成長・成熟

山の「歩きかた」に凝縮された<教え>。- ニュージーランドの山との/山での出会い。 by Jun Nakajima

ニュージーランドの山をひとりでめぐっているときに、ぼくは、ぼくの「生きかた」を深いところで照らす<教え>を得た。山小屋で出会ったスウェーデン出身の女性に受けたその<教え>は、それまでじぶんが疑問視してきたことに直接に光をあてた。

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「人生はかくも単純で、かくも美しく輝く」(村上春樹)。- アイラ島独特の生牡蠣の食べ方を一例に。 by Jun Nakajima

シングル・モルト・ウィスキーの「聖地」である、スコットランドのアイラ島での旅をつづった、村上春樹のエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(新潮文庫)。この本のなかで、ボウモア蒸溜所のマネージャーであるジムが、島でとれる生牡蠣の食べ方(あるいは、シングル・モルトの飲み方、とも言える方法)を村上春樹に教えるところがある。

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とても疲れているときに、やはり本をひらく。- 心に灯を灯し、あたためる。 by Jun Nakajima

とても疲れているとき、思っている仕方では休まらないことがあるものである。寝不足があきらかであれば寝れば元気になるものだけれど、寝ても何か疲れがとれないことがあったりするものである。そんなとき、逆に身体を動かすことで疲れがとれることもあるし、たとえば、読書をすることで疲れがいやされるようなこともある。

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ユングの深い洞察と鮮烈なことば。- ユングへの「予感」。 by Jun Nakajima

いつか読むことがわかっている本、いつかはわからないけれどいずれ読むだろうと予感のする本、読みたいと思いつつどこかで「まだ」と思う本、「そんなことごちゃごちゃ言っている暇があれば今にでも本をひらけばいいじゃないか」という声が聞こえつつもじっと「時」が熟すのを待っている本。

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憶い起こせば、海のある風景。- <海の風景>に耳をかたむける。 by Jun Nakajima

それなりの年数を生きてきたなかで、自分の住んできた「場所」をふりかえってみる。より正確には、ここ香港で海をながめて、いろいろとかんがえていたら、世界のいろいろな<海の風景>がぼくのなかで重なってきた。そこでふりかえってみると、確かに、<海の風景>が幾重にも重なっているのを、じぶんの内面に見る。

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人間を「鏡」に映す。- 「人間ではない存在」に照らされる<人間>。 by Jun Nakajima

「ただ生きる」ということ。それは、なんとなく生きていくというのではなく、むしろ、<生きる>ということの経験のひとつひとつを味わい、経験しつくしてゆく生きかたである。呼吸をすること、食べること、家族や友人と話をすること、身体を動かすこと、このようななんでもないことを味わいながら生きること。

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「自分」をバージョンアップさせてゆく。- たとえば、海外で暮らしてゆくなかで。 by Jun Nakajima

「自分」であること。一貫性をもった振る舞いかたで、どこにいっても、どんなときも「自分」をもっていること。確固とした「自分」であること。そのような、不動で、確固とした、強い個人像のようなものが有効であり、また強く信じられることがある。

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問題のありかとしての「世間の目」をわきまえる方法。- 山本七平が受けた訓言から。 by Jun Nakajima

著書『「空気」の研究』でよく知られている山本七平(1921-1991)の『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)をとりあげて、ここのところブログを書いた。『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』のほかに、本のタイトルにひかれてぼくの「本棚」にならんでいる山本七平の著作に、『無所属の時間』(1978年)がある。

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「資本主義の精神」について。- マックス・ヴェーバーが注目する<ベルーフ>としての職業。 by Jun Nakajima

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

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「未来」の使いかた。- 未来は「未知」であるという前提の生きかた。 by Jun Nakajima

「未来」を手にいれたとき、それは人間にとって、大きな「解放」であった(古代日本人にとっての「未来」はつぎの収穫までの時間ほどであった、など)。けれども、近代・現代は「未来」を極端な仕方で、あるいは間違った方向に向けてしまうようでもある。

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