成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

手持ちの<使えるもの>を今一度確認してみる。- Apple Macの「辞書」。

日々の暮らしのなか、手持ちの<使えるもの>で、使っていないものや利用していないものがあったりするものだ。

日々の暮らしのなか、手持ちの<使えるもの>で、使っていないものや利用していないものがあったりするものだ。

そんな<リソース>は、そこにあることを知っていれば使っていただろうし、あるいは、そのようなものがあれば使い途を考えて活用していただろう。

でも、それらの(豊富な)リソースの存在に気づくことなく、やりすごしてきて、ある日ふとその存在に気づいて思う。あれ、こんなところにこんなにいいものがあるじゃないか、と。


ぼくにとっては、コンピュータのOSにあらかじめ盛り込まれている「辞書」が、そんなリソースであった。

アップル社のコンピュータ用のOS(macOS)を今一度、ガイドブックを参考に、全貌を把握してゆく。設定をひとつずつ確認し、OSの機能をひらきながら確かめる。「辞書」が搭載されていることは知っていながら、辞書を開け「単語」をうちこんでみて、気づくことになる。これまでなんで使ってこなかったんだろう。いい辞書じゃないか。と。

たとえば、英語は「Oxford Dictionary」であり、日本語は「スーパー大辞林」、それから、日本語・英語は「ウィズダム英和・和英」がはいっている。単語には、例文もついているし、それぞれの説明のなかに「単語」をクリックしてその単語に飛べたりもする。


こんなことが、コンピュータではよくあるかもしれないと思う。

コンピュータを手に入れ、あるいは仕事でコンピュータあてがわれるとき、その機能をすべて理解してから使い始めるという人は別にして、それ以外の人は「自分が当面使う機能」にしぼって、キーボードをがちゃがちゃと動かしはじめる。

文章や報告書を書くためのソフトウェア、表計算などのソフトウェア、Eメールなど、それらを使いこなせば生活や仕事のタスクもひとまずこなしてゆくことができる。「足りない機能」があれば、他のソフトウェアなどをオンラインで探しては追加していく。

そんなふうにして、「自分が使う機能」が固定化していってしまうことになる。

つねにアンテナを張って、機能を見直し、新しいものを取り入れることが得意な人や好きな人はこれまた別として、そうでないと、ある程度の「自分が使う機能」が固定化してしまうのだ。常々アップグレードさせなくても、ある程度の機能を持っていれば、目の前のことがらを遂行してゆくのに事欠かないわけだ。

こうして、他にいろいろと機能がついていることは知りながら、結局は「自分が使う機能」の枠から出ることがなくなってしまう。だから、ときには、その枠から出て、コンピュータの機能の全貌を確認してみるのもひとつである。


そして、このようなことは、コンピュータだけに限定されることではない。

ぼくたちが日々暮らしてゆくなかで、仕事をしてゆくなかで、手持ちの<使えるもの>を使っていないかもしれない、使えていないかもしれない。そんなふうに、自分や自分の周りを眺めてみることができる。

もしかしたら、「何か」が見つかるかもしれない。

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「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いに向かって。- 「矢作俊彦の小説の主人公」の場合。

思想家・武道家の内田樹と、「三軸修正法」の池上六郎の対話をもとにした著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。いろいろとハイライトしたなかで、「まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョン」(池上六郎)ということばを、別のブログでとりあげた。

思想家・武道家の内田樹と、「三軸修正法」の池上六郎の対話をもとにした著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。いろいろとハイライトしたなかで、「まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョン」(池上六郎)ということばを、別のブログでとりあげた。

その他にハイライトしたなかで、この「ことば」はいいなぁと読みながら思ったところを、つぎに挙げておきたい。


「格好いい」という生きかた・人生(内田樹がふれているように、「格好いい人生」は最近では死語のようである)を語りあうなかで、内田樹が挙げたことばである。


内田 矢作俊彦って、ぼく大好きなんですが、何かの小説の主人公の言葉なんですけれど、「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いに対して、「もっと自分を好きになりたいから」と答えるんです。…けだし名言、と思いましたね。まことにそうだな、と。「自分のことをもっと好きになりたい」じゃないですか。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「もっと自分を好きになりたいから」。確かに、名言である。


ところで、「自分のことしかかんがえていない」というような言説が聞こえてくるなかで、他方「自分のことが好きではない」という人たちを生みだしている時代である。

「自分のことしかかんがえていない」(ようにみえる)人と、「自分のことが好きではない」人が同じ人とはかぎらないけれども、同じ人であることもある。それは、「自分中心=自分が好き」という構図ではなく、「自分中心=自分が好きではない」という構図だ。

矢作俊彦の小説の主人公は、この構図から見てみると、逆転させた構図である。つまり、「他者のため=自分が好き」である。

「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いにおける「そんなこと」は、ふつうであればしないようなことである。少なくとも、世間的には「しないこと」である。世間的に「しないこと」というのは、たとえば(一見すると)自分にとって「損」にみえるようなことである。それでも、矢作俊彦の小説の主人公は「する」のである。もっと自分を好きになるために。

「もっと」と言うからには、今の「自分も好き」なのである。けれども、「もっと」である。「もっと」は過剰な欲望であるかもしれないけれども、それは自分を自分たらしめているものである。

自分にとって「損」になるようなこと(見方によってはそのように見えること)、つまり他者のためであることなどが、ここでは、「自分を好きになる」ことに直接に連関している。ここで構図をいじると、「他者のため→自分のため=自分が好き」というほうが、より正確だろう。

「自分が好き」であることを基礎におきながら(ここを飛ばすと「他者のため」が自己犠牲になることがあるから、これは大切なことである)、他者の歓びがそのまま自分の歓びであるようなところで、自分を好きになってゆく。

そんなふうに遠回りして、「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いにもどってくる。

矢作俊彦の小説の主人公は応える。「もっと自分を好きになりたいから」。

内田樹に、ぼくは同意する。やはり、名言である。

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成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima 成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima

「私」という存在。- 池上六郎がリスペクトする「最新ヴァージョン」としての「私」。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

大学の頃から興味をもちつづけてきた「身体論」、さらには内田樹先生の「文庫版まえがき」に触発されて、この本を手にとった。ページをひらいたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。

「一気に読んだ」からといって、すべてを理解したわけでもないし、あるいは内容が薄かったわけでもない(まったく逆である)。むしろ、「身体」を通して共感し、一気に読んだ、というのが、より正確だろう。


とにかく、この電子書籍のいろいろな箇所に、ハイライトをいれた。

いろいろとハイライトした箇所のひとつに、池上六郎先生がいくどか繰り返したことがある。それは、「私という存在」は祖先が創り出した「最新ヴァージョン」である、ということだ。

池上六郎はつぎのように書いている。


 私たちは両親から生れ、その両親もふた親から生れと、一代、二代と遡って行くと膨大な数の祖先が現れて来ます。例えば自分の両親にも両親が居て……と遡れば十代で1024人、二十代遡れば、52万4288人。わずか二十代遡っただけで50万人を超え、二十一代では100万人をはるかにこえる祖先が居たことになります。昔の一代の間隔は現代のそれより、かなり短いはずですから、二十代と言ってもわずか400年にも満たない程の間に私たちの祖先は100万人も居たことになります。…それ程の多くの祖先が居て今の私が存在しているのです。まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョンなわけです。…

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


一代も途切れることなく、今の「私」につながっている。このすごさをリスペクトすることを、池上六郎はすすめている。ぼくもそう思う。

この「事実」はしかし、「頭」で考えれば誰もがわかることであるし、別に新しい発見ではない(でも、ほんとうに、ほんとうに「驚くべき」ことである)。学校などで、同じような思考実験をやってみたりして、この「事実」を知っている人も結構いるかもしれない。

けれども、「最新ヴァージョン」なんだと池上六郎が語るとき、そこには、生命体としての「私」へのゆるぎない信頼がよこたわっている。頭で知り、語っているだけではない。その信頼のなかで、池上六郎の施術がおこなわれ、なによりも、池上六郎自身の生が生きられている。

机上の「事実」だけでなく、あるいは思考実験による「事実」だけでなく、現実に、今この文章を書いている「ぼく」も、この文章を読んでくださっている「あなた」も、数えることすら出来ないほどの祖先が創り出した<最新ヴァージョンとしての存在>なのだ。

池上六郎の、このような「踏み込みの仕方」に、ぼくはひかれるのである。


ところで、現代社会において、ぼくたちは「個人」として生きている。「個」として、空間的にまた時間的に、(祖先を含めた)他者から切り離されている。それは、ひとつの「解放」でありながら、ときとして、存在の不安をひきおこすことがある。

<最新ヴァージョンの存在>であるということ自体は「個人」としての生きかたを妨げるものではないし、また、むしろ、「私」という存在を支えるものである。

<最新ヴァージョン>としての「私」という存在は、数えることすら出来ないほどの祖先たちと、想像すらおよばないほどの「縁」が重ねられてきた、生命のギフトである。

経験と年齢を重ねれば重なるほどに、ぼくは、そのようにしてここにいる「自分」という存在の奇跡を感じるようになってきている。

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成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima 成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima

「受け売り」の効用。- 思想家・武道家の内田樹の「話し方」。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「良心の声は両親の声」と言われるように、自分が「良心」とかんがえていることは、親から言われつづけて(また親子のコミュニケーションのダイナミズムを通じて)、「自分の声」となるほどまでに内面化されたことであったりする。


思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎は、そのことを承知のうえで対話をしている(『身体の言い分』毎日新聞文庫、2019年)。

内田樹は、自身を「受け売り業者」みたいなものだとみなしている。「受け売り」ということばは、日常では否定的なニュアンスで語られるけれども、「受け売り」で話す仕方を、方法論として深めている。


内田 …自分の意見はもうとっくに聴き飽きてるし。受け売りはね、同じ話を何度しても飽きないんです。受け売りで何度も繰り返す話って、ちょっと変な味わいの話が多いんですよ。何かね、どこか噛み砕きにくいところが残っているんです。だから同じ話を二度話すと、「ああ、この話はこういうことだったのか」と腑に落ちるということがあるわけです。三度目に話すと、また「ああ、そういうことだったのか」と。他人の話というのは味わい深いですよ。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「自分の意見はもうとっくに聴き飽きてる」というように、内田樹が「受け売り」を方法論とするうえで、「自分の意見」は考えつくされ、また、話つくされていることは確かだ。「自分の意見」がないままに、ただ「受け売り」を繰り返しているのではない。

そのことをおさえたうえで、内田樹がつづけて語ることばに耳をすませてみる。


内田 …だから、自分で全部きちんと理屈を通せる話というのはかえって自信がもてないんです。ぼくごときの人間が「全部わかってしまう話」というのは、あんまりたいした話じゃないだろうなと思うから、テンションも上がらない。
 でも、この辺はよくわかるけれどもこの辺はなんだかよくわからない話ってあるでしょう。そういう話って、どうやったら辻褄が合うんだろうと一生懸命考えながら、時々「あ、そうか!」と一人で頷いたりしゃべっているから、結果的にはけっこう感動的なパフォーマンスになったりするんです。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


なるほど。「けっこう感動的なパフォーマンスになったりする」ことのからくりがわかるような気がする。「自分→他者」に伝えるという、一方向的な仕方ではなく、「自分と他者」が共に「あ、そうか!」を分かち合うような時がおとずれる。その場において、感動が、生成する。双方に、あるいは双方向的に。それからもちろん、感動的なパフォーマンスは、「結果的に」、であるけれど。

このように、「受け売り」で話す仕方が、自ら楽しむこととして、また「自分の意見」あるいは「自分」を乗り越えてゆく方法として、意識的にとりこまれている。

集団のなかに自分が埋没してしまうのでもなく、あるいは「自分」が他者から切り離されたものとして徹底されるのでもなく、自分と他者との相互的な関係を捉える仕方で、ある意味、集団主義も、個人主義も乗り越えられている。「受け売り」を、肯定的に活用することによって、である。


それにしても、「自分の意見」だと思っていることも、あるいは「自分」だと思っている自分も、「他者の意見」や「他者」のありかたによって構築されたものであったりするのである。

けれども、そこでの「他者たち」の組み合わせや交響の仕方、あるいは生きられ方・経験のされ方は、それでも個々人によって異なるものである。内田樹にとっては、いつも、フランスの哲学者レヴィナスと武道家の多田宏の「意見」や「考え方」が響いているのだけれど、レヴィナスと多田宏の組み合わせと交響がかなうのは「内田樹」を通してであるし、また「内田樹」という人の生を通してである、ということだ。

その意味において、意見や考え方、さらには生きかたの「多様性」に、人はひらかれている。

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成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima 成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima

万次郎(ジョン万次郎)が無人島とアメリカで学んだこと。- 鶴見俊輔がみてとる、成長としての「思想」。

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

<成長的な見方>(ある人が生き、失敗し、その体験をもとに成長していく、その過程を思想としてつかむこと)によって、万次郎の生涯と生きかたにせまる、心揺さぶる(いわば)「物語」だ。

読んだあとも、鶴見俊輔のまなざしを浴びた万次郎の残像が、ぼくのなかに残っている。


19世紀半ば、万次郎(14歳)は土佐出身の他の四名(漁師たち。筆之丞など)と共に離島に漂流し、そこで143日を生きのびたところで、アメリカの捕鯨船(ハラウンド号)に救出される。当時の日本は鎖国の時代であり、日本に行くことはできず、ハワイを経由し、万次郎はアメリカ(マサチューセッツ州フェアヘイヴン)に到達する。

救出から船旅、そしてアメリカ滞在を支えたのは、ハラウンド号のホイットフィールド船長であった。

鶴見俊輔は、ホイットフィールド船長宛てに書かれた万次郎の手紙(英文)をいくつか引用していて、命の恩人であり、保護者であり、主人でもあったホイットフィールド船長にたいしても、「おお友よ(Oh my friend)」と呼びかけた万次郎に光をあてながら、つぎのように書いている。


…万次郎が無人島とアメリカで学んだのは、人間の対等性ということだった。ホイットフィールドは、万次郎が白人にたいして卑屈にならなくてよいという信念をもつ上で、たいせつな役割をつとめた。
 万次郎をフェアヘイヴンにつれてきた時、ホイットフィールドは、かれを自分の所属している教会につれていった。万次郎を、その教会の日曜学校にかよわせるためである。ところがその教会は、有色人種の少年を白人の子といっしょに教育するわけにはゆかぬと断った。するとホイットフィールドは、すぐさまこの教会に行くのをやめてしまった。
 そして、万次郎を迎えることに同意したユニテリアン派の教会に新しく入会して、次の週から万次郎をつれて通いはじめた。

鶴見俊輔「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」、『旅と移動』黒川創編(河出文庫)所収


「無人島」での学びとしてふれられているのは、無人島ですごしていたとき、ひとり中ノ浜出身で最年少でもある万次郎は、宇佐出身の他の四人から軽んじられるという体験をしていたからである。

さらに同様な出来事をアメリカでも経験しつつも、しかし、人間の対等性を学ぶうえで、ホイットフィールドの存在が大きかったのだ。万次郎もすごいけれど、ホイットフィールドもすごい。このような人たちが世界で、「たいせつなこと」を行動で伝えつづけている。そんなことを思う。

ちなみに、新しく入会した教会で、万次郎は、ハラウンド号の所有者のひとりであったウォレン・デラノという船主の家の人びとと共に説教をきくことになる。デラノ家では、代々、万次郎のことが伝説の一部としてつたえられ、この話はウォレン・デラノの孫、フランクリン・デラノ・ローズヴェルトにも語られたのだという。後年、アメリカ大統領になったフランクリン・デラノ・ローズヴェルトは「万次郎は、私の少年時代の夢だった」と語ったのだという。


万次郎がフェアヘイヴンについたのが、1843年5月7日。そのときから、176年が経過しようとしている。

万次郎が無人島とアメリカで学んだ「人間の対等性」は、その後の世界でどのように生きられ、あるいは生きられてこなかったか/生きられていないのか、ということを思う。

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書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

「自分の問題」の延長線上に。- 上原隆著『友がみな我よりえらく見える日は』。

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

著作『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫)のタイトルを目にしたときにそんなことを思ったのだけれど、ぼくがこの本を手にしたのは、このタイトルからではなく、「上原隆」によって書かれた本だからである。

上原隆を知ったのは、鶴見俊輔を補助線として吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』を読み解く、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)を知ったときであった。

そして実直な視点と文体に惹かれて、ぼくは上原隆の他の著作を読んでみたくなったのだ。こうして、『友がみな我よりえらく見える日は』のページをひらくことになる。

その扉の詞には、石川啄木の『一握の砂』からの言葉が置かれている。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」(石川啄木)。本のタイトルはここから来ているようだ。

上原隆は、インタビューを通して、市井の人びとの人生をきりとって、それぞれ短い文章にまとめている。目次を見るだけでも、さまざまな人びとが取り上げられているのがわかる。友よ、容貌、ホームレス、登校拒否、芥川賞作家、職人気質、父子家庭、女優志願、等々。


ここではそれぞれの詳細ではなく、この本のモチーフについて、上原隆の別の著書の文章をあげておきたい。


 あるとき、鶴見さんがこういった。
「マルクスがすごいのは資本論を書いたからじゃない。餓えという問題を見つけたからなんだ。問題を解決することよりも、自分の問題を見つけることが重要なんだ。
 私にとって「自分の問題」は何だろうと考えた。映画監督になることが高校生の頃からの夢で、映画会社に入ったのに、自分の映画は作れなかった。…自分には才能がないのだと認めざるを得なかった。私は落ち込み、部屋にひきこもり、毎日、鶴見さんの本だけを読んで過ごした。そんなふうだった三十代の十年間を思い出した。あのとき、鶴見さんの本を読むことで自尊心をささえていたなと。そして、これは「自分の問題」ではないかと気づいた。
「困難に陥り、自尊心が傷つき、自分を道端に転がっている小石のように感じるとき、人はどうやって自分を支えるのか」

上原隆『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)


上原隆は、この「自分の問題」を手がかりに、人に会い、話を聴き、本を書いた。その本が、『友がみな我よりえらく見える日は』(1996年)である。

この本ができたとき、はじめて、鶴見俊輔がほめたのだという。「市井の人々の生き方を記録」と紹介されたりするなか、鶴見俊輔があるとき、上原隆に言ったのだという。「あなたの書いているものは文学ですね」、と。

『友がみな我よりえらく見える日は』を読みながらぼくが感じていたのは、それぞれの人びとの「物語」が語られているのだということ。「文学」だという鶴見俊輔と共振するところだと思う。


ところで、「自分の問題」を見つけるときというのは、ある意味で、「他者との比較」(…よりえらく見える、など)から離れてゆくときでもある。

ぼくたちは日々、直面する問題を解決していくけれども、もっと根源的な次元において「自分の問題」を見つけてゆくこと。「他者との比較」から離れ、いわば<自分との比較>がはじまる。今日の自分は昨日の自分と比較してどうか。「自分の問題」が、どう生きられているか。

こうして、<自己実現>ということが、根源的な「自分の問題」と共に、歩みはじめるのである。

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音楽・美術・芸術, 成長・成熟 Jun Nakajima 音楽・美術・芸術, 成長・成熟 Jun Nakajima

人生は、40歳にはじまる。- ジョン・レノンの曲「Life Begins at 40」。

「Life Begins at 40」。人生は、40歳にはじまる。

「Life Begins at 40」。人生は、40歳にはじまる。

「Life Begins at 40」は、ジョン・レノンが、1980年、40歳になった年に創られた曲である。同じ年に40歳になったリンゴ・スターのアルバムに収録を意図して創られたようである(参照:Wikipedia「Life Begins at 40(song)」)。

けれども、同年12月8日、ジョン・レノンは銃弾に倒れる。こうして、もともとの計画は頓挫してしまったのだけれど、後年、「Life Begins at 40」のデモ版が収められたCDが発売されて、ぼくたちが聞けるようになった。

メトロノームが鳴り響くなか、「…ダコタのカントリー・ウェスタン倶楽部にようこそ」という、ジョン・レノンの語りからはじまるデモ版である。

その言葉に見られるように、カントリー風の曲調で曲がはじまり、どこか悠長な響きで、ジョン・レノンは歌いはじめる。


They say life begins at forty,
Age is just a state of mind.
If all that’s true,
You know, that I’ve been dead for thirty-nine.

John Lennon「Life Begins at 40」(Lennon Music, EMI Blackwood Music Inc. OBO LENONO Music)


人生は40歳にはじまるのだという。年齢はただのマインドの状態にすぎないんだと。もしそれがほんとうだというのなら、ぼくは39年のあいだ、機能停止して死んでいたも同然だ。

シリアスな感じではなく、ゆっくりとしたカントリー音楽の曲調にあわせて、「あらまあ」という感覚で歌われている。それはたしかに、リンゴ・スターの楽観性にあわせられているかのようでもある。


それにしても、「Life Begins at 40」という見方(パースペクティブ)が、ぼくは好きである。人生は、40歳にはじまる。

ジョン・レノンは「年齢はただのマインドの状態にすぎない」と歌ったけれど、「人生は40歳にはじまる」こと自体が、マインド、心の持ちようであるとも言える。

そのことを確認したうえでなお、「人生は40歳にはじまる」のだということが、ぼくにとってはまるで「真実」のように感じとられるのである。40代の半ばにさしかかって、ぼくはいっそう、そのように思う。

でも、誤解しないでほしい。40歳だけが「人生のはじまるとき」ではない。どんなときも、「はじまり」とすることができる。人が描く「物語」というものは、いろいろに描くことができるのだ。

けれども、さらにこのことを再確認したうえでなお、「40歳」頃、いわゆる「中年期」というのは、人生の「転換期」であると、ぼくは自分の経験から感じるのである(例外がいくらでもあることを、念のため強調しておく)。それも、とても「深い」転換期である。

なお、「人生100年時代」の到来のなかで、おそらく、「中年期」という時期の捉え方も変わってゆくと思う。けれども、捉え方が変わったとしても、人生の「転換期」であることは変わらないだろうと思う。


「Life Begins at 40」を歌ったジョン・レノンは、人生の「このとき」をどのように捉えていたのだろうか。何を感じていたのだろうか。何を思い、この先をどのように描いていたのだろうか(あるいは描いていなかったのだろうか)。

この曲を聴きながら、ついつい、そんなことを想像し、考えてしまう。

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成長・成熟, 村上春樹 Jun Nakajima 成長・成熟, 村上春樹 Jun Nakajima

「誰のために書くのか?」に対する、村上春樹の応答。- 小説家の村上春樹にとっての「ひとつ身にしみて学んだ教訓」。

「どのような読者を想定して小説を書いているのか?」

「どのような読者を想定して小説を書いているのか?」

そのような類の質問がなげかけられるとき、小説家の村上春樹はけっこう迷うのだという。とりわけ「誰かのために」という仕方で小説を書いているわけではないし、さしあたっては「自分のために」書いている。

けれども、ただ「自分のため」だけということもないから、このような問いに明快かつシンプルに応えるのは確かにむずかしい。さらには「読者」といっても、特定しがたい。

そのような迷いの背景を、「誰のために書くのか?」(『職業としての小説家』スイッチ・パブリッシング、2015年)という文章で、「小説家」に成り、作品をつくりだしてゆくプロセスを含めて、村上春樹は書いている。


それにしても、「誰のために書くのか?」という類の質問に応えるのは、簡単でありながら、実はむずかしい。

「簡単」ということは、たとえば、「…の読者のために」と言ってしまえば聞こえはいい。「他者のため」という言説は、一面において、現代社会の美徳でもあるからである。逆に、「自分のために」という言い方も、最近はとても聞こえのいいものである。「自分のため」の生きかたが、一面において、憧憬されているからである。

質問に応えるのが「むずかしい」というのは、根本的に、「他者のため」でありながら、「自分のため」であるからである。気軽な会話やインタビューで、これら二つを踏まえて、相手や読み手が納得する仕方で応えるのは、それほどシンプルではない。また、シンプルに応えるのがよいともかぎらない。


村上春樹は、自身の経験(どのようにどのような小説を書きはじめ、どんな批判を受け、読者の存在がどのように意識され、というような経験)を踏まえ、それらを丁寧な仕方で読者に提示しながら、「誰のために書くのか?」という質問に応えている。

その応答を読んでいるなかで、「ひとつ身にしみて学んだ教訓」の箇所にさしかかると、文章の磁場が、なんだかぐっと変わったような感触をうける。



 ただ僕が作家になり、本を定期的に出版するようになって、ひとつ身にしみて学んだ教訓があります。それは「何をどのように書いたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ」ということです。…ですからいきおい、「なんでもいいや。どうせひどいことを言われるのなら、とにかく自分の書きたいものを書きたいように書いていこうぜ」ということになります。

村上春樹『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング、2015年)



このことは、けっして「書くこと」だけの真実ではない。「何をどのようにしたところで、結局はどこかで悪く言われるんだ」というように、汎用性のある教訓であると、ぼくは思う。

なお、「自分が楽しむ」ことが、そのまま「芸術作品として優れている」ということにはならないことがこのあとに書かれているように、上の文章だけをひきぬいて自分の人生に適用することには、「注意」が必要だ。

村上春樹にとっては「身にしみて学んだ」教訓だからこそ、生きてくる教訓である。



この教訓をとりあげながら、リック・ネルソン(Ricky Nelson)の歌『ガーデン・パーティー(Garden Party)』のなかの詞を、村上春樹はとりあげている。


 もし全員を楽しませられないのなら
 自分で楽しむしかないじゃないか



これはおそらく村上春樹訳だと思われる。ちなみに、もとの詞はつぎのようである。


   You see, ya can’t please everyone, 
   so ya got to please yourself

Ricky Nelson “Garden Party”「Greatest Hits」 ※Apple Musicより


古い友人たちと思い出を語るようなガーデン・パーティーに行ったけれども、誰も自分を認識しなかった。彼ら・彼女たちは自分の名前を知っているのだが、自分は同じ容貌ではなかったから。そんなガーデン・パーティーを(おそらく)振り返りながら、「But it’s all right now, I learned my lesson well(でも今は大丈夫さ。私は教訓を得たんだ)」と歌い、軽快なリズムがきざまれるなか、うえでとりあげた詞がつづく。

もし全員を楽しませられないのなら、自分で楽しみしかないじゃないか。「この気持ちは僕にもよくわかります」と、村上春樹は書いている。


この歌詞は確かに人を惹きつける。

「自分で楽しむしかないじゃないか」という箇所の気持ちよさはあるけれど、あるいはそこよりもむしろ、「もし全員を楽しませられないのなら」という箇所が人の心にひっかかってくるのではないか。ぼくは、そう思ったりする。

「全員を楽しませようとする」気持ちや試みの体験、それからその挫折。そこが感じられるからこそ、この歌詞は人を惹きつけるのである。


ところで、うえでとりあげた「教訓」は、逆も、真実をもっていることを、最後に書いておきたい。

「何をどのように書こうとも、どこかで、よく言ってくれているんだ」。

悪く言う人もいるけれども、よく言う人もいる。批判のほうが目立つから「聞こえない」かもしれないけれど、どこかで、誰かが「よく言ってくれている」ということ。

このこともいわば「教訓」である。

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成長・成熟, 物語・ストーリー Jun Nakajima 成長・成熟, 物語・ストーリー Jun Nakajima

周りのどんな人たちも「自分に協力してくれている」。と、考えてみる。- 名作『アルケミスト』で語られる言葉の教えに耳を傾けて。

日々のなかで、ぼくたちはさまざまな場所で、さまざまな人たちに出会い、いろいろな状況に出くわす。親切や好意を受けることもあれば、文句を言われたり、ぞんざいに扱われることもあるかもしれない。

日々のなかで、ぼくたちはさまざまな場所で、さまざまな人たちに出会い、いろいろな状況に出くわす。親切や好意を受けることもあれば、文句を言われたり、ぞんざいに扱われることもあるかもしれない。

文句を言われたり、ぞんざいに自分が扱われるとき、その人に対して怒りがわいたり、いらだったりする。誰しもがよく扱われたいものである。

でも、そんなふうに嫌な場面に遭遇するとき、その人(たち)が「自分に協力してくれている」と、考えてみること。これは、自分や自分が望むものをきりひらいてゆくための方法のひとつである。


ブラジル人作家パウロ・コエーリョの作品に、『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)というベストセラーがある。ぼくも、昔からとても好きな本である。原作は1988年にブラジルで発刊され、そののち、この作品は時空をはるかに超えて、世界中で今でも読み継がれている。

主人公は、羊飼いの少年サンチャゴ。サンチャゴは、宝物が隠されているという夢を信じ、アンダルシアの平原から、エジプトのピラミッドに向けて旅にでる。この旅では、本のタイトルにあるように、「アルケミスト=錬金術師」が、サンチャゴの壮大な旅の物語において大切な役を担い、少年の旅を導いていく。

そんな『アルケミスト』のなかに、つぎのような箇所がある。



「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」と錬金術師は言った。…少年は理解した。自分の運命に向かうために、もう一人の人物が助けに現れたのだった。
「それで、あなたは僕に何か教えてくださるのですね」
「いや、おまえはすでに必要なことはすべて知っている。わしはおまえをおまえの宝物の方向に向けさせようとするだけだ」

パウロ・コエーリョ『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年、山川紘矢・山川亜希子訳)


「人が本当に何かを望む時、全宇宙が協力して、夢を実現するのを助けるのだ」。錬金術師が少年サンチャゴに語るこの言葉は、よく引用される言葉である(ぼくも好きな言葉である)。

ぼくたちが「本当に何かを望む」とき、周りの人やものごとが、夢の実現を助けてくれる。ぼくもそう思う。けれども、ぼくは「本当に何かを望むとき」という箇所をいったん外してしまっても、全宇宙が協力してくれている、と、言うことができると思う。

「本当に何かを望む」という言い方は、望みを明確に意識している状態を想像させるのだけれど、人は明確に意識しなくても、それぞれに「物語」を生きている。「物語」はじぶんで選びとった物語ということもあれば、そうではないこともある。あるいは、他者たちが生きてきた「物語」であることもあれば、「自分の物語」をつくりだしていることもある。

いずれにしろ、人はそれぞれに「物語」を生きていて、その物語に沿う形で「全宇宙が協力」しているのだと、考えてみる。たとえば、文句をぶつけてくる人も、その自分が生きる「物語」のなかで、なんらかの「役割」を担っているのだと、考えてみることができる。

自分の「物語」が展開してゆくなかで、それは「大切なシーン」であるかもしれない。そこで、自分は「何か」に気づく場面であるかもしれないし、その場面をきっかけに自分が「変わる」ことになるかもしれない。


「そんなこと言われても、文句を言われたら腹がたつ」と思われるかもしれない。

それはひとまず仕方のないことである。でも、「腹がたつ」のあとの自分の言動については、自分で選ぶことができる。そこで、立ち止まって考えてみることができる。誰もが、自分に協力してくれている、あるいは、自分の「物語」で役を演じてくれている。

そんなふうに考えてみるとき、「本当に何かを望む」ものごとがなくても、自分のなかで何か気づくことがあるかもしれない。「自分に協力してくれている」とするならば、どんなことで、どんなふうに協力してくれているのか。そんな「気づき」があるかもしれない。

少なくとも、こんなふうに考えてみることで、自分が生きる「世界」は、異なって見えると思う。

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<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。- 見田宗介先生による、インドの哲学書『秘密の書』の解釈。

4月に入って、ここ香港ではぐっと暑さが増してきていて、今日は日中の気温が30度ほどであった。また、香港の、「あの」じっとりくる湿気も、じわじわとやってきているようだ。

4月に入って、ここ香港ではぐっと暑さが増してきていて、今日は日中の気温が30度ほどであった。また、香港の、「あの」じっとりくる湿気も、じわじわとやってきているようだ。

日本の「4月」とは異なるけれども、季節の変わり目というところでは「始まり」のときでもある(ほんとうは、いつだって「始める」ことはできる)。


そんな「始まり」において、見田宗介先生(社会学者)の次の文章を、ここに紹介しておきたい。


『秘密の書』というインドの哲学書によれば、愛の格律は究極のところ二つしかない。
 一.初めの炎を保ちなさい。
 一.残り火は捨てよ。

これは直接には性の技術の書であるともいわれているが、また愛の真実であり、生きることの真実でもあるとぼくは考えている。たとえばひとつの哲学を愛する時に、それともひとつの仕事を愛する時にさえ、<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。それだけが哲学や仕事を鮮烈に愛する仕方だ。

見田宗介「解説 夢よりも深い覚醒へ」、竹田青嗣『陽水の快楽』(ちくま学芸文庫、1999年)


ここで「哲学」が出てくるのは唐突かもしれないが、この文章は、哲学者である竹田青嗣の「井上陽水論」に付された解説であるからである(「夢よりも深い覚醒へ」と題された、この解説文はほんとうに美しい解説である。ぼくはこれほど美しい解説文をこれまでほかに読んだことがない)。

この文章は、ぼくが、とても好きな文章である。

初めてこの文章に出会ったときから、ぼくはこの「真実」に共感し、ぼくの生を支えてくれる「真実」として心のうちに収めておき、事あるごとに取り出しては、ぼくの生に照らし合わせてきた。

じぶんがやっていることにどこかもやもやとしたものを感じるときなどに、このページをひらいては、究極の二つである「愛の格律」に戻って、じぶんの生きかたに光をあててみるのだ。


<初めの炎>を保つこと。そして<残り火>は捨てること。

これ以上、ここで追加で語るところはひとまずないのだけれど、「ちなみに」を加えておきたい。

ちなみに、見田宗介先生は、うえで紹介した文章のなかで、『秘密の書』の「真実」がつらぬくことがらとして、「性」のこと、「愛」のこと、それから「生きる」ことを挙げられているが、これは決して恣意的な並列ではない(と、ぼくは考えている)。

見田宗介先生のペンネーム(真木悠介)で書かれた名著『自我の起原』(岩波書店、1993年)では、性のこと、愛のこと、生きることが、書名のとおり「自我の起原」にまで射程をひろげながら、一貫性をもった視点で追求されている。

興味のある方は、ぜひ『自我の起原』の本をひらいてほしい。

『自我の起原』は、まさに、<初めの炎>を保つこと、そして<残り火>は捨てることにつらぬかれた書物である。

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「ひとり旅」という旅の形式と方法。- 内向的でありながら外向的であること。

1994年、大学1年の夏休みに、ぼくははじめて「海外」を旅した。

1994年、大学1年の夏休みに、ぼくははじめて「海外」を旅した。

横浜から大型客船の鑑真号にのって、中国の上海を最初の目的地とし、上海から北に向けて(西安→北京→天津)移動してゆく旅であった。

こだわったのは「ひとり旅」ということであった。旅の終盤に北京の故宮で大学の友人とおちあう約束をしてはいたのだけれど、そこまでの旅路は「ひとり」であった。


「ひとり旅」にこだわった理由は、じぶんの好きな仕方で旅をしたかったこともあるけれど、自立への志のようなものも少なからずあったし、モデルとなるような旅人たちに見習ったということもあったと思う。

ひとり旅では、当たり前と言えば当たり前なのだけれども、普段の日常に比較して、「ひとり」になる時間が圧倒的に多くなる。「ひとり」であることの自由さを楽しみながら、でも、異国の地の宿でひとりでいるときなど、深い孤独の暗闇にまよいこんでしまうこともある。

深い孤独の暗闇のなか、思ったことを文章に書くことでじぶんやじぶんのなかの他者と対話して、孤独感をやわらげたこともあった。

たとえばそんな風にして、「じぶん」と向き合う時間も増え、「じぶん」と向き合う深さも深まった。

「ひとり旅」は、旅路は結構忙しかったりもするのだけれど、それでもやはり、「じぶん」の内面と向き合うための機会として貴重な方法であった。


このような「ひとり旅」は、ひとり旅をしてきた人たちには「当たり前」のことだろうし、ひとり旅の経験がない人たちも想像がつくところである。

外部からの見え方によっては、ひとり旅によって<じぶんに閉じこもる>、というように見える。それは「正しい」見方ではあるのだけれど、「ひとり旅」の一面をとらえただけである。

「ひとり旅」という方法は、<じぶんに閉じこもる(向き合う)>というじぶんに向けられた方向性とは逆に、「ひとり」であるからこそ、<外部にひらかれている>形式でもある。旅を共にする人たちとの「共同体」を形成して、外部に対する皮膜をつくってしまうのではなく、ひとりであることで、誰とでも接する可能性にひらかれる。

「ひとり旅」とは、「ひとり」という言葉の語感とは裏腹に、外部に向かってオープンにひらいてゆく方法でもあるのだ。

実際に、「ひとり旅」をしていると、旅路でいろいろな人たちと出会う。相手も「ひとり旅」をしている人であったり、現地の人たちであったり、出会いの量と質が異なるように感じることもある。


1994年、中国の旅においても、「ひとり」であるぼくを、ほんとうにたくさんの方々が気にかけてくれたり、声をかけてくれたり、ケアしてくれたりしたものだ。

「ひとり旅」が一番いい、などと言っているのではない。別のブログにも書いてきたように、<横にいる他者>(真木悠介)によって、じぶんが体験する「世界」の奥行きがまるで変わってくることがある。北京の故宮で待ち合わせをした友人の「人柄」と「眼」を通して、ぼくの「世界」は広がってゆき、深まったものだ(ぼくひとりであれば、会わないような人たちに出会い、行かないようなところに行った)。

ぼくが書いているのは、「ひとり旅」は、<じぶんに閉じこもる>(※言葉にネガティブさを感じるのであれば、「じぶんに向き合う」)という方法でありながら、それと同時に、<外部にひらかれている>形式であり、方法であることである。

内向的でありながら、きわめて、外向的である。

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「ヒッチハイク」へとおしだされた旅。- ニュージーランドを、北から南に向かって歩きながら。

旅を始めたとき、まさか、ぼくが「ヒッチハイク」をすることになるとは、思ってもみなかった。

旅を始めたとき、まさか、ぼくが「ヒッチハイク」をすることになるとは、思ってもみなかった。

ぼくのなかでヒッチハイクをすることはイメージになかったし、もちろん意図としてもなかった。でも、旅を続けてゆくなかで、「ヒッチハイク」という旅をすることにおしだされていったのである。


1996年、ぼくは、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドのオークランドに住み、滞在の後半になってから、ぼくは「ニュージーランド徒歩縦断」の旅に出た。

ニュージーランドに渡るまえから決めていたことではなく、オークランドに住みながら、「こんなことをしたんだ」と、じぶんや他者に言えるような「何か」をしておきたいと思い、アウトドアの雑誌で見た記事に触発されて、ぼくは「ニュージーランド徒歩縦断」を試みたのであった。

結果としては「途中で断念した」のだけれども、ニュージーランドの北端から南に向かって歩きはじめオークランドに到達し、オークランドで体制を立て直して南に向かってふたたび歩いた経験は、ぼくにとって、とても大切なものとなった。


驚いたことのひとつに、歩いている道中、ほんとうにたくさんの車がぼくのまえで停車してくれて、「乗っていきますか?」と声をかけてくれたり、乗車提供のジェスチャーを示してくれたりしたことがある。

そのたびに、ぼくは「No, thank you.」を伝え、ときに「北から南に歩いているんです」と説明することになった。そんなやりとりに、ぼくは励まされたものである。


足をけがして、ようやく到着したオークランドで治療し、オークランドで体制をととのえてふたたび南に向かって歩きだしたとき、ぼくの身体も精神も、なんだか歯車がくずれはじめたように思う。

ニュージーランドの北端から(おそらく)700キロメートルほどのところで、ぼくはじぶんでじぶんに「リタイヤ」を告げた。ぼくの身体を大粒の雨粒がうっていた。

じぶんで「リタイヤ」を決めてからそれほどたたないうちに、大雨がふりしきるなか、ある車が停まってくれた。大雨のなか、田舎のハイウェイを歩いているぼくを見兼ねて、停車してくれたようであった。

こうして、ぼくは、「ヒッチハイク」をすることになった。なお、その日は、彼の家での宿泊をすすめてくれ、ぼくはありがたく泊めてもらうことにした。出会ったばかりの方に泊めてもらうのは、ぼくにとって「はじめて」の経験でもあった。

身心の状態がよければありがたく断っていたかもしれない。それほどに、ぼくの身心は疲弊していたのかもしれないと思う。


今ふりかえってみると、「ヒッチハイク」という旅の形と内実は、「生きることの幅」をひろげてくれる契機のひとつであった。

ぼくの「ニュージーランドでの旅」は、一方に、きちんと料金を支払って決められた時間に決められた交通機関で移動する旅があり、他方に、じぶんの足をたよりにニュージーランドを縦断しようと試みる旅があった。

どちらの旅の形態も、「他人に迷惑をかけまい」とする旅の形態であるように、今ではぼくの眼に見える。「他人に迷惑をかけてはいけない」、このことを小さい頃から教えられてきたことを、ぼくはふと憶い出す。

でも、身心が疲弊し、ふりしきる雨がぼくの身体に浸潤してくる状態で、ぼくは、他者がさしのべてくれる好意を受け入れることにした。

「他者がさしのべてくれる好意を受け入れること」を、ぼくは「他人に迷惑をかけること」であると勝手に思っていたところがあるのかもしれない。切羽詰まった状態になってはじめて、ぼくは、そのような偏った見方の壁を、いくぶんか崩すことができた。

最後の最後まで、よくしてくれることに「申し訳なさ」が残ったのだけれど、でも、ぼくも「他者に手をさしのべる」ことができるような人になりたいと思ったものだ。


イメージもせず、意図もしていなかった「ヒッチハイク」の旅におしだされて、「じぶんの足をたよりに歩く」ことに挑戦していたときとは異なる経験と楽しさと学びを、ぼくは得ることができた。

そのことを、ここに書いておきたい。感謝の気持ちをこめて。

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自分のなかに埋もれている「一面」を照らしだす。- 旅で出会った人たちの<窓>を通して見る世界。

「あんな風に振舞ってみたい」。旅先で出会った日本人の方と語り、行動を共にしながら、そんな風に思ったことがあった。

「あんな風に振舞ってみたい」。旅先で出会った日本人の方と語り、行動を共にしながら、そんな風に思ったことがあった。

もう20年以上もまえのことになる。

1997年、ぼくは大学の夏休みのあいだに、タイ、ミャンマー、ラオスを旅していた。大学に入ってから、夏休みはアジアを旅し続けていた。そのまえの年、1996年には大学を一年休学し、ニュージーランドに住んだぼくは、1997年の夏、アジアに戻ってきた。アジアは、アジア通貨危機で揺れていた。

ニュージーランドに住んでいるときに無性にアジアに行きたくなるときがあったのだけれど、タイに到着したときは、やはり、身体の細胞がさわぎだすような感覚を覚えた(ちなみに、ニュージーランドでの経験はもう少し異なる次元を含めてぼくに影響を与え続けてきている)。


その方に、どこで、どのように出会ったのかは、今となっては正確には覚えていない。けれども、あのときの「体験」は、ぼくのなかにたしかに残っている。

成田空港からタイに入り、タイからミャンマーに空路で移動し、ミャンマーからラオス、ラオスからタイに戻ってくるルートで旅はすすんでいったのだが、おそらく、ミャンマーで(あるいはラオスで)、ぼくはその方に出会った。ぼくも一人旅であったし、彼も一人旅であった。

異国の地で、彼と語り、食事を共にしたりした。

それほど長い時間ではなかったけれど、彼と行動を共にするなかで、彼が、とても気さくでオープンマインドであったことに、ぼくはとてもひかれたのであった。異国の地の人たちと打ち解けてゆく仕方に、ぼくは人の「豊かさ」のようなものを感じたのだ。

後年ふりかえるなかで理解したことは、彼と行動を共にすることで、隣にいるぼくは「彼」を通じて、その<窓>から「世界」を見て、体験することができたことになる。その鮮烈な体験が、ぼくのなかの「埋もれていたもの」を刺激し、ふるい起こす。他者に感じる圧倒的な魅力性は、自分のなかに埋もれているものを照らす光となることがある。

「埋もれていたもの」に光があてられ、凍りついていたその表面が雪解けし、自分の違う「一面」が表層に出てくる。

旅路で彼と別れ、ラオスのビエンチャンに移動したぼくは、じぶんのなかに埋もれていた気さくさとオープンマインドをひらいてみる。出会う人たちや子供たちにオープンマインドで声をかける。夜の路上店で、クレープのような食べ物を売っている人にたのんで、作り方を教えてもらう。それだけで、「世界」がいつもとは違って、ぼくの前にあらわれる。


向き合う他者というのではなく、<横にいる他者>(真木悠介)である。


…関係のゆたかさが生のゆたかさの内実をなすというのは、他者が彼とか彼女として経験されたり、<汝>として出会われたりすることとともに、さらにいっそう根本的には、他者が私の視覚であり、私の感受と必要と欲望の奥行きを形成するからである。他者は三人称であり、二人称であり、そして一人称である。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店


1997年のアジアの旅を憶い出しながら、そのことをさらに深く感じる。

生きてゆくうえで、その場ですぐに学べることもあれば、あとになって(ときには、ずっとあとになって)「ことば化」されることがある。さらには、あとになって「ことば化」されたことのなかにも、生の旅路を歩きながら、もっともっと、深まってゆくこともある。

1997年のアジアの旅は、そんな体験のひとつであったようだ。

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「根をもつこと」の欲求と安心感。- 香港で「Apple Store」を利用しながら感じること。

ここ香港で、アップル社の「Apple Store」(香港には現在のところ6箇所ある)を利用しながら、「Apple Store」のすごさを実感する。「外部」から見ているだけではなかなかわからないけれど、実際にあらゆる仕方で利用してゆくと、そのすごさをしみじみと感じることになる。

ここ香港で、アップル社の「Apple Store」(香港には現在のところ6箇所ある)を利用しながら、「Apple Store」のすごさを実感する。「外部」から見ているだけではなかなかわからないけれど、実際にあらゆる仕方で利用してゆくと、そのすごさをしみじみと感じることになる。

シンプルでデザイン性にすぐれた全体的な空間(ミニマリスト的な空間)のなかに、いろいろな「サブ空間」があり、デバイスの購入から設定、アドバイスや修理、リサイクル、さまざまなセッションなど、これらが相互にからみあいながら立体的な空間をつくっている。

「Apple Store」は世界各地にあるけれど、この香港という場所で、これほどの空間とサービスを展開していることに、いろいろと考えさせられるところがある。

でも、ここではそれらをひとつひとつ考えてゆくのではなく、「Apple Store」のような空間の、物理的な存在そのもののことに光をあてておきたい。

劇場的な空間であること(またその楽しさ)をひとまず横に置いておくと、ひとことでその「物理的な存在」にたいする感覚を述べるとすれば、やはり、「安心」ということであるように、ぼくは思う。

アップル製品の良し悪しを語っているのでもなく、そして、「安心」はべつに「Apple Store」に限ることではない。

そうではなくて、その感覚は、ぼくたちの内奥に向かって深く降りていったときに、<根をもつことの欲求>に重なることであるように、ぼくは思ったのであった。


「人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ」。名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)で、真木悠介はこのように書いた。

「翼をもつこと」だけでなく、「根をもつこと」の欲求。「根をもつこと」だけでなく、「翼をもつこと」の欲求。いずれもが<人間の根源的な欲求>であると、人間の欲望・欲求の構造を徹底的に探求してきた真木悠介は書く。

真木悠介は、この矛盾の解き方として、ふるさとを「局所」に求めようとするとするのではなく、「地球ぜんたい」に求めることを提示している。

その論理的な正しさ、それからぼくが求めてきた方向性もそこにあることを確認したうえで、それでも、「根をもつこと」の欲求はぼくの内面の回路を経由して、どこか「局所」的なものや場所に向かうこともある。

実際に住む場所があること、通う場所があること、働く場所があること、「知っている」場所があること、帰る場所があること、などなど。このようにして、(違った形ではあるけれど)「根をもつこと」の安心感を、ぼくたち(少なくともぼく)は、感じたりすることがある。

正確には「根」ではないけれど、たとえば、テント(テント内の空間)も、どこか安心感を与えてくれるものである。ニュージーランド徒歩縦断に挑戦していたとき、道ばたにテントを設営し、テントにもぐりこんだときの安心感をぼくは憶い出す。

「根をもつことの欲求」から派生してくる安心感を、そのような広い幅において考えていると、「Apple Store」も、ある意味で、「根をもつことの欲求」からわきあがってくるような安心感を与えてくれるのかもしれないと、思ったりするのである。

世界をいろいろと移動したり、移り住んだりするときに、「Apple Store」があるのは、やはり、安心である(もちろん、便利でもあり、デザインを楽しむことができる)。


いずれぼくの考え方や感覚が変わるかもしれないけれど、実際に、海外を含め、生活スタイルを試みているなかで、そんなことを考えたり、感じたりしている。



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「外国人になったこと」の体験から。- イチローの引退記者会見より《その3》。

イチローの引退記者会見(2019年3月21日)で放たれた言葉たちのいくつかに共鳴し、それらにふれながら、ブログで、《その1》《その2》と、少しのことを書いた。《その1》では、イチローの<喜び>、とりわけ「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」ということへの変遷、また、《その2》では、イチローの<生きかた>にふれてきた。

イチローの引退記者会見(2019年3月21日)で放たれた言葉たちのいくつかに共鳴し、それらにふれながら、ブログで、《その1》《その2》と、少しのことを書いた。《その1》では、イチローの<喜び>、とりわけ「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」ということへの変遷、また、《その2》では、イチローの<生きかた>にふれてきた。

引退記者会見は「質疑応答」形式ですすめられ、イチローの「応答」は、すみずみまで、インスピレーションに充ちているように、ぼくは思う。

ふれたいポイントはたくさんあるのだけれど、《その3》としてもうひとつだけとりあげて、ひとまず「区切り」としたい(また後日ブログでとりあげるかもしれないし、別の機会に書いたり話したりするかもしれない)。

《その3》としてとりあげたいのは、「外国人であること」である(このことをとりあげたのには、ぼくのブログ「世界で生ききる知恵」に直接にかかわることであるし、また、最近ちょうど読んでいた文章、「わたしが外人だったころ」という鶴見俊輔の文章もぼくのなかに印象深くのこっているからでもある)。

1時間30分ほどにわたって行われた引退記者会見の、最後の「質問」に応答するイチローが、「外国人であること」について語っている。雄弁に語るのではなく、ときどき、言葉と言葉のあいだに「沈黙」(沈思)をはさみながら。

質問は「孤独感」についてであった。だいぶ前に、何度か「孤独を感じながらプレーしている」という発言があったことに記者が言及しながら、「孤独感をずっと感じながらプレーしてきたのか」と、イチローに尋ねたのであった。

イチローは、「現在それはまったくない」と応答したあと、「それとは少し違うかもしれないですけど…」と前置きしながら、つぎのように語った。

…アメリカに来て、メジャーリーグに来て、、、、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、、、、、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みをこう想像したり、今までなかった自分が、あらわれたんですよね。この体験というのは、、、、、ま、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

イチロー「引退記者会見」(※KyodoNewsの動画「イチロー現役引退 記者会見ノーカット版」、および、BuzzFeed.News「貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】」を参照)

「外国人になったこと」という体験。イチローが語るように、「体験」からでしか感じることのできない側面がある。

この体験において、自分の中から生まれるものは人それぞれであるだろうけれど、イチローにとっては、「人の心を慮ったり、人の痛みを想像する」自分があらわれることになったのだという。

自分の「どの部分」があらわれることになるかは異なっても、外国人であることによって、「今までなかった自分」があらわれてくる。おなじことが、ぼくの「体験」からも言えると思う。

今までの「自分」がまったく変わってしまったり、なくなってしまうというのではないけれど、「今までなかった自分」、あるいは、今まで隠れていた自分があらわれてくる。「外国人であること」を、自分の<幅>をひろげてゆくための契機とすることができる。

もちろん、「外国人であること」で「大変なこと」もある。じっさいにその「大変ななか」にいるときは、やはり大変なことだ。でもそんなことをひっくるめて見てみても、自分の糧となってゆく。

上記の発言につづいて、イチローはつぎのように語る。

孤独を感じて、苦しんだこと、ま、多々ありました。ありましたけど、、、その体験は、未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は、思います。だから、ま、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときに、それに立ち向かっていく、そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなというように、感じています。

イチロー「引退記者会見」(※KyodoNewsの動画「イチロー現役引退 記者会見ノーカット版」、および、BuzzFeed.News「貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】」を参照)

この発言のあと、「締まったね、最後」と、イチローが笑みをうかべながら言うように、この「締め」のあとに、(ぼくが)どんな言葉を付け加える必要があろうか。

でも、あえて一言だけ加えておけば、ぜひ、映像で、この「語り」を聴いてみてほしい。「文字」では視えないものがそこには視え、聴こえてくる(だろう)から。

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「遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない」こと。- イチローの引退記者会見より《その2》。

イチローの引退記者会見(2019年3月21日)で放たれた言葉たちに惹かれながら、ブログ「「自分のため」を超えるとき。- イチローの引退記者会見より《その1》。」を書いた。《その1》を書き始めたとき、《その2》を書くかどうかは決めていなかったのだけれど、体験と思考を通過してきた言葉たちが魅力的で、《その2》を書こうと思う。

 イチローの引退記者会見(2019年3月21日)で放たれた言葉たちに惹かれながら、ブログ「「自分のため」を超えるとき。- イチローの引退記者会見より《その1》。」を書いた。《その1》を書き始めたとき、《その2》を書くかどうかは決めていなかったのだけれど、体験と思考を通過してきた言葉たちが魅力的で、《その2》を書こうと思う。

 《その1》では、「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」という言葉をとりあげ、「自分のため」を追求することを他者への貢献や他者の喜びの方法としてきたイチローが、野球人生の途上で、「人に喜んでもらえること」を一番の喜びとするところへと変わってきたことにふれた。

 他者のためであっても「自分のため」をとことん追求する方法を、どこかで乗り越えるときが、イチローのなかのおおきな地殻変動としてあった。そのことが引退記者会見で語られたのであった。

 この「喜び」ということと共に、《その2》では、イチローの<生きかた>にふれておきたい。


 引退記者会見は質疑応答の形ですすめられたのであるが、そのなかで、「生き様で伝えたこと、伝わっていたら嬉しいと思うこと」についての質問がイチローに投げられた。

 「生き様」という言葉に少しとまどい、「生きかたというふうに考えれば…」という前置きをしながら、イチローはつぎのように語った。


…ま、先ほどもお話しましたけれど、、人より頑張ることなんて、とてもできないんですよね。あくまでも、はかりは自分のなかにある。それで自分なりに、そのはかりを使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていく、ということを繰り返していく。そうすると、いつの日かなんか、「こんな自分になっているんだ」、っていう状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、、それでしか、自分を超えていけない、というふうに思うんですよね。

なんか一気に、、一気になんか高みにいこうとすると、、今の自分の状態とやっぱギャップがありすぎて、、それが続けられない、と僕は考えているので。ま、地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期も、あると思うので。でも、、自分がやると決めたことを、信じてやっていく。でもそれは正解とは限らない、ですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。でもそうやって、遠回りすることでしか、なんか本当の自分に出会えないというか、そんな気がしているので。…

イチロー「引退記者会見」(※KyodoNewsの動画「イチロー現役引退 記者会見ノーカット版」、および、BuzzFeed.News「貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】」を参照)


 自分のなかにじぶんの「はかり」をもちながら、少しずつの積み重ねでもって、自分を少しずつ超えていく。そして、こう語られる。「遠回りすることでしか、本当の自分に出会えない」と。

 もちろん、これはイチローの考え方である。けれども、イチローの深く長い体験と思考を通ってきた言葉である。

 ぼくが感じるのは、現代において、「本当の自分」というものが、確かにあるものとして安易にとらえられ、また「すぐに」出会う(ことができる/べきである)ものとして、感覚されているのではないか、ということである。

 イチローの体験と思考と言葉は、そんなところに、「少しずつの積み重ね」と「後退」と「間違ったことを続けてしまっていること」という、<遠回り>の生きかたを提示している。

 <遠回り>という言い方には、「遠回りしない」生きかたが、暗黙裡に対置されている。さらにもう少しうがってしまえば、<遠回り>自体のなかに、「生きる」ことの本質がこめられている。少なくとも、ぼくにはそう聴こえる。

 質疑応答のはじめのほうで、「後悔することは?」と尋ねられたイチローは、「後悔などあろうはずがありません」と発言しながら、「結果を残すために、自分なりに重ねてきたこと」、結果としての記録ではなく、この<重なり>に光をあてて語っている。

 <遠回り>の生きかた、その<遠回り>自体のなかに「生きる」ということがある。

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成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

「自分のため」を超えるとき。- イチローの引退記者会見より《その1》。

イチローの引退と引退記者会見(2019年3月21日)。いろいろな方々がいろいろな仕方で、それぞれに共感するところを書いている。人それぞれに、どんなところに、どのように「惹かれた」のかを読むのは、興味深いところである。

 イチローの引退と引退記者会見(2019年3月21日)。いろいろな方々がいろいろな仕方で、それぞれに共感するところを書いている。人それぞれに、どんなところに、どのように「惹かれた」のかを読むのは、興味深いところである。

 引退会見で放たれた言葉は、たしかに、さまざまな角度から、人の心をとらえるものである。

 あらかじめ言っておけば、ぼくはイチローが好きだし、尊敬している。試合をいつも追っていたわけでないし、いわゆる「ファン」という言葉も違うような気がするけれども、ぼくの「世界」のなかには、やはり、イチローがいる。

 その「存在感」はどこか独特のもので、言ってみれば、イチローの節目節目の言動はどこかぼくの深いところに届き、また、ぼくの人生の節目節目で、ぼくはイチローの言動を心のどこかで意識している。

 そんな前提で、ぼくの関心と共感のフィルターは作動してきた/作動していることを、あらかじめ伝えたうえで、引退会見の「言葉」にふれたいと思う(「言葉」というように括弧をつけるのは、それがただの知識的な「言葉」ではなく、経験と思考を通ってきた「知恵」としての言葉であるからである)。

 いろいろとふれたい点があり、今回はその一つだけにふれることから、タイトルは「その1」とつけておきたい。いずれ、「その2」を書くかもしれないし、書かないかもしれない。


 引退会見は、冒頭で、イチローが短い言葉を語ったうえで、会場からの質問に応える仕方で進められた。

 今回「その1」でとりあげたいのは、「イチロー選手にとってのファンの存在」を尋ねられたときの、イチローの応答である。

 この応答の前半部分では引退に際し「東京ドーム」で起きた出来事にふれたのだが、その後半部分で、イチローはこれまでをふりかえりながら、次のように語った。



…まぁ、ある時までは、まぁ自分のためにプレーすることが、まぁチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれるかなというふうに思っていたんですけれど、、まぁニューヨークに行ったあとぐらいからですかね、人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在なくしては、自分のエネルギーはまったく生まれないと言っても、、いいと思います。

イチロー「引退記者会見」(※KyodoNewsの動画「イチロー現役引退 記者会見ノーカット版」、および、BuzzFeed.News「貫いたのは「野球への愛」 イチローが引退会見で語ったこと【全文】」を参照)


 この発言のあと、静まった会場に少しのあいだ目をそそぎ、会場の反応をみながら、「え、おかなしこと言ってます?僕、大丈夫?」と、イチローはおかしみを表情にふくませて語り、場の雰囲気をゆるめる(この発言をふくめ、ぜひ映像で見てほしいところである)。

 それにしても、「自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれる」ところから、「人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきた」というところへの変遷、また「ファンの方々の存在なくしては、自分のエネルギーはまったく生まれない」という確信は、ぼくをとらえる。

 なんとなく、イチローには「自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれる」というイメージがついているように、ぼくには思われる。

 それが、あるとき(ニューヨークに行ったあとぐらいから、というのがイチローの言なのだけれど)、イチローの内面でおおきな地殻変動がおこりはじめ、「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」へと変動してゆく。

 言葉では数行で語られることだけれど、じっさいには、とてもおおきな、内面の地殻変動である。

 さらには、以前のイチローからは聞くことができなかったであろう(どこかで語られたかもしれないけれど、ぼくはイチローからこのような確信のもとで語られるとは想像していなかった)、「ファンの方々の存在なくしては、自分のエネルギーはまったく生まれない」ということが語られるのである。

 もちろん、「自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見ていてくれる人も喜んでくれる」という状況においても、他者の喜びを念頭においた「自分のため」である。でも、それがどこかでつきぬけて、「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」というところへ、イチローをおしだしてしまう。

 でも、「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」は、より次元の高い(あるいはより深い)「喜び」である。ぼくは、そう思う。


 他方で、この変遷は、「自分のため」をとことんまでおいもとめてきたイチローだからこそ、経験してきたものだとも思う。

 「自分」がないままに「人に喜んでもらえる」ところへとつきすすんでゆくことで、「自分」という存在がわからなくなったり、自分の心身をこわしてしまったりすることがある。「他者のため」「人のため」という呪文の危険なところである。

 だから、「自分のため」というフェーズをとことん生きてみることが大切であったりするのである。けれども、「自分のため」という言動はどこかで、「喜び」の深さにおいて、限界がきてしまう。「自分のため」が他者に向けられていたとしても、である。

 どこかで、「自分のため」でありながら、「自分のため」を超えてゆくことが、喜びを深めることにおいて要請される。別の言い方をすれば、<喜び>をとことんおいもとめてゆくと、「人に喜んでもらえることが、一番の喜び」という地点へ、ぼくたちの生はひらかれてゆくのである。

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成長・成熟, 日本, 河合隼雄 Jun Nakajima 成長・成熟, 日本, 河合隼雄 Jun Nakajima

「競争」ということ。日本的な「競争」のこと。- <境界線>に生き、考える河合隼雄に教えられて。

ここ数年来、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が書いたもの、語ったものを、ぼくはよく読むようになった。

ここ数年来、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が書いたもの、語ったものを、ぼくはよく読むようになった。

20年以上まえ、大学生のころにも数冊を読んだのだけれども、そのころはたぶん、ぼくの経験の基盤がうすく、また表層で読んでしまっていたところがあったのだろう。

あのときと比べ、ぼくの経験と思考が少しは深まったことを、いま読みながら思うのである。

また、どこの「視点」から読みとっていくのかということも、いくぶん、ぼくのなかではっきりしたこともあって、じぶんの生にひきつけて読むことができているのだということも、ぼくは思う。

河合隼雄はアメリカで心理学を学び、スイスでさらに研究をすすめたことから、「西洋」発出のものを「日本」の文化や文脈でどのように適用してゆくのかについて試行錯誤し、考えてきた。

だから、書かれているものや語られたもののなかには、日本とアメリカ、東洋と西洋などの「境界」で考えられたものが多く見られる。(いまでは言葉としてあまり聞かれなくなったが)「国際化」などについて言及しているところも多い。

このような<境界線>で考えること。このことは、ぼくのライフワークでもあり、ほんとうに多くのことを教えられるのである。


そのようなトピックのひとつに、日本人にとっての「競争」ということが挙げられている。

「競争」のよしあしを、ああだこうだと論じるよりも手前のところで、「競争」というものが日本人にとってどのようなものであるのかを、たとえばアメリカを念頭においたりして、考えている。

精神科医の中井久夫との会話に触発されるかたちで、河合隼雄は、この「競争」ということにふれている。


 私はもともと「競争」は必要と考えている。自分の個性を伸ばし、やりたいことをやろうとすると、何らかの競争が生じてくるし、それによって自分が鍛えられる。ところが、中井さんが指摘しているのは、日本人は、自分のやりたいことをやる、というのではなく、「集団から落ちこぼれない」ように頑張る、極端に言えば、一番になっておけば、まさか落ちこぼれることはあるまい、という「競争」をしている。つまり、競争の基盤が自分自身にあるのではなく、全体のなかにある。「自分はこれで行く」というのではなく、全体のなかで何番か、を問題にする。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


日本的な「競争」にかんする、とても教えられるところの多い考え方である。

日本の多くの子どもたちは「落ちこぼれないための競争をさせられている」ことからキレそうになっているのではないか、とも、河合隼雄は指摘している。

ぼくも「競争」は必要であると考えているが、「競争」ということの、どうもネガティブな意味合いの一端は、言葉にしてみると、中井久夫と河合隼雄が指摘するところであると、ぼくも思う。異文化との<境界線>で考えながら、そう思うのである(だからといって、他の文化圏で「競争」がうまくいっているというわけではかならずしもないところが、「近代・現代」という時代性ともからみながら、むずかしいところである。なお、「近代・現代」のあとの時代の<競争>ということを、考えることができる)。

20年ほどまえに書かれた文章であるけれども、このような状況の核心は、いまでもひろく見られるものではないだろうか。

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成長・成熟, 河合隼雄 Jun Nakajima 成長・成熟, 河合隼雄 Jun Nakajima

「天才」と「秀才」の違い。- 桑原武夫が語る、「天才」鶴見俊輔のこと。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)と、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)との「出会い」について、河合隼雄による「回想」を取り上げながら、昨日(2019年3月18日)のブログに書いた。

心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)と、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)との「出会い」について、河合隼雄による「回想」を取り上げながら、昨日(2019年3月18日)のブログに書いた。

思いもよらず河合隼雄が鶴見俊輔を「敬遠」していたこと、鶴見俊輔に会ってすぐに「誤解がとけたこと」、また誤解がとけただけでなく、鶴見俊輔は<天性のアジテーター>であると、河合隼雄が見出したこと。

河合隼雄は鶴見俊輔の「目の輝き」にいくどもふれているのが、ぼくの印象につよくのこっている。


この回想は、「鶴見俊輔さんとの出会い」という、『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)所収の短い回想だけれども、とても印象的な文章である。

今年2019年は「鶴見俊輔を読もう」と思ったぼくの<寄り道>は、しかし、鶴見俊輔という人物を知るうえで、大切なことをぼくに教えてくれたように思う。言ってみれば、「鶴見俊輔を読む」ことが「目的」なのではなく、<鶴見俊輔>を通して、ぼくは「何か」を学ぼうとしているのであり、その意味において、これはふつうの意味での「寄り道」ではない。

また、「鶴見俊輔さんとの出会い」という文章は、ぼくがうすうすと感じとっていたことの「ことば化」を手伝ってくれたところもあるのである。


さらに、この文章の最後のくだりも、とても磁力のつよい言葉が放たれている。

鶴見俊輔との出会いののち、河合隼雄は鶴見俊輔との仕事を共にする機会を多く得てゆくことになり、「ホンモノ」と「ニセモノ」を見抜く眼力に、いつも敬服されることになる。そのことを、河合隼雄は桑原武夫(フランス文学者・評論家)に話したのであった。


…いつか桑原武夫先生に鶴見さんがいかに素晴らしいかを話すと、いかにも当然というように、「ああ、鶴見は天才でっせ」と言われる。そこで、先生は天才と秀才をどうして見分けられますかとお尋ねすると、「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」、「秀才は自分が損するようなことは上手に隠す」とのことであった。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


「天才は面白いと思ったら自分に不利なことでも平気で喋る」。

桑原武夫の、この「見分け方」もすごいけれど、この話を読みながら、鶴見俊輔という人物、それから、彼を通じて学ぶ「何か」の一端を、ぼくは見てとることができる。

このような事情は、ぼくが尊敬してやまない見田宗介(社会学者)の、つぎのような文章にもあらわれるのである。見田宗介が学生であったころのことである。


…(…「こんど出た吉本隆明の『ナショナリズム』をもう読みましたか?わたしが徹底的に批判されているんです。すばらしい論文です。ぜひ読んでみて下さい」。学生であったわたしに鶴見は目を輝かせて言った。爽快だった。本質的な思想家は、論争での勝敗などには目もくれぬものだ)。

見田宗介『現代日本の感覚と思想』(講談社学術文庫、1995年)


ここでも、鶴見俊輔は、じぶんの「損得」など気にすることなく、面白いと思ったもの、すばらしいと思ったものを平気で語っている。やはり、目を輝かせながら。

このような振るまいが、あるいは生きかたが、どれだけ多くの人たちをひきつけ、触発してきたことか。

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成長・成熟, 河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima 成長・成熟, 河合隼雄, 書籍 Jun Nakajima

河合隼雄が語る「鶴見俊輔」。- 「天性のアジテーター」というちから。

2019年は鶴見俊輔(1922-2015)の作品群を読もうということで、年初に、鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)の本をひらいた。言い訳をするならば、いろいろとほかのことをしているうちに、この本の途中でとまったままに、早いもので3ヶ月近くがすぎた。

2019年は鶴見俊輔(1922-2015)の作品群を読もうということで、年初に、鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』黒川創編(河出文庫)の本をひらいた。言い訳をするならば、いろいろとほかのことをしているうちに、この本の途中でとまったままに、早いもので3ヶ月近くがすぎた。

でも、もうひとつの理由としては、鶴見俊輔の作品を読んでいると、ぼくの関心と思考の輪がひろがってゆくことがあげられる。『思想をつむぐ人たち』でとりあげられる「人たち」を、鶴見俊輔の「眼」を通して語られると、ぼくの関心と思考は、その「人たち」のほうへと、自然と向いていってしまうのである。

そんな「力」が、鶴見俊輔の「語り」のなかには宿っているのかもしれないと思ってしまう。


ところで、心理学者・心理療法家の河合隼雄(1928ー2007)が、鶴見俊輔との出会いについて、『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)という本に書いている。

鶴見俊輔を敬遠していたようなところがあると、河合隼雄は鶴見俊輔についての文章をかきはじめている。

敬遠していた理由は、第一に、河合隼雄は頭のいい人を敬遠しがちであること、それから、第二に、鶴見俊輔を「正義の味方」だと誤解していたことにあった、という。


そんななか、鶴見俊輔・多田道太郎とマンガについての評論をやらないかと編集者に誘われたが、マンガはほとんど見ないし、上述の理由もあって、河合隼雄は最初は断ったという。けれども、両氏を交えて飲む場に誘われて、行ってみることにしたのだという。

そして鶴見俊輔に会ってすぐに、鶴見俊輔を誤解していたのだということを、河合隼雄はさとることになる。とりわけ、鶴見俊輔の「目の輝き」がすばらしく、頭のいい人で頭の悪い人や弱い人の気持ちがこれほどまでにわかる人はいないだろうと思ったのだという。

さらに、鶴見俊輔が語る「マンガの面白さ」に、ひきこまれていく。鶴見はマンガの台詞もおぼえていて、熱演してみせる。シェイクスピアやゲーテの言葉を暗記している学者や偉い人はたくさんいるけれど、マンガの台詞をおぼえている人はあまりいないから、いっそうひかれてしまう。

こんなぐあいに、河合隼雄が鶴見俊輔と初めて会ったときのことが書かれている。


でも、ぼくをいっそうひきこんだのは、つぎのようなところである。


 別れてしまってから、鶴見さんというのは天性のアジテーターである、と思った。鶴見さんは一般の人の言う「アジる」などということは、まったくされなかった。ただただ、自分にとって興味のあることを話しておられた。ところが、鶴見さんの心のなかの動きが、知らぬ間に私の心のなかの動きを誘発してしまうのである。別にマンガを読んでみませんかなどと言われてもいないのに、自分のほうから自発的に「マンガを読んでみましょう」などと言ってしまうのである。おそらく、…あの目の輝きを見ているだけで、たくさんの人が自発的に何かをやり出したくなったりすることは、多くあるのではなかろうか。

河合隼雄『「出会い」の不思議』(創元こころ文庫)


ぼくは、このことがとてもよくわかるような気がしたのだ。

鶴見俊輔の文章を読んでいると、ついつい「自発的に」ほかの著書や人物を読んでみようかな、調べてみようかな、などと思ってしまうのである。

そんなことをしているうちに、「鶴見俊輔を読む」2019年は、3ヶ月近くも瞬く間にすぎてしまったのだ、というと少し大げさかもしれないけれど、じっさいに、ぼくの関心と思考はひろがっていってしまったのである。

鶴見俊輔が語り、書くもののなかに「目の輝き」が感じられ、そこにひきつけられてゆくように。


また、この「天性のアジテーター」ぶりを、ぼくは、じっさいに「体験」したことがあることを、思い出す。

残念ながら、生身の鶴見俊輔さんにお会いする機会はなかったのだけれど、鶴見俊輔の「人物関係図」を描いたとしたらそこにつながる見田宗介先生(社会学者)の講義で、ぼくは「天性のアジテーター」を体験したのだ。

見田宗介先生は、ただただ、自分にとって興味のあることを語っておられた。やはり、目を輝かせながら。

たった二コマの講義だったのだけれど、ぼくは自発的に、いろいろと学んだり、やってみたくなったりしたのであった。

思えば、鶴見俊輔を2019年に読もうと思ったきっかけも、見田宗介先生の著作(『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』)からであった。


天性のアジテーター。

それは、鶴見俊輔の核心をつらぬくものである。そこに魅力をいっぱいに感じながら、ぼくも、そう思う。


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