化の片づけ」、片づけられた場所をきれいに維持する習慣をつくるためのルールやしくみ

●第三段階「方づけ」:方=あなたのライフスタイル・生き方、「自分の人生をどのようにデザインし、どのように生きたいかを決めていくこと」

※参照:小林易『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)より

 

「片づけ」が、「方づけ」(ライフスタイル・生き方を変える)につきぬけてゆく力をもっていることは、ぼくも経験において深く認識しているところだ。

その出発点が「先送り」よりも「前前くじけ=気づかない」にあるというところに、いっそう深い本質があるということ。

「気づいてゆく」ということが、生きてゆく道ゆきで、どれほど大切なのかということ。

ほんとうの「気づき」であれば、それはかならず、「方づけ」の方向につきぬけてゆくこと。

中谷彰宏の「レター」に書かれた講義メモを見ながら、そんなことをぼくは感じ、考えていた。

そして、年末にさしかかり、ふと部屋を見渡しながら、「かたづけ」はぼくにとって毎日のことであることを言いきかせながら、「気づき」に向けて勉強している。

 

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「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima 「見田宗介=真木悠介」 Jun Nakajima

<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして。

「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。

 

🤳 by Jun Nakajima (Hong Kong)

「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。

社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。

 

 自分自身を知ろうとするとき人間は鏡の前に立ちます。全体としておかしくないか、見ようとするときは、相当に離れたところに立ってみないと、全体は見ることができない。自分の生きている社会を見るときも同じです。いったんは離れた世界に立ってみる。外に出てみる。遠くに出てみる。そのことによって、ぼくたちは空気のように自明(「あたりまえ」)だと思ってきたさまざまなことが、<あたりまえではないもの>として、見えてくる。

見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書

 

社会学における「比較」という方法を語りながらも、見田宗介は「社会学」という学問に閉じ込めるのではなく、ぼくたちの「生き方の方法論の一つ」とする視野で語っている。

ブログのタイトルに付す「世界で生ききる」ということの内実の一つとして、この方法論を、ぼくは明確に意識している。

アジア各地への旅を通じて、ニュージーランドでの生活を通じて、シエラレオネと東ティモールでの支援活動を通じて、それからここ香港での仕事と生活を通じて、ぼくは「あたりまえのもの」だと思ってきたこと・してきたことを、<あたりまえではないもの>として、いわば鏡の前に立ち「鏡の中のじぶん」を見つめ、見直してきたわけである。

最近思うのは、「あたりまえのもの」だと思っていることや「身」についてしまっていることは、幾層にも重なっていることである。

そしてまた、それらはいろいろなものやことに広がっている。

日本的な考え方や動作であったり、家族的な癖や習慣であったり、さまざまだ。

気づいて見直して、変えたと思っていたら、また別の層や別のところで、その「あたりまえ」がふとした機会に現れる。

そんなことを繰り返しながら、<自明性の罠からの解放>を、引き続き現在進行形で生きている。

 

見田宗介のより強い関心は、「近代と前近代」との比較にあり、そのことを踏まえた上で、次のように語っている。

 

…異世界を理想化することではなく、<両方を見る>ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の<自明性の檻>の外部に出てみるということです。さまざまな社会を知る、ということは、さまざまな生き方を知るということであり、「自分にできることはこれだけ」と決めてしまう前に、人間の可能性を知る、ということ、人間の作る社会の可能性について、想像力の翼を獲得する、ということです。

見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書

 

現代社会における各社会間の比較よりもいっそう深い「異なり」を示す「前近代と近代」を比較することで、いっそう高く飛ぶための<想像力の翼を獲得する>ことが、見田宗介の仕事にかけられてきた。

共同体と市民社会とコミューン、お金、時間、自我・身体といった、根底的な見直しである。

そして、この視野と視点が、「近代(また現代)」の後にくる次なる時代を構想し、向かうために、決定的に大切である。

 

【後記】

見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)については、下記ブログを書きましたので、あわせてお読みください。

ブログ(2018年4月12日)
「新入生に贈る一冊」を選ぶとしたら。- 見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』。

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書籍, 社会構想 Jun Nakajima 書籍, 社会構想 Jun Nakajima

「未来」を見据え、考え、構想するための5冊。- 生き方・働き方をひらいてゆくために。

年末になると、いろいろなメディア媒体で、例えば「今年の◯冊」のような記事が掲載される。ぼくは「他者の書棚」を見るのが好きなので、ただ楽しみ、ぼくにとっての「良書」を探す。...Read On.

年末になると、いろいろなメディア媒体で、例えば「今年の◯冊」のような記事が掲載される。

ぼくは「他者の書棚」を見るのが好きなので、ただ楽しみ、ぼくにとっての「良書」を探す。

ただし、年ごとの切り口よりも、「今」という時点で読んでおくべき大切な本に注目する。

 

「未来」ということは、常に考えている。

「不確実性」に焦点があてられやすい未来だけれど、それ以上に、ぼくにとっては好奇心が圧倒的に勝る<未来>だ。

その「未来」というキーワードにおいて、未来を見据え、考え、構想するための5冊を、ここでは挙げておきたい。

生き方・働き方をひらいてゆくための「土台」となる本だ。


 

(1)見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書

刊行されたのは2006年。

今から10年前だけれど、まったく古くならず、むしろ、今の時代においていっそう大切なポイントとなる理論と論考で詰まっている。

「社会学」という学問の枠をつきぬけて、副題にあるように、「人間」と「社会」の未来を、硬質で、ゆらぎのない理論と論理で、論じている。

見田宗介が語るように「社会学」とは<関係としての人間の学>である。

そして、「未来」をひらいてゆくために、この<関係性>がゆらぎ、問われている。

理論的な骨格としては、第六章「人間と社会の未来ー名づけられない革命」と補「交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成」は、必読の内容である。

 

(2)Yuval Noah Harari “Homo Deus: A Brief History of Tomorrow” HarperCollinsPublishers

『サピエンス全史』で有名な歴史学者の著作。

日本語版はこのブログ執筆時点では刊行されていないけれど、刊行されれば日本でもよく読まれるようになるだろう。

ユヴァル・ハラリが著作で展開する「人類の21世紀プロジェクト」とは、人類(humankind)がその困難(飢饉・伝染病・戦争)を「manageable issue」として乗り越えつつある現代において、次に見据える「プロジェクト」で、大別すると下記の通り3つである。

  1. 不死(immortality)
  2. 至福(bliss)
  3. 「Homo Deus(神)」へのアップグレード

「Homo Deus」とは、「神」なる力(divinity)を獲得していくことである。

「神」になるわけではないが、「神的なコントロール」を手にしていくことだ。

読みやすい文章と視点で、ユヴァル・ハラリを導き手に「明日の歴史」を<読む>ことができる。

ぼくにとっては、見田宗介の理論とユヴァル・ハラリの論考とを合わせながら、接合しながら、差異を確認しながら、「未来」をよみときたいと思っている。

 

(3)Lynda Gratton & Andrew Scott “The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity” Bloomsbury

日本語訳では『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)ー100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)としてベストセラーになってきた書籍。

ベストセラーとなっても、即座に、人や社会の「価値観」が変わっていくわけではない。

価値観の変遷はまだこの先当面続いていくなかで、「100年時代の人生戦略」の視点と計画と実践を、生き方と働き方、社会システムや組織システムなどに接合していくことが必要である。

ここ香港では、あまり(というかほとんど)取り上げられていない。

しかし、香港人口統計の今後の推移を考慮すると、今から取り組んでいかなければいけないことである。

 

(4)養老孟司『遺言』新潮新書

「新書」という小さな本でまとめられているけれど、養老孟司の「思考と経験」が凝縮された、骨太の本である。

脳化社会・都市化などのこれまでの論点も含め、「人間」というものに、深く深く、思考をおとしてゆく。

養老孟司じしんが述べるように「哲学の本」ともとられかねない内容だけれど、自然科学的な考察も随所になされ、「分類の仕様のない本」である。

「ヒトの意識だけが「同じ」という機能を獲得した」という、この「同じ」をキーワードに、あらゆる事象をよみといていく。

読みやすい本だけれど、養老孟司の「思考」をじぶんのものにすることは容易ではない(ぼくにとっては)。

 

(5)西野亮廣『革命のファンファーレ:現代のお金と広告』幻冬舎

職業としての「芸人」という枠におさまらず、生き方としての<芸人>へと生をひらいてきた西野亮廣が、ビジネス書として世に放つ2冊目の著書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬舎)である。

本書は、西野亮廣じしんが言うように、西野の<活動のベストアルバム>となっている。

<生き方としての芸人>という試みは、世界と時代をひらいてゆく試みである。

その試みの、実際の「経験と学び」を、西野亮廣は、この著書で共有している。

上に挙げた4冊とは趣を異にするように見えるけれど、その根底においては、さまざまな通路においてつながっている。

 

 

最初に挙げた著作(『社会学入門』)における、社会学者の見田宗介が見はるかしている、今という世界と時代の「立っている地点」の文章を、最後に抽出しておきたい。

 

 …ぼくたちは今「前近代」に戻るのではなく、「近代」にとどまるのでもなく、近代の後の、新しい社会の形を構想し、実現してゆくほかはないところに立っている。積極的な言い方をすれば、人間がこれまでに形成してきたさまざまな社会の形、「生き方」の形を自在に見はるかしながら、ほんとうによい社会の形、「生き方」の形というものを構想し、実現することのできるところに立っている。

見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書

 

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言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima 言葉・言語, 成長・成熟 Jun Nakajima

「書くこと」のすすめ。- 「じぶんと向き合う」という仕方で書く。

2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に、「書くこと」ということを考える。...Read On.


2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に(振り返りも目標もこの時期である必要はまったくないけれどもひとまず)、「書くこと」ということを考える。

じぶんと向き合いながら「書くこと」の意味や効用はやはり大きい。

 

人の「内面」という視点で、「書くこと」を見てゆくと、ひとつの切り取り方として「3つの側面」がある。

それらは相互に「重なり」を有している。

  1. 内面の思考や感情を「外部」に出すこと
  2. 内面の思考や感情の「整理」
  3. 内面における「気づき」を取り出すこと・浮上すること

第一に、内面の考えや感情を「外部」に出すということがある。

書くことで、じぶんの内面にある思考や感情を「外部」にうつしていく。

じぶんの思考や感情を見つめ直すことにも有効である。

外部に出すということは「見える化」することである。

目で見ることでより客観視し、見つめ直すことがより容易になる。

 

そうすることで、第二に、思考や感情が「整理」されていく。

赤羽雄二の著作『世界一シンプルなこころの整理法』にあるように、例えばA4一枚に、言葉を書いていくことで、「こころの整理」がなされる。

David Allenの有名な『Getting Things Done』も、この効用に目をつけて、「頭の中」にあるものを一度すべて書き出すことをすすめている。

その副題にある言葉「Stress-Free」にあるように、ストレスを軽減する効用もある。

 

第三に、そのような過程で、「気づき」が得られる。

明確でなかったことに気づくこともあれば、ふーっと浮上してくるように「現れる」こともある。

気づかなかった「思考や感情のつながり」が、目に見えるようになったりする。

「わかる」という経験は、いろいろな思考や言葉が「つながる」経験である。

また、整理された「すきま」に、新しい思考がはいってくることもある。

 

ただ書けばよいというわけではないけれど、でもただ書くところからスタートしてもよい。

SNS的な書き方に終始すると他者の「評価」を求めるような書き方にもなってしまうことがあるから、「じぶんと向き合う」仕方で、書いていく。

書かれた文章は、何かの「はじまり」でもある。

人は、構築主義的に、文章を(つまり思考を)構築していく。

そのプロセスでは、さまざまな「他者」の思考や感情や経験が参照されたり、使われたり、吟味されたりする。

 

「じぶんと向き合う」書き方とは、「じぶんがつくられる」ような経験である。

じぶんを「創られながら創る」というプロセスに投じていくことになる。

書くことのプロセスのなかで、「(他者に)つくられる」という経験をしながら、ぼくたちはじぶんをのりこえてゆく。

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、クリスマス後の「適度なにぎわい」のなかへ。- 年末の香港の街を歩く。

「香港のこの時期は街がしずかで、気候もちょうどよくて、1年で一番好きな時期なんだ。だから年末年始は香港を出る予定はないよ」。...Read On.


「香港のこの時期は街がしずかで、気候もちょうどよくて、1年で一番好きな時期なんだ。だから年末年始は香港を出る予定はないよ」。

香港人の知り合いが、クリスマス後の、(香港においては)しずかな街を歩きながら(英語で)語る。

確かにこの時期は、香港の街がいつもよりしずかになる。

毎年1月あるいは2月頃に迎える「旧正月」もしずかになるけれど、店がほぼ閉まってしまうので、外食や買い物などにおいては不便になる。

旧正月の時期に比較し、この時期は街はいつも通りそこにある。

食事に出かけることもできるし、買い物もできる。

この時期はだから「適度なにぎわい」に包まれる。

相変わらずいっぱいの人たちでにぎわう場所もたくさんあるけれど、この「適度なにぎわい」は、「転がる香港」(星野博美)にあっては貴重なひとときだ。

香港の街が、違った風景に見えてくる。

小林一茶の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」が、水の音にたくして「しずけさ」をうかびあがらせるのとは逆の仕方で、香港の「適度なにぎわい」(しずけさ)は、香港の「いつもの躍動感のある混沌としたにぎわい」をうかびあがらせるように、ぼくには見える。

 

気候も(時にとても寒くなることもあるけれど)過ごしやすくもなる。

2017年はクリスマス前から年末にかけて、15度から20度の気温で推移している。

知り合いの香港人が語るように、ちょうどよい気候ではある。

夏の蒸し暑さでもなく、寒すぎもせず。

だから、「同感だよ」と、ぼくは知り合いの香港人に同意してしまう。

 

それから、そこに「年末年始」という独特の雰囲気が重なる。

冬至からクリスマス、そして新年の挨拶を一緒にしたような「Season’s greetings」という仕方で、人と人との「つながり」に感謝する。

クリスマス後の最初の平日(ボクシングデー)の夜、「適度なにぎわい」に包まれ、ひとときのしずかな装いをみせる香港の街の一角を歩きながら、ぼくはそんなことを考える。
 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、クリスマスをむかえて。- 多様性に彩られる「香港のクリスマス」。

香港で、11回目(11年目)のクリスマスをむかえる。香港の街は、すっかりとクリスマスの衣をまとい、冬至を越し、新しい年へ向かう雰囲気をつくっている。...Read On.


香港で、11回目(11年目)のクリスマスをむかえる。

香港の街は、すっかりとクリスマスの衣をまとい、冬至を越し、新しい年へ向かう雰囲気をつくっている。

「香港のクリスマス」という視点の立て方は、それがどういうものかをひとことで語るのは、なかなかむずかしい。

「クリスマス」というものが、街の飾りや商品や語りのなかには厳然と存在しながら、やはり「香港」という場所の多様性のために、語ることがむずかしい。

 

香港の英字紙「South China Morning Post」は、2017年クリスマスの前の週末を「Hong Kongersがどのように過ごしたか」という記事を24日付で掲載している(*参照記事はこちら)。

そこで取り上げられているのは、例えば、次のようなものだ。

● コンサート
● 食品市
● 抗議行動
● 香港からの/への人の動き
● 行政長官の挨拶

「香港からの/への人の動き」においては、23日の土曜日だけでも、69万3千人が香港を離れ、49万3千人が香港に到着したという。

香港に住んでいる人も、旅行者も入っているので一概には言えないけれど、香港の人口が740万弱であることを考えると、「香港」という場を起点にして、ほんとうに多くの人が動いていることがわかる。

「香港」の境界線において発生している多様性。

また、「香港」の内も多様性に満ちている。

いろいろな国や文化の人たちという「横の多様性」、また階層的な社会構造にあるような「縦の多様性」がある。

さらには、そこに「時間軸」を組み合わせると、時間の進み方の速さが加わり、いっそう、香港の多様性を増している。

それらの多様性が、この香港という小さな場所に凝縮されている。

凝縮されているからこそ、その様相と体験がよりオープンに、目の前で展開される。

 

ローカルな雰囲気のショッピングモールを歩きながら、文房具店で子供に小さなプレゼントを買う人を見る。

近くのモダンなショッピングモールでは、おしゃれなレストランで、クリスマスディナーを楽しむカップルや家族がいる。

海外から出稼ぎできているヘルパーの人たちがクリスマスデコレーションを背景に写真をとっている。

そんな「いろいろ」な風景が香港である。

 

そんなことを考えながら、耳から、麻雀(マージャン)の音が聞こえてくる。

麻雀牌をかきまわす音だ。

近所宅に人があつまり、麻雀をしている。

麻雀をしながら、広東語での会話がとぎれることなく続いているようだ。

クリスマスの麻雀の音も、ぼくのなかに「香港のクリスマス」として、刻印されている。

 

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東ティモールでむかえた「クリスマス」(2006年)の記憶から。- 「War is over, if you want it...」(ジョン・レノン)

「War is over, if you want it…」。争いは終わるよ、あなたがそれを望むのであるなら。...Read On.

「War is over, if you want it…」。

争いは終わるよ、あなたがそれを望むのであるなら。

John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつである「Happy Xmas (War is Over)」のバックコーラスが届ける歌詞である。

ジョン・レノンが主旋律を歌いながら、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団の子供たちが声を奏でている。

2002年から2003年にかけて、戦争が停戦に至ったばかりの西アフリカのシエラレオネに赴任していたときも、それから2003年から2007年初頭にかけて、独立したばかりの東ティモールにいたときにも、この名曲はぼくの深いところで、力強いメロディーと歌声で鳴り響いていた。

シエラレオネは停戦に至っていたけれども隣国リベリアは内戦が激化していて、難民がシエラレオネに押し寄せていた。

独立したばかりの東ティモールは平和を維持してきたけれど、2006年になってディリ騒乱が発生し、国内避難民を発生させた。

そのような現実に身をおきながら、国際支援を展開しているぼくの内面を、ジョン・レノンの歌が支えてくれていた。

「争いは終わる、望むのなら」と。

 

東ティモールの首都ディリでの騒乱は、ふりかえるのであればその前触れはいっぱいに集められるけれど、騒乱へと突如に落ちてゆく行き方は(万が一の準備はしつつも)あまり予測されない事態であった。

ディリ中心街の銃撃戦の場に、ぼくはいつのまにか置かれ、翌日には東ティモールを退去せざるをえない状況になった。

すぐにもどる予定が、国際支援の制度上のしばりにしばられ、なかなか戻れず、日本から遠隔でプロジェクトを指揮していた。

ディリの状況はよくならず、情勢は不安定さを増していくことになる。

その間、しばりのない他のチームがディリに入り、国内避難民の支援をはじめていた。

そうして情勢が若干の落ち着きをみせはじめたころ、ディリを退避してから数ヶ月後に、ようやく、ぼくはディリにもどることができた。

2006年9月のことだったかと思う。

不安定さはまだ残り、慎重な支援事業を展開していった。

一時は恐れたコーヒーの出荷を、コーヒー生産者たちとチーム一丸で、ぼくたちは達成した。

出荷作業も終わり、そのフォローアップも落ち着いたのは、2006年の末であった。

クリスマスは、ぼくはディリにいた。

いたるところで小競り合いがつづくディリであったけれど、クリスマスの前あたりから、街は「落ち着き」を得ていた。

クリスマスの夜、事務所の前からディリの山腹をながめながら、ぼくはじぶんのなかで、つぶやいていた。

War is over, if you want it…

争いをつづけている人たちであっても、「クリスマス」という、カトリック教徒であろう彼らにとって大切な日には、争いをとめることができたのだ。

その事実に、ぼくは少し安心した。

<共同幻想としてのクリスマス>という、人間的な事象はくずれることなく、生きつづけている。

完全に人間がこわれてしまったわけではない。

ジョン・レノンの歌にこめられた<共同幻想>を書き換える企ては、その根拠をもっていることを、ぼくは争いが続く場で感じたのだ。

望めば、争いは終わるのだ。

たとえ、それがつかの間のことであったとしても。

今では東ティモールは、ふたたび、平和な日々をとりもどしている。

 

東ティモールにいる間、「Happy Xmas (War is Over)」の東ティモール版のようなバージョンを収録したいと、ぼくはかんがえていた。

ニューヨークのハーレムコミュニティ合唱団に替わって、東ティモール合唱団(あるいは世界の合唱団)のような合唱団がバックコーラスの歌声を奏でるというものだ。

そのときはその夢を形にすることはできなかったけれど、ぼくの「人生でやりたいことのリスト」にひきつづき含まれている。

ここ香港でクリスマスイブをむかえるなかで、ぼくはその夢をおもいだす。

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音楽・美術・芸術 Jun Nakajima 音楽・美術・芸術 Jun Nakajima

名曲「Happy Xmas(War is Over)」(ジョン・レノン)。- <共同幻想>の書き換えに向けられた歌。

John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつ、「Happy Xmas (War is Over)」。...Read On.


John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつ、「Happy Xmas (War is Over)」。

年の瀬が近くなるにつれ、この曲のメロディ、ジョン・レノンの差し迫ってくる歌声、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団のバックコーラス、それから公式動画に映し出される世界での争いが、ぼくの中にながれてくる。

1971年にリリースされてから、今ではクリスマスソングのスタンダードに数えられ、数々のアーティストたちに歌い継がれている。

この名曲は、ジョン・レノンとヨーコ・オノが1960年代末から展開していた一連の「平和活動」のなかで放たれたことから、クリスマスソングにおさまらない奥行きをつくりだしている。

「クリスマス」というイベントを旗印にして、<すべての人たちにとってのクリスマス>という図式で、メッセージを届けている。

 

And so this is Xmas (war is over)
For weak and for strong (if you want it)
For rich and poor ones (war is over)

And so this is Xmas (war is over)
For black and for white (if you want it)
For yellow and red ones (war is over)
Let’s stop all the fight (now)

John & Yoko/Plastic Ono Band, “Happy Xmas (War is Over)”

 

人の強さ、裕福さ、人種を超え、<すべての人たち>を、「クリスマス」という出来事のもとにおさめる。

いろいろと<違う>人たちを、<同じ>土台のもとに置くのは「クリスマス」という事象だ。

ここでいう「クリスマス」は、いわゆる宗教的な色彩は(それも包含しながら)そぎおとされたものだと、ぼくは考える。

抽象化して言えば、それは人間のもつ<共同幻想としてのクリスマス>である。

世界での「クリスマス」は、宗教的なものも非宗教的なものも共に含めるような仕方で、毎年やってくる。

歴史家ユバル・ハラリは、「未来の歴史」を見据えるなかで、人間のもつ、この共同幻想に着目している。

そこで語られる共同幻想と同型のものとして、「Happy Xmas(War is Over)」において、<みんなが同じ>土台として立つことになる「クリスマス」は存在している。

 

この意味の構造において、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団の子供たちが奏でるバックコーラスの「叫び」は、「争いが終わること」の方法としての妥当性をもっている。

戦争や争いを終わらせる力としての「共同幻想」。

ジョン・レノンやヨーコたちがそれだけで争いが終わるとは考えていなかっただろうけれど、じぶんたちの立つ「立ち位置」において、できるだろうことのひとつとして世界に向けられたメッセージである。

それは、<共同幻想>を書き換えるムーブメントのひとつである。

ジョン・レノンやヨーコや合唱団の子供たちはうたう。

戦争は終わる。

あなたが望めば、と。

望めば終わるという論理はストレートでありながら、反対に、「望んでいない」人たちという存在をあぶりだす言葉の装置でもある。

時代の大きな転換において、課される課題は、望まないことを望むことに変換するための行動の想像力と実行力である。

 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、冬至節(Chinese Winter Solstice Festival)をむかえて。- 「湯圓」を食べながら。

2017年12月22日は冬至(Winter Solstice)にあたり、ここ香港では「冬至節」ということで、多くの家族がこの機会にあつまり、夕食を囲む。...Read On.

 

2017年12月22日は冬至(Winter Solstice)にあたり、ここ香港では「冬至節」ということで、多くの家族がこの機会にあつまり、夕食を囲む。

香港の休日に関する法律では休日ではないけれど、香港の雇用法(雇用条例)においては、使用者側の選択により、この日を法定休日とするかあるいは「クリスマス」を法定休日とするかを決めることができるようになっている。

多くの企業などでは、クリスマスを法定休日とするから冬至節は休みにならないが、香港の慣習により、仕事に支障がなければ仕事を早めに切り上げることができるようにしていたりする。

それだけ大切な日である。

早く家に帰ったりレストランにくりだして、家族たちと食事を共にする。

 

冬至は、知られているとおり、一年で昼の時間がもっとも短くなる。

冬至の起源は、生きることのバランス・調和に関する、中国の「陰と陽」の概念にある(※参照:Discover Hong Kong)。

昼がもっとも短くなる冬至は「陰」(暗闇・冷たさ)の力を極めるが、そこを境にして「陽」(光・暖かさ)に開かれていく日にあたる。

この日に家族があつまり、食事を共にする、家族にとって一年でもっとも大切な日のうちの、ひとつである。

上述のように、香港では、仕事を早めにきりあげて、家族があつまるのだ。

習慣として、「湯圓」(もち米で作った団子の入った甘いスープ)を食べたりする。

その発音の仕方である「tongyuen」が、「reunion、再会」と似ているからという。

 

「大切さ」を尊重して、夜、デザート店に「湯圓」を食べに立ち寄った。

午後10時に近い時間にもかかわらず、多くの人たちで席が埋まり、多くの人たちがテイクアウトをするために店頭に並んでいた。

家族たちがこうしてあつまる機会は、ふつうにいいな、と思う。

別にそれが冬至に限られたことではないし、冬至のような特別な日に限るのもよくないけれど、それでも、そのような日があって、みんながあつまる。

シンプルにそれはいいなと、ここ香港のそんな風景を見ながら、ぼくは感じるのであった。

 

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「 」と< >という違う括弧に入れて書く方法。- 本質をみつめる姿勢で「世界」をひらく。

思考の方法として、書くことの方法として、「 」と< >というように、違う括弧でくくる方法がある。社会学や哲学などで使われる方法である。...Read On.

思考の方法として、書くことの方法として、「 」と< >というように、違う括弧でくくる方法がある。

社会学や哲学などで使われる方法である。

ぼくも、この方法を日々の思考の過程で駆使し、ブログなどを書くときにも使っている。

社会学者である若林幹夫が、著書『社会(学)を読む』(弘文堂、2012年)のなかで書いている説明を、ここで引いておきたい。

 

「社会学の本」と<社会学の本>のように、同じ言葉を「 」と< >という違う種類の括弧にくくって区別する手法は、見田宗介(真木悠介)の著作をはじめとして、社会学や哲学でしばしば見られる表記法、思考法である。「 」は“一般にその言葉で指し示されていること”を意味する場合が多く、<>は“より本質的な意味でその言葉が指し示しうること”を意味する場合が多い。

若林幹夫『社会(学)を読む』弘文堂、2012年

 

若林幹夫が書いているように、見田宗介(真木悠介)の著作でよく使われていて、ぼくがはじめてこの用法を学んだのも、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)においてであった。

『気流の鳴る音』のなかでは、「世界」と<世界>というような区分けがされ、それ自体が本の全体とその内実を構成するような本質的な区分けである。
 

ぼくは<>により本質的な意味を追う人たちの書くものに魅了されてきたし、またそのような人たちがいることにも勇気づけられたものだ。

それほどに、一般的な言葉(「 」)で語られるような「世界」の表層的な世界に疲れていたし、疑問を感じていたし、この括弧をひらいていきたいとも思っていた。

『気流の鳴る音』が書かれたのは1970年代であり、ぼくがそれに魅かれたのは2000年頃であり、そのことを振り返っているのは2017年。

この期間だけを見ても、40年から50年の間、この表記法と思考法が必要とされてきたことを、ぼくは経験と感覚において感じている。

 

そして、今を含め、これからのまだ見ぬ時代に向かって、この表記法と思考法は、ますます重要性を増してくるものと思う。

「一般のもの」が疑われ、解体され、再構築されていくなかで、「本質的なもの」をとらえていくことが求められる。

例えば、それは、すでにして「人間・ヒトとは何か」という問いへと、世界の知性たちの思考を向けている。

それほど大きな問いではなくても、日々の仕事や生活のなかで、当たり前のことを「 」に入れて考える。

それだけでも、いろいろな効果や効用がある。

そして、「 」と< >という違う括弧に入れて書く方法は、表記法と思考法というだけでなく、生き方の方法としてもつきぬけてゆくところに「世界」がひらかれていく。

 

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言葉・言語, 身体性, 書籍 Jun Nakajima 言葉・言語, 身体性, 書籍 Jun Nakajima

言葉は「目と耳とを同じだとするはたらき」(養老孟司)。- ヒトと社会の底流にながれる「同じ」という意識の機能。

養老孟司の著書『遺言』(新潮新書、2017年)は、シンプルな記述と意味合いの深さの共演(響宴)にみちた本である。...Read On.


養老孟司の著書『遺言』(新潮新書、2017年)は、シンプルな記述と意味合いの深さの共演(響宴)にみちた本である。

分類の仕様のない本であるけれど、「人間」にむけられた深い洞察に、思考の芽を点火させられる。

本それ自体については、また別途書きたいと思う。

 

養老孟司の思考の照準のひとつが、「同じ」ということにあてられる。

第3章は「ヒトはなぜイコールを理解したのか」と題され、「当たり前」の覆いを取り、思考をそそいでいる。

この思考のプロセスがスリリングであるが、「結論」だけを、ここの箇所から取り出しておく。

 

…動物もヒトも同じように意識を持っている。ただしヒトの意識だけが「同じ」という機能を獲得した。それが言葉、お金、民主主義などを生み出したのである。

養老孟司『遺言』新潮新書、2017年

 

「同じ」という機能が言葉を生み出したと、養老孟司はいう。

通常、ふつうにかんがえても、このつながりはよくわからない。

「意識と感覚の衝突」という項目でプラトン(養老孟司はプラトンのことを「史上最初の唯脳論者」と呼ぶ)にまでさかのぼりながら、「乱暴なこと」と認識しながら、次のように、「言葉」について語る。

 

…いうというのは、言葉を使うことであって、言葉を使うとは、要するに「同じ」を繰り返すことである。それをひたすら繰り返すことによって、都市すなわち「同じを中心とする社会」が成立する。マス・メディアが発達するのも、ネットが流行するのも、結局はそれであろう。グーグルの根本もそれである。われわれはひたすら「ネッ、同じだろ」を繰り返す。なぜなら言葉が通じるということは、同じことを思っているということだからである。動物はたぶんそんな変なことはしていないのである。

養老孟司『遺言』新潮新書、2017年

 

言葉は現実を裏切る、などとよくいわれる。

言葉は物事を「言い尽くせない」のは本来は通常のことであり、人間は「同じ」という意識の機能、その産出物である「言葉」で、言い尽くせないものを名付け、「同じ」ものとして集団で認識していく。

養老孟司の思考はさらに「科学」的にきりこんでゆき、「同じ」はどこから来たか、と問うていく。

脳の構造と機能にその起源をもとめていき、ヒトの脳の「大脳新皮質」の進化に目をつける。

ヒトの脳の特徴は大脳皮質(特に新皮質)が肥大化したことにあるという。

情報処理の機能である。

 

 視覚の一次中枢から聴覚の一次中枢までを、皮質という二次元の膜の中で追ってみよう。視覚、聴覚の情報処理が一次、二次、三次中枢というふうに、皮質という膜を波のように広がっていくとすると、どこかで視覚と聴覚の情報処理がぶつかってしまうはずである。そこに言葉が発生する。
 なぜか。言葉は視覚的でも聴覚的でも、「まったく同じ」だからである。というより、ヒトはそれを「同じにしようとする」。…
 つまり目からの文字を通した情報処理も、耳からの音声を通した情報処理も、言葉としてはまったく「同じ」になる。

養老孟司『遺言』新潮新書、2017年

 

この意味において、言葉は「目と耳とを同じだとするはたらき」である。

言葉というものの「強さ」と同時に、言葉がよってたつところの基盤の「危うさ」を思わせる。

 

「考えるということ」は「分けること」でもあると、ぼくはかんがえる。

あるものを、論理で分けながら、綿密に「分」析していく。

養老孟司の思考をここに注入するとするのであれば、「同じ」という土台の基盤において、できるかぎり「違い」において分けていく、ということであろうか。

別の「同じ」という機能の言葉を使って。

それは、この本の主題のひとつ、「科学とは?」ということとも繋がってくるということに、この文章を書きながら、ぼくは気づく。

 

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物語の中の「夢」と物語全体としての<夢>。- 「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介)。

真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。「life is but a dream. dream is, but, a life」真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年...Read On.

真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。

 

「life is but a dream. dream is, but, a life」

真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年

 

「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて勝手に訳したもの」(前傾書)であると、真木悠介は書いている。

「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」というこの詞は、ぼくの「ことばにできないことば」を言葉にしてくれた。

生きることの全体が、ここに言い尽くされている。

 

ここでふれられている「夢」を理解するためには、「夢」を二層化する必要がある。

  1. 目標・ゴールを大きくした「夢」
  2. 生きること全体の物語としての<夢>

「夢はなんですか?」という問いのように、通常に語られる「夢」は、この1番目の「夢」である。

真木悠介のすてきな詞は、この2番目の<夢>を照準している。

これら二つを別の言い方で言えば、タイトルに掲げたような言い方になる。

  1. 物語の中の「夢」
  2. 物語全体としての<夢>

ここでは仮に、「物語」を<一冊の本>としてかんがえてみる。

つまり、ぼくたちの生の全体、一生が<一冊の本>である。

「物語の中の「夢」」とは、一冊の本の主人公である「私」が、本の中で、物語が展開してゆくなかで抱く「夢」である。

他方、「物語全体としての<夢>」とは、一冊の本そのものである。

「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」という詞は、ぼくたちの生が、ただ夜見るような「夢」(=幻想)のようにはかないものだけれど、このひとつの物語である<一冊の本>としての<夢>(=幻想)こそが、人生であることを、シンプルさを極めた仕方で語っている。

ぼくたちは、この<一冊の本>の外部に出ることはできない。

真木悠介は、見田宗介名で書いた別の文章のなかで、このことを明晰に語っている。

 

…だれも幻想の外に立つことはできない。物語批判は物語の否定ではない。人間は物語の外部に立つことはないからである。どのような物語を生きるかということだけを、わたしたちは選ぶ。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫

 

この意味においては、人はだれしもが、夢見る人 dreamer なのだ。

「しかし夢こそが人生である」ことを明晰に理解することは、「どのような物語を生きるかということ」の選択の方へ、人をおしだしてゆくのである。

こうして、人は物語の内部で、豊饒な物語を(つくられながら)つくっていく。

 

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直感的に魅かれ、生の道ゆきを照らし出す「詩」。- 真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用するナワトルの哲学詩から。

社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。...Read On.


社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。

直近では、2016年に書かれた論考「走れメロス」において、冒頭に引用されていた。

さらに、その論考をもとになされた大澤真幸との対談でも触れられている(見田宗介・大澤真幸『<わたし>と<みんな>の社会学』左右社、2017年)。

 

最初に著作のなかで引用されたのは、おそらく(違っていたら別途書きます)、真木悠介の素敵な著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)である。

真木悠介の「生のワーク」として書かれた30片くらいのノートのひとつに、「天と地と海を」という一片がある。

そのページに、このナワトル族の哲学詩と、イカム族の諺が縦横に並べられている。

 

[ナワトル族の哲学詩から]
われわれの生のゆくえはだれも知らない。
ひとは未完のままに去る。
そのために私は泣き
私はなげく。
けれどもこの世ではこの世の花で私は友情を織る。
大地の上にはー花と歌。

真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)

 

この(おそらく)最初に取り上げられた形から、20年以上を経て(見田宗介名で)書かれた論考「走れメロスー思考の方法論について」では、真木悠介にとって<ほんとうに大切な問題>の光があてられることで、次の部分だけが取り上げられている。

 

われわれの生のゆくえはだれも知らない。人は未完のままに去る。
けれどこの世ではこの世の花で友情を織る。
ー大地の上には花と歌
            ナワトル族の哲学詩から

見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号

 

「比較社会学」という方法で「人間の解放」を追い求めてきた真木悠介が、当初は直感的に魅かれた詩であるように、ぼくは推察する。

「どのようにしたら歓びに充ちた生を生きることができるか」という純化された問いに導かれるように、真木悠介は人や社会における「相乗性」の契機を軸のひとつとして、理論を構築してきた。

人や社会の「相克性」をみないわけではない。

真木悠介(見田宗介)自身が述べるように、『現代社会の理論』(岩波新書)や『社会学入門』(岩波新書)においても、相克性ということが明晰にとりあげられている。

それでも、人の生や社会を解き放つ契機として「相乗性」を正面からみすえているのだ。

この「相乗性」ということにおいて、ナワトルの詩は、直感的に魅かれた詩でありながら、真木悠介(見田宗介)のその後の論考の道を照らしてきたものでもある。

 

 冒頭に掲げたナワトルの詩は、人間がこの世に生きるということの意味を究極支えるに足るものとして、第I水準または第II水準と第Ⅲ水準とにおける無償化された相乗性、無償化された肯定性ー花と友情ーを想起している。
 共同体も市民社会も生命世界も、本来は集列性である。相克あるいは無関心である。この地からその部分と
して、最初は方法としての相乗性 instrumental reciprocityが立ち現れる。そのあるものは効用のループをこえて無償化し、純粋な情熱と歓びの源泉となる。
 …それは派生的、部分的なものであるままで、それ自体派生的、部分的な存在であるわれわれの生きることの根拠を構成する力をもつ関係となる。

見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号

 

ここでいう「第I水準または第II水準と第Ⅲ水準」は、真木悠介(見田宗介)が提示する「現代人間の五層構造」の水準である。

第0水準の「生命性」を土台に、人間性、文明性、近代性、現代性の五層である。

真木悠介(見田宗介)が丁寧に述べているように、派生的・部分的な契機にすぎない「相乗性」は、それでも確かに生きることの根拠を構成する力をもつ関係となって、ぼくたちの生きることを支えている。

ナワトルの詩は、そこに一編の光をさしこんでいる。

 

ひるがえってぼくは「真木悠介にとってのナワトルの詩」のような「詩」をもっているだろうか、とかんがえてしまう。

ぼくにとっては、このナワトルの詩が最初に置かれた、真木悠介の著作『旅のノートから』の冒頭に置かれた一編に、いつも戻ってくるように思われる。

「life is but a dream, dream is, but, a life」(真木悠介)

 

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ニュージーランドの美しい歌がしみこむ夜。- 「Pokarekare Ana」の曲に魅せられて。

ニュージーランドに、マオリ語で歌われる「Pokarekare Ana」という曲がある。ぼくの好きな曲だ。...Read On.

ニュージーランドに、マオリ語で歌われる「Pokarekare Ana」という曲がある。

ぼくの好きな曲だ。

伝統的なスタイルで歌われる「Pokarekare Ana」も、あるいはクライストチャーチ(ニュージーランドの南島にある街)生まれのHayley Westenraが歌う「Pokarekare Ana」も、それぞれに味がある。

ネット検索でざっと見ていると、この曲の「オリジナル」は明確ではないようで、第一次大戦頃に生まれ、いろいろな人たちのアレンジが加わって、今のような形になってきたようだ。

ぼくがこの曲に出逢ったのは、今から20年ほど前になる1996年。

ニュージーランドの北島にあるロトルアという街においてであった。

大学2年を終えたところで休学し、ワーキングホリデー制度を利用して、ぼくはニュージーランドに降り立っていた。

オークランドに降り立ち、その後の滞在計画を練りながら、「これ」というものが見つからずに、ぼくはロトルアに行ってみることにした。

 

ロトルアは北島の中間あたりに位置し、温泉で有名な街である。

街全体が硫黄のにおいで充満しているほどである。

ニュージーランドが秋に入ってゆく時期の、とてもよく晴れた日に、ぼくはロトルアに到着した。

そこで、マオリ族の人たちが伝統的な歌と踊りを披露していることを知り、星々がひろがる夜空のもとに悠然とたたずむ木造りの小屋に、ぼくは足を踏み入れた。

マオリ族の伝統的な建物である。

10名ほどのマオリ族の人たちが伝統的な衣装を着飾り、伝統的な物語を素材に、歌と踊りで物語にいのちをふきこんでいく。

フォークギターがその背景に音楽を奏でる。

ラグビーのオールブラックスが試合前に行うことで有名になった「Haka」もそのひとつとして披露された。

後半も終わりに近くであっただろうか、とても美しい調べの歌が小屋にひびきわたる。

凛とした空気のなか、凛とした歌声がきれいに風をきっていくような響きだ。

その曲の調べと美しい歌声のひびきは、いつまでも、ぼくのなかでこだましていた。

小屋の外に出ると、しずかな夜風がぼくにふれた。

 

その曲が「Pokarekare Ana」という曲だということを、後にぼくは知る。

帰り際に、会場の入り口で、つい購入してしまったカセットテープによって。

そして、ぼくは、ときにこの曲がとても聴きたくなる。

新しい曲たちもいいけれど、「伝統」の曲たちもいいものだ。

新しさと古さの分断線を、この曲は風をきっていく美しさで、気にする風情なくのりこえていくように、ぼくにはきこえる。

 

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香港 Jun Nakajima 香港 Jun Nakajima

香港で、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」が発出される「寒さ」をむかえて。

香港もようやく「寒く」なりはじめて、香港天文台(気象庁にあたる)は12月半ばにして初めて、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」を発令した。...Read On.


香港もようやく「寒く」なりはじめて、香港天文台(気象庁にあたる)は12月半ばにして初めて、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」を発令した。

しかし、気温は低くても11度前後で推移し、世界的に見たら「寒い」と言うにはおよばないけれど、香港に長く住んでいると、これはこれで寒い。

ただし、この寒さも数日続いてから緩和し、クリスマス頃は15度から20度くらいとなるようだ。

このくらいの気温の範囲であると、行き交う人びとの装いはさまざまだ。

一方でダウンジャケットを着る人たちがいれば、他方でシャツだけを着ているような人もいる。

世界のさまざまな地域から人が集まるところでもあるので、「寒さの基準」が一様でない。

寒さに対処するにおいても、香港天文台や周りにあわせていくのではなく、じぶんの「基準」をつくっておかないと、たちまち体調を崩してしまう。

 

寒く感じることの理由のひとつは、暖房があまりなく(街中ではほとんどなく)、冬でもエアコンの冷たい空気が、空気の流れをよくしていることだ。

「香港のエアコンディショニングはなぜそんなに寒いのか?」(WHY IS THE AIR-CONDITIONING IN HONG KONG SO COLD?)

街を歩いていたら、そのように問う、アート的な香港案内を見つけた。

最近、香港島のセントラルのSOHOという場所(多国籍の料理やバー)からIFCという建物(映画バットマンのシーンでも登場する建物)に向かう「通り道」が改装された。

ブリッジ式の通り道で、それまでは通りの横に店舗が並んでいた。

相当昔から商いをしてきたような店々であったが、全体がとりこわされ、完全に「道」だけとなり、壁には「香港案内」がアーティスティックに並べられている。

そのうちのひとつが、上記の「香港のエアコンディショニングはなぜそんなに寒いのか?」という案内である。

 

簡易案内の言葉にこんなことが書かれている(日本語訳はブログ著者)。

 

…Why is the air-conditioning so cold? Perhaps because the British are accustomed to the chilly weather back home, the industry standard for air-conditioning is 22℃. In some shopping centre and restaurants, the temperature may even be lower than 20℃, which is far lower the nearby cities…
(なぜエアコンディショニングはそんなに寒いのか?おそらく、英国人は英国での寒い天候に慣れていることから、エアコンディショニングの業界基準が22℃となっているらのであろう。ショッピングセンターやレストランによっては、気温は20℃よりも低く、それは近隣の都市などと比べてもかなり低いのである。…)

 

こんな具体に、香港への訪問者(visotor)向けに、香港案内が壁一面に並んでいる。

香港の風景も、都市開発のなかで、このようにして様変わりしていく。

それにしても、理由がなんであれ、香港のショッピングセンターもレストランも寒いから、少し多めに着込んで、ぼくは今日も出かけてゆく。
 

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国際協力・国際支援 Jun Nakajima 国際協力・国際支援 Jun Nakajima

緊急支援と開発協力の<あいだ>。- 国際協力で、ぼくの立っていた時空間。

思考の戯れのなかで、「Transition(トランジション)」という言葉に光があてられたかと思ったら、ぼくの思考は、国際協力という実践において以前立っていた時空間にとんでいった。...Read On.


思考の戯れのなかで、「Transition(トランジション)」という言葉に光があてられたかと思ったら、ぼくの思考は、国際協力という実践において以前立っていた時空間にとんでいった。

それは、緊急支援と開発協力の<あいだ>という時空間である。

紛争や大災害のインパクトを受けながら、「緊急支援」として状況への介入がなされる。

紛争であれば例えば難民支援であったりするし、大災害でも地震や津波で家を失った人たちへの支援であったりする。

その後、状況が落ち着き、避難していた人たちは(可能であれば)もともと住んでいた場所などに戻っていく。

しかし、いわゆる途上国においては、戻った場所での生活基盤も脆弱であることが多く、開発協力などで、中長期的に支援をしていくことがある。

「緊急支援→開発協力」へという流れにおいて、その中間である「生活にもどっていく」段階での支援がある。

西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールでぼくが活動をしていたときの、ぼくの立ち位置は、まさにその段階であった

「トランジション」での支援である。

「緊急支援→開発協力」の図式で言えば、矢印のところである。

 

ぼくはもともと、発展途上国の「開発協力」を学んでいた。

地域に根ざし、中長期的な視野で、持続可能な発展へときりひらいてゆくための、支援である。

先進国の押しつけ(だけ)にならない支援のコンセプトが、一気に出てきていた時期である。

人生というものはわからないもので、ぼくが仕事を得たのは、緊急支援に比重をおく組織であった。

ぼくの最初の赴任地は、西アフリカのシエラレオネ。

紛争終結後で、緊急支援とともに、帰還民支援として「トランジション」の支援に入っていた。

次の赴任地である、東ティモールでも、紛争後の緊急支援に一区切りがつけられる時期であった。

地に足をつけて「開発協力」を志していたから、複雑な気持ちを抱きながらも、ぼくはこの「トランジション」の支援に意味を見出してゆく。

実際に、「緊急支援→開発協力」への繋ぎの大切さと方法論が議論されていたころであった。

緊急支援はスピードと規模ゆえに、その地域に大きなインパクトを与える。

一気に、人や物が流れ込み、問題解決を達成しながら、しかしその大きなインパクトゆえに負の部分も残してしまう。

だから後々の着地はもとより、その着地にいたるプロセスがセンシティブで難しいのだ。

 

そんなことを、「トランジション」という言葉を手がかりにして、ぼくはふと考えたのであった。

そして今、世界は、「トランジション」の段階だ。

20世紀後半に一気に経済的な発展を遂げ、そこから「次なる時代」へとつながっていく段階である。

ぼくはこのトランジションに焦点をあてている。

国際協力でぼくの立っていた時空間と、今ぼくが立っている時空間は、「トランジション」という状況でつながっている。

そこで、ぼくのできることはなんだろうかとかんがえる。

 

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