「気づき」に向けて。- 「かたづけることは、勉強することと同じで、生き方を変えることだ」(中谷彰宏)
作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。...Read On.
作家の中谷彰宏が、かたづけ士の小松易による講義から「かたづけができないタイプ分け」の部分を抽出して、書いている。
<かたづけができないタイプ分け。
前くじけ=先送り。
中くじけ=気が散る。
後くじけ=リバウンド。
もうひとつは、
前前くじけ=気づかない。>
なんと、勉強と同じですね。
タイプ分けの明確さとともに、「前前くじけ=気づかない」という視点に、「かたづけ士」としての思考と経験の鋭さが現れている。
「もうひとつは…」と、「前・中・後」とは別に「前前」として触れる仕方にも、「気づき」ということの本質が出ている。
「気づき」がないと、「かたづけができない」ということの出発点に立つこともできない。
中谷彰宏が書くように、勉強、さらには生き方ということをも貫く本質が、「かたづけること」に現出している。
かたづけ士の小松易は、著書『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)の「はじめに」で、人から「なぜ、ひらがなで『かたづけ士』なのですか?」と聞かれてきたことについて、書いている。
当初は「はっきりとした答え」を持っていなかった小松は、片づけコンサルティングの仕事を始めてから5年ほどたってから、「明確な答え」を持つようになったという。
明確な答えは、「片づけ」が「3段階で進化していくもの」であるというものだ。
●第一段階「片づけ」:「リセットの片づけ」、「整理(減らす)」と「整頓(配置する)」
●第二段階「型づけ」:「習慣化の片づけ」、片づけられた場所をきれいに維持する習慣をつくるためのルールやしくみ
●第三段階「方づけ」:方=あなたのライフスタイル・生き方、「自分の人生をどのようにデザインし、どのように生きたいかを決めていくこと」
※参照:小林易『たった1分で人生が変わる片づけの習慣』(中経の文庫)より
「片づけ」が、「方づけ」(ライフスタイル・生き方を変える)につきぬけてゆく力をもっていることは、ぼくも経験において深く認識しているところだ。
その出発点が「先送り」よりも「前前くじけ=気づかない」にあるというところに、いっそう深い本質があるということ。
「気づいてゆく」ということが、生きてゆく道ゆきで、どれほど大切なのかということ。
ほんとうの「気づき」であれば、それはかならず、「方づけ」の方向につきぬけてゆくこと。
中谷彰宏の「レター」に書かれた講義メモを見ながら、そんなことをぼくは感じ、考えていた。
そして、年末にさしかかり、ふと部屋を見渡しながら、「かたづけ」はぼくにとって毎日のことであることを言いきかせながら、「気づき」に向けて勉強している。
<自明性の罠からの解放>(見田宗介)。- 生き方の方法論の一つとして。
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
🤳 by Jun Nakajima (Hong Kong)
「あたりまえのもの」を、<あたりまえではないもの>として見ていくこと。
社会学者の見田宗介は、この方法論を、社会学のキーワードとして、<自明性の罠からの解放>という言葉で表現している。
自分自身を知ろうとするとき人間は鏡の前に立ちます。全体としておかしくないか、見ようとするときは、相当に離れたところに立ってみないと、全体は見ることができない。自分の生きている社会を見るときも同じです。いったんは離れた世界に立ってみる。外に出てみる。遠くに出てみる。そのことによって、ぼくたちは空気のように自明(「あたりまえ」)だと思ってきたさまざまなことが、<あたりまえではないもの>として、見えてくる。
社会学における「比較」という方法を語りながらも、見田宗介は「社会学」という学問に閉じ込めるのではなく、ぼくたちの「生き方の方法論の一つ」とする視野で語っている。
ブログのタイトルに付す「世界で生ききる」ということの内実の一つとして、この方法論を、ぼくは明確に意識している。
アジア各地への旅を通じて、ニュージーランドでの生活を通じて、シエラレオネと東ティモールでの支援活動を通じて、それからここ香港での仕事と生活を通じて、ぼくは「あたりまえのもの」だと思ってきたこと・してきたことを、<あたりまえではないもの>として、いわば鏡の前に立ち「鏡の中のじぶん」を見つめ、見直してきたわけである。
最近思うのは、「あたりまえのもの」だと思っていることや「身」についてしまっていることは、幾層にも重なっていることである。
そしてまた、それらはいろいろなものやことに広がっている。
日本的な考え方や動作であったり、家族的な癖や習慣であったり、さまざまだ。
気づいて見直して、変えたと思っていたら、また別の層や別のところで、その「あたりまえ」がふとした機会に現れる。
そんなことを繰り返しながら、<自明性の罠からの解放>を、引き続き現在進行形で生きている。
見田宗介のより強い関心は、「近代と前近代」との比較にあり、そのことを踏まえた上で、次のように語っている。
…異世界を理想化することではなく、<両方を見る>ということ、方法としての異世界を知ることによって、現代社会の<自明性の檻>の外部に出てみるということです。さまざまな社会を知る、ということは、さまざまな生き方を知るということであり、「自分にできることはこれだけ」と決めてしまう前に、人間の可能性を知る、ということ、人間の作る社会の可能性について、想像力の翼を獲得する、ということです。
現代社会における各社会間の比較よりもいっそう深い「異なり」を示す「前近代と近代」を比較することで、いっそう高く飛ぶための<想像力の翼を獲得する>ことが、見田宗介の仕事にかけられてきた。
共同体と市民社会とコミューン、お金、時間、自我・身体といった、根底的な見直しである。
そして、この視野と視点が、「近代(また現代)」の後にくる次なる時代を構想し、向かうために、決定的に大切である。
【後記】
見田宗介『社会学入門 人間と社会の未来』(岩波新書、2006年)については、下記ブログを書きましたので、あわせてお読みください。
「未来」を見据え、考え、構想するための5冊。- 生き方・働き方をひらいてゆくために。
年末になると、いろいろなメディア媒体で、例えば「今年の◯冊」のような記事が掲載される。ぼくは「他者の書棚」を見るのが好きなので、ただ楽しみ、ぼくにとっての「良書」を探す。...Read On.
年末になると、いろいろなメディア媒体で、例えば「今年の◯冊」のような記事が掲載される。
ぼくは「他者の書棚」を見るのが好きなので、ただ楽しみ、ぼくにとっての「良書」を探す。
ただし、年ごとの切り口よりも、「今」という時点で読んでおくべき大切な本に注目する。
「未来」ということは、常に考えている。
「不確実性」に焦点があてられやすい未来だけれど、それ以上に、ぼくにとっては好奇心が圧倒的に勝る<未来>だ。
その「未来」というキーワードにおいて、未来を見据え、考え、構想するための5冊を、ここでは挙げておきたい。
生き方・働き方をひらいてゆくための「土台」となる本だ。
(1)見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書
刊行されたのは2006年。
今から10年前だけれど、まったく古くならず、むしろ、今の時代においていっそう大切なポイントとなる理論と論考で詰まっている。
「社会学」という学問の枠をつきぬけて、副題にあるように、「人間」と「社会」の未来を、硬質で、ゆらぎのない理論と論理で、論じている。
見田宗介が語るように「社会学」とは<関係としての人間の学>である。
そして、「未来」をひらいてゆくために、この<関係性>がゆらぎ、問われている。
理論的な骨格としては、第六章「人間と社会の未来ー名づけられない革命」と補「交響圏とルール圏ー<自由な社会>の骨格構成」は、必読の内容である。
(2)Yuval Noah Harari “Homo Deus: A Brief History of Tomorrow” HarperCollinsPublishers
『サピエンス全史』で有名な歴史学者の著作。
日本語版はこのブログ執筆時点では刊行されていないけれど、刊行されれば日本でもよく読まれるようになるだろう。
ユヴァル・ハラリが著作で展開する「人類の21世紀プロジェクト」とは、人類(humankind)がその困難(飢饉・伝染病・戦争)を「manageable issue」として乗り越えつつある現代において、次に見据える「プロジェクト」で、大別すると下記の通り3つである。
- 不死(immortality)
- 至福(bliss)
- 「Homo Deus(神)」へのアップグレード
「Homo Deus」とは、「神」なる力(divinity)を獲得していくことである。
「神」になるわけではないが、「神的なコントロール」を手にしていくことだ。
読みやすい文章と視点で、ユヴァル・ハラリを導き手に「明日の歴史」を<読む>ことができる。
ぼくにとっては、見田宗介の理論とユヴァル・ハラリの論考とを合わせながら、接合しながら、差異を確認しながら、「未来」をよみときたいと思っている。
(3)Lynda Gratton & Andrew Scott “The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity” Bloomsbury
日本語訳では『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)ー100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)としてベストセラーになってきた書籍。
ベストセラーとなっても、即座に、人や社会の「価値観」が変わっていくわけではない。
価値観の変遷はまだこの先当面続いていくなかで、「100年時代の人生戦略」の視点と計画と実践を、生き方と働き方、社会システムや組織システムなどに接合していくことが必要である。
ここ香港では、あまり(というかほとんど)取り上げられていない。
しかし、香港人口統計の今後の推移を考慮すると、今から取り組んでいかなければいけないことである。
(4)養老孟司『遺言』新潮新書
「新書」という小さな本でまとめられているけれど、養老孟司の「思考と経験」が凝縮された、骨太の本である。
脳化社会・都市化などのこれまでの論点も含め、「人間」というものに、深く深く、思考をおとしてゆく。
養老孟司じしんが述べるように「哲学の本」ともとられかねない内容だけれど、自然科学的な考察も随所になされ、「分類の仕様のない本」である。
「ヒトの意識だけが「同じ」という機能を獲得した」という、この「同じ」をキーワードに、あらゆる事象をよみといていく。
読みやすい本だけれど、養老孟司の「思考」をじぶんのものにすることは容易ではない(ぼくにとっては)。
(5)西野亮廣『革命のファンファーレ:現代のお金と広告』幻冬舎
職業としての「芸人」という枠におさまらず、生き方としての<芸人>へと生をひらいてきた西野亮廣が、ビジネス書として世に放つ2冊目の著書『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』(幻冬舎)である。
本書は、西野亮廣じしんが言うように、西野の<活動のベストアルバム>となっている。
<生き方としての芸人>という試みは、世界と時代をひらいてゆく試みである。
その試みの、実際の「経験と学び」を、西野亮廣は、この著書で共有している。
上に挙げた4冊とは趣を異にするように見えるけれど、その根底においては、さまざまな通路においてつながっている。
最初に挙げた著作(『社会学入門』)における、社会学者の見田宗介が見はるかしている、今という世界と時代の「立っている地点」の文章を、最後に抽出しておきたい。
…ぼくたちは今「前近代」に戻るのではなく、「近代」にとどまるのでもなく、近代の後の、新しい社会の形を構想し、実現してゆくほかはないところに立っている。積極的な言い方をすれば、人間がこれまでに形成してきたさまざまな社会の形、「生き方」の形を自在に見はるかしながら、ほんとうによい社会の形、「生き方」の形というものを構想し、実現することのできるところに立っている。
見田宗介『社会学入門:人間と社会の未来』岩波新書
「書くこと」のすすめ。- 「じぶんと向き合う」という仕方で書く。
2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に、「書くこと」ということを考える。...Read On.
2017年の振り返りをしたり、2018年の目標を立てる時期に(振り返りも目標もこの時期である必要はまったくないけれどもひとまず)、「書くこと」ということを考える。
じぶんと向き合いながら「書くこと」の意味や効用はやはり大きい。
人の「内面」という視点で、「書くこと」を見てゆくと、ひとつの切り取り方として「3つの側面」がある。
それらは相互に「重なり」を有している。
- 内面の思考や感情を「外部」に出すこと
- 内面の思考や感情の「整理」
- 内面における「気づき」を取り出すこと・浮上すること
第一に、内面の考えや感情を「外部」に出すということがある。
書くことで、じぶんの内面にある思考や感情を「外部」にうつしていく。
じぶんの思考や感情を見つめ直すことにも有効である。
外部に出すということは「見える化」することである。
目で見ることでより客観視し、見つめ直すことがより容易になる。
そうすることで、第二に、思考や感情が「整理」されていく。
赤羽雄二の著作『世界一シンプルなこころの整理法』にあるように、例えばA4一枚に、言葉を書いていくことで、「こころの整理」がなされる。
David Allenの有名な『Getting Things Done』も、この効用に目をつけて、「頭の中」にあるものを一度すべて書き出すことをすすめている。
その副題にある言葉「Stress-Free」にあるように、ストレスを軽減する効用もある。
第三に、そのような過程で、「気づき」が得られる。
明確でなかったことに気づくこともあれば、ふーっと浮上してくるように「現れる」こともある。
気づかなかった「思考や感情のつながり」が、目に見えるようになったりする。
「わかる」という経験は、いろいろな思考や言葉が「つながる」経験である。
また、整理された「すきま」に、新しい思考がはいってくることもある。
ただ書けばよいというわけではないけれど、でもただ書くところからスタートしてもよい。
SNS的な書き方に終始すると他者の「評価」を求めるような書き方にもなってしまうことがあるから、「じぶんと向き合う」仕方で、書いていく。
書かれた文章は、何かの「はじまり」でもある。
人は、構築主義的に、文章を(つまり思考を)構築していく。
そのプロセスでは、さまざまな「他者」の思考や感情や経験が参照されたり、使われたり、吟味されたりする。
「じぶんと向き合う」書き方とは、「じぶんがつくられる」ような経験である。
じぶんを「創られながら創る」というプロセスに投じていくことになる。
書くことのプロセスのなかで、「(他者に)つくられる」という経験をしながら、ぼくたちはじぶんをのりこえてゆく。
香港で、クリスマス後の「適度なにぎわい」のなかへ。- 年末の香港の街を歩く。
「香港のこの時期は街がしずかで、気候もちょうどよくて、1年で一番好きな時期なんだ。だから年末年始は香港を出る予定はないよ」。...Read On.
「香港のこの時期は街がしずかで、気候もちょうどよくて、1年で一番好きな時期なんだ。だから年末年始は香港を出る予定はないよ」。
香港人の知り合いが、クリスマス後の、(香港においては)しずかな街を歩きながら(英語で)語る。
確かにこの時期は、香港の街がいつもよりしずかになる。
毎年1月あるいは2月頃に迎える「旧正月」もしずかになるけれど、店がほぼ閉まってしまうので、外食や買い物などにおいては不便になる。
旧正月の時期に比較し、この時期は街はいつも通りそこにある。
食事に出かけることもできるし、買い物もできる。
この時期はだから「適度なにぎわい」に包まれる。
相変わらずいっぱいの人たちでにぎわう場所もたくさんあるけれど、この「適度なにぎわい」は、「転がる香港」(星野博美)にあっては貴重なひとときだ。
香港の街が、違った風景に見えてくる。
小林一茶の有名な俳句「古池や蛙飛び込む水の音」が、水の音にたくして「しずけさ」をうかびあがらせるのとは逆の仕方で、香港の「適度なにぎわい」(しずけさ)は、香港の「いつもの躍動感のある混沌としたにぎわい」をうかびあがらせるように、ぼくには見える。
気候も(時にとても寒くなることもあるけれど)過ごしやすくもなる。
2017年はクリスマス前から年末にかけて、15度から20度の気温で推移している。
知り合いの香港人が語るように、ちょうどよい気候ではある。
夏の蒸し暑さでもなく、寒すぎもせず。
だから、「同感だよ」と、ぼくは知り合いの香港人に同意してしまう。
それから、そこに「年末年始」という独特の雰囲気が重なる。
冬至からクリスマス、そして新年の挨拶を一緒にしたような「Season’s greetings」という仕方で、人と人との「つながり」に感謝する。
クリスマス後の最初の平日(ボクシングデー)の夜、「適度なにぎわい」に包まれ、ひとときのしずかな装いをみせる香港の街の一角を歩きながら、ぼくはそんなことを考える。
香港で、クリスマスをむかえて。- 多様性に彩られる「香港のクリスマス」。
香港で、11回目(11年目)のクリスマスをむかえる。香港の街は、すっかりとクリスマスの衣をまとい、冬至を越し、新しい年へ向かう雰囲気をつくっている。...Read On.
香港で、11回目(11年目)のクリスマスをむかえる。
香港の街は、すっかりとクリスマスの衣をまとい、冬至を越し、新しい年へ向かう雰囲気をつくっている。
「香港のクリスマス」という視点の立て方は、それがどういうものかをひとことで語るのは、なかなかむずかしい。
「クリスマス」というものが、街の飾りや商品や語りのなかには厳然と存在しながら、やはり「香港」という場所の多様性のために、語ることがむずかしい。
香港の英字紙「South China Morning Post」は、2017年クリスマスの前の週末を「Hong Kongersがどのように過ごしたか」という記事を24日付で掲載している(*参照記事はこちら)。
そこで取り上げられているのは、例えば、次のようなものだ。
● コンサート
● 食品市
● 抗議行動
● 香港からの/への人の動き
● 行政長官の挨拶
「香港からの/への人の動き」においては、23日の土曜日だけでも、69万3千人が香港を離れ、49万3千人が香港に到着したという。
香港に住んでいる人も、旅行者も入っているので一概には言えないけれど、香港の人口が740万弱であることを考えると、「香港」という場を起点にして、ほんとうに多くの人が動いていることがわかる。
「香港」の境界線において発生している多様性。
また、「香港」の内も多様性に満ちている。
いろいろな国や文化の人たちという「横の多様性」、また階層的な社会構造にあるような「縦の多様性」がある。
さらには、そこに「時間軸」を組み合わせると、時間の進み方の速さが加わり、いっそう、香港の多様性を増している。
それらの多様性が、この香港という小さな場所に凝縮されている。
凝縮されているからこそ、その様相と体験がよりオープンに、目の前で展開される。
ローカルな雰囲気のショッピングモールを歩きながら、文房具店で子供に小さなプレゼントを買う人を見る。
近くのモダンなショッピングモールでは、おしゃれなレストランで、クリスマスディナーを楽しむカップルや家族がいる。
海外から出稼ぎできているヘルパーの人たちがクリスマスデコレーションを背景に写真をとっている。
そんな「いろいろ」な風景が香港である。
そんなことを考えながら、耳から、麻雀(マージャン)の音が聞こえてくる。
麻雀牌をかきまわす音だ。
近所宅に人があつまり、麻雀をしている。
麻雀をしながら、広東語での会話がとぎれることなく続いているようだ。
クリスマスの麻雀の音も、ぼくのなかに「香港のクリスマス」として、刻印されている。
東ティモールでむかえた「クリスマス」(2006年)の記憶から。- 「War is over, if you want it...」(ジョン・レノン)
「War is over, if you want it…」。争いは終わるよ、あなたがそれを望むのであるなら。...Read On.
「War is over, if you want it…」。
争いは終わるよ、あなたがそれを望むのであるなら。
John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつである「Happy Xmas (War is Over)」のバックコーラスが届ける歌詞である。
ジョン・レノンが主旋律を歌いながら、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団の子供たちが声を奏でている。
2002年から2003年にかけて、戦争が停戦に至ったばかりの西アフリカのシエラレオネに赴任していたときも、それから2003年から2007年初頭にかけて、独立したばかりの東ティモールにいたときにも、この名曲はぼくの深いところで、力強いメロディーと歌声で鳴り響いていた。
シエラレオネは停戦に至っていたけれども隣国リベリアは内戦が激化していて、難民がシエラレオネに押し寄せていた。
独立したばかりの東ティモールは平和を維持してきたけれど、2006年になってディリ騒乱が発生し、国内避難民を発生させた。
そのような現実に身をおきながら、国際支援を展開しているぼくの内面を、ジョン・レノンの歌が支えてくれていた。
「争いは終わる、望むのなら」と。
東ティモールの首都ディリでの騒乱は、ふりかえるのであればその前触れはいっぱいに集められるけれど、騒乱へと突如に落ちてゆく行き方は(万が一の準備はしつつも)あまり予測されない事態であった。
ディリ中心街の銃撃戦の場に、ぼくはいつのまにか置かれ、翌日には東ティモールを退去せざるをえない状況になった。
すぐにもどる予定が、国際支援の制度上のしばりにしばられ、なかなか戻れず、日本から遠隔でプロジェクトを指揮していた。
ディリの状況はよくならず、情勢は不安定さを増していくことになる。
その間、しばりのない他のチームがディリに入り、国内避難民の支援をはじめていた。
そうして情勢が若干の落ち着きをみせはじめたころ、ディリを退避してから数ヶ月後に、ようやく、ぼくはディリにもどることができた。
2006年9月のことだったかと思う。
不安定さはまだ残り、慎重な支援事業を展開していった。
一時は恐れたコーヒーの出荷を、コーヒー生産者たちとチーム一丸で、ぼくたちは達成した。
出荷作業も終わり、そのフォローアップも落ち着いたのは、2006年の末であった。
クリスマスは、ぼくはディリにいた。
いたるところで小競り合いがつづくディリであったけれど、クリスマスの前あたりから、街は「落ち着き」を得ていた。
クリスマスの夜、事務所の前からディリの山腹をながめながら、ぼくはじぶんのなかで、つぶやいていた。
War is over, if you want it…
争いをつづけている人たちであっても、「クリスマス」という、カトリック教徒であろう彼らにとって大切な日には、争いをとめることができたのだ。
その事実に、ぼくは少し安心した。
<共同幻想としてのクリスマス>という、人間的な事象はくずれることなく、生きつづけている。
完全に人間がこわれてしまったわけではない。
ジョン・レノンの歌にこめられた<共同幻想>を書き換える企ては、その根拠をもっていることを、ぼくは争いが続く場で感じたのだ。
望めば、争いは終わるのだ。
たとえ、それがつかの間のことであったとしても。
今では東ティモールは、ふたたび、平和な日々をとりもどしている。
東ティモールにいる間、「Happy Xmas (War is Over)」の東ティモール版のようなバージョンを収録したいと、ぼくはかんがえていた。
ニューヨークのハーレムコミュニティ合唱団に替わって、東ティモール合唱団(あるいは世界の合唱団)のような合唱団がバックコーラスの歌声を奏でるというものだ。
そのときはその夢を形にすることはできなかったけれど、ぼくの「人生でやりたいことのリスト」にひきつづき含まれている。
ここ香港でクリスマスイブをむかえるなかで、ぼくはその夢をおもいだす。
名曲「Happy Xmas(War is Over)」(ジョン・レノン)。- <共同幻想>の書き換えに向けられた歌。
John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつ、「Happy Xmas (War is Over)」。...Read On.
John & Yoko/Plastic Ono Band(ジョンとヨーコ/プラスティック・オノ・バンド)の名曲のひとつ、「Happy Xmas (War is Over)」。
年の瀬が近くなるにつれ、この曲のメロディ、ジョン・レノンの差し迫ってくる歌声、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団のバックコーラス、それから公式動画に映し出される世界での争いが、ぼくの中にながれてくる。
1971年にリリースされてから、今ではクリスマスソングのスタンダードに数えられ、数々のアーティストたちに歌い継がれている。
この名曲は、ジョン・レノンとヨーコ・オノが1960年代末から展開していた一連の「平和活動」のなかで放たれたことから、クリスマスソングにおさまらない奥行きをつくりだしている。
「クリスマス」というイベントを旗印にして、<すべての人たちにとってのクリスマス>という図式で、メッセージを届けている。
And so this is Xmas (war is over)
For weak and for strong (if you want it)
For rich and poor ones (war is over)
…
And so this is Xmas (war is over)
For black and for white (if you want it)
For yellow and red ones (war is over)
Let’s stop all the fight (now)
John & Yoko/Plastic Ono Band, “Happy Xmas (War is Over)”
人の強さ、裕福さ、人種を超え、<すべての人たち>を、「クリスマス」という出来事のもとにおさめる。
いろいろと<違う>人たちを、<同じ>土台のもとに置くのは「クリスマス」という事象だ。
ここでいう「クリスマス」は、いわゆる宗教的な色彩は(それも包含しながら)そぎおとされたものだと、ぼくは考える。
抽象化して言えば、それは人間のもつ<共同幻想としてのクリスマス>である。
世界での「クリスマス」は、宗教的なものも非宗教的なものも共に含めるような仕方で、毎年やってくる。
歴史家ユバル・ハラリは、「未来の歴史」を見据えるなかで、人間のもつ、この共同幻想に着目している。
そこで語られる共同幻想と同型のものとして、「Happy Xmas(War is Over)」において、<みんなが同じ>土台として立つことになる「クリスマス」は存在している。
この意味の構造において、ヨーコとハーレムコミュニティ合唱団の子供たちが奏でるバックコーラスの「叫び」は、「争いが終わること」の方法としての妥当性をもっている。
戦争や争いを終わらせる力としての「共同幻想」。
ジョン・レノンやヨーコたちがそれだけで争いが終わるとは考えていなかっただろうけれど、じぶんたちの立つ「立ち位置」において、できるだろうことのひとつとして世界に向けられたメッセージである。
それは、<共同幻想>を書き換えるムーブメントのひとつである。
ジョン・レノンやヨーコや合唱団の子供たちはうたう。
戦争は終わる。
あなたが望めば、と。
望めば終わるという論理はストレートでありながら、反対に、「望んでいない」人たちという存在をあぶりだす言葉の装置でもある。
時代の大きな転換において、課される課題は、望まないことを望むことに変換するための行動の想像力と実行力である。
香港で、冬至節(Chinese Winter Solstice Festival)をむかえて。- 「湯圓」を食べながら。
2017年12月22日は冬至(Winter Solstice)にあたり、ここ香港では「冬至節」ということで、多くの家族がこの機会にあつまり、夕食を囲む。...Read On.
2017年12月22日は冬至(Winter Solstice)にあたり、ここ香港では「冬至節」ということで、多くの家族がこの機会にあつまり、夕食を囲む。
香港の休日に関する法律では休日ではないけれど、香港の雇用法(雇用条例)においては、使用者側の選択により、この日を法定休日とするかあるいは「クリスマス」を法定休日とするかを決めることができるようになっている。
多くの企業などでは、クリスマスを法定休日とするから冬至節は休みにならないが、香港の慣習により、仕事に支障がなければ仕事を早めに切り上げることができるようにしていたりする。
それだけ大切な日である。
早く家に帰ったりレストランにくりだして、家族たちと食事を共にする。
冬至は、知られているとおり、一年で昼の時間がもっとも短くなる。
冬至の起源は、生きることのバランス・調和に関する、中国の「陰と陽」の概念にある(※参照:Discover Hong Kong)。
昼がもっとも短くなる冬至は「陰」(暗闇・冷たさ)の力を極めるが、そこを境にして「陽」(光・暖かさ)に開かれていく日にあたる。
この日に家族があつまり、食事を共にする、家族にとって一年でもっとも大切な日のうちの、ひとつである。
上述のように、香港では、仕事を早めにきりあげて、家族があつまるのだ。
習慣として、「湯圓」(もち米で作った団子の入った甘いスープ)を食べたりする。
その発音の仕方である「tongyuen」が、「reunion、再会」と似ているからという。
「大切さ」を尊重して、夜、デザート店に「湯圓」を食べに立ち寄った。
午後10時に近い時間にもかかわらず、多くの人たちで席が埋まり、多くの人たちがテイクアウトをするために店頭に並んでいた。
家族たちがこうしてあつまる機会は、ふつうにいいな、と思う。
別にそれが冬至に限られたことではないし、冬至のような特別な日に限るのもよくないけれど、それでも、そのような日があって、みんながあつまる。
シンプルにそれはいいなと、ここ香港のそんな風景を見ながら、ぼくは感じるのであった。
「 」と< >という違う括弧に入れて書く方法。- 本質をみつめる姿勢で「世界」をひらく。
思考の方法として、書くことの方法として、「 」と< >というように、違う括弧でくくる方法がある。社会学や哲学などで使われる方法である。...Read On.
思考の方法として、書くことの方法として、「 」と< >というように、違う括弧でくくる方法がある。
社会学や哲学などで使われる方法である。
ぼくも、この方法を日々の思考の過程で駆使し、ブログなどを書くときにも使っている。
社会学者である若林幹夫が、著書『社会(学)を読む』(弘文堂、2012年)のなかで書いている説明を、ここで引いておきたい。
「社会学の本」と<社会学の本>のように、同じ言葉を「 」と< >という違う種類の括弧にくくって区別する手法は、見田宗介(真木悠介)の著作をはじめとして、社会学や哲学でしばしば見られる表記法、思考法である。「 」は“一般にその言葉で指し示されていること”を意味する場合が多く、<>は“より本質的な意味でその言葉が指し示しうること”を意味する場合が多い。
若林幹夫『社会(学)を読む』弘文堂、2012年
若林幹夫が書いているように、見田宗介(真木悠介)の著作でよく使われていて、ぼくがはじめてこの用法を学んだのも、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)においてであった。
『気流の鳴る音』のなかでは、「世界」と<世界>というような区分けがされ、それ自体が本の全体とその内実を構成するような本質的な区分けである。
ぼくは<>により本質的な意味を追う人たちの書くものに魅了されてきたし、またそのような人たちがいることにも勇気づけられたものだ。
それほどに、一般的な言葉(「 」)で語られるような「世界」の表層的な世界に疲れていたし、疑問を感じていたし、この括弧をひらいていきたいとも思っていた。
『気流の鳴る音』が書かれたのは1970年代であり、ぼくがそれに魅かれたのは2000年頃であり、そのことを振り返っているのは2017年。
この期間だけを見ても、40年から50年の間、この表記法と思考法が必要とされてきたことを、ぼくは経験と感覚において感じている。
そして、今を含め、これからのまだ見ぬ時代に向かって、この表記法と思考法は、ますます重要性を増してくるものと思う。
「一般のもの」が疑われ、解体され、再構築されていくなかで、「本質的なもの」をとらえていくことが求められる。
例えば、それは、すでにして「人間・ヒトとは何か」という問いへと、世界の知性たちの思考を向けている。
それほど大きな問いではなくても、日々の仕事や生活のなかで、当たり前のことを「 」に入れて考える。
それだけでも、いろいろな効果や効用がある。
そして、「 」と< >という違う括弧に入れて書く方法は、表記法と思考法というだけでなく、生き方の方法としてもつきぬけてゆくところに「世界」がひらかれていく。
言葉は「目と耳とを同じだとするはたらき」(養老孟司)。- ヒトと社会の底流にながれる「同じ」という意識の機能。
養老孟司の著書『遺言』(新潮新書、2017年)は、シンプルな記述と意味合いの深さの共演(響宴)にみちた本である。...Read On.
養老孟司の著書『遺言』(新潮新書、2017年)は、シンプルな記述と意味合いの深さの共演(響宴)にみちた本である。
分類の仕様のない本であるけれど、「人間」にむけられた深い洞察に、思考の芽を点火させられる。
本それ自体については、また別途書きたいと思う。
養老孟司の思考の照準のひとつが、「同じ」ということにあてられる。
第3章は「ヒトはなぜイコールを理解したのか」と題され、「当たり前」の覆いを取り、思考をそそいでいる。
この思考のプロセスがスリリングであるが、「結論」だけを、ここの箇所から取り出しておく。
…動物もヒトも同じように意識を持っている。ただしヒトの意識だけが「同じ」という機能を獲得した。それが言葉、お金、民主主義などを生み出したのである。
養老孟司『遺言』新潮新書、2017年
「同じ」という機能が言葉を生み出したと、養老孟司はいう。
通常、ふつうにかんがえても、このつながりはよくわからない。
「意識と感覚の衝突」という項目でプラトン(養老孟司はプラトンのことを「史上最初の唯脳論者」と呼ぶ)にまでさかのぼりながら、「乱暴なこと」と認識しながら、次のように、「言葉」について語る。
…いうというのは、言葉を使うことであって、言葉を使うとは、要するに「同じ」を繰り返すことである。それをひたすら繰り返すことによって、都市すなわち「同じを中心とする社会」が成立する。マス・メディアが発達するのも、ネットが流行するのも、結局はそれであろう。グーグルの根本もそれである。われわれはひたすら「ネッ、同じだろ」を繰り返す。なぜなら言葉が通じるということは、同じことを思っているということだからである。動物はたぶんそんな変なことはしていないのである。
養老孟司『遺言』新潮新書、2017年
言葉は現実を裏切る、などとよくいわれる。
言葉は物事を「言い尽くせない」のは本来は通常のことであり、人間は「同じ」という意識の機能、その産出物である「言葉」で、言い尽くせないものを名付け、「同じ」ものとして集団で認識していく。
養老孟司の思考はさらに「科学」的にきりこんでゆき、「同じ」はどこから来たか、と問うていく。
脳の構造と機能にその起源をもとめていき、ヒトの脳の「大脳新皮質」の進化に目をつける。
ヒトの脳の特徴は大脳皮質(特に新皮質)が肥大化したことにあるという。
情報処理の機能である。
視覚の一次中枢から聴覚の一次中枢までを、皮質という二次元の膜の中で追ってみよう。視覚、聴覚の情報処理が一次、二次、三次中枢というふうに、皮質という膜を波のように広がっていくとすると、どこかで視覚と聴覚の情報処理がぶつかってしまうはずである。そこに言葉が発生する。
なぜか。言葉は視覚的でも聴覚的でも、「まったく同じ」だからである。というより、ヒトはそれを「同じにしようとする」。…
つまり目からの文字を通した情報処理も、耳からの音声を通した情報処理も、言葉としてはまったく「同じ」になる。
養老孟司『遺言』新潮新書、2017年
この意味において、言葉は「目と耳とを同じだとするはたらき」である。
言葉というものの「強さ」と同時に、言葉がよってたつところの基盤の「危うさ」を思わせる。
「考えるということ」は「分けること」でもあると、ぼくはかんがえる。
あるものを、論理で分けながら、綿密に「分」析していく。
養老孟司の思考をここに注入するとするのであれば、「同じ」という土台の基盤において、できるかぎり「違い」において分けていく、ということであろうか。
別の「同じ」という機能の言葉を使って。
それは、この本の主題のひとつ、「科学とは?」ということとも繋がってくるということに、この文章を書きながら、ぼくは気づく。
物語の中の「夢」と物語全体としての<夢>。- 「life is but a dream. dream is, but, a life.」(真木悠介)。
真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。「life is but a dream. dream is, but, a life」真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年...Read On.
真木悠介(社会学者の見田宗介)の豊饒な生の日々にリフレインしていた詞。
「life is but a dream. dream is, but, a life」
真木悠介『旅のノートから』岩波書店、1994年
「インドの舟人ゴータマ・シッダルタの歌う歌を、イギリスの古い漕ぎ歌にのせて勝手に訳したもの」(前傾書)であると、真木悠介は書いている。
「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」というこの詞は、ぼくの「ことばにできないことば」を言葉にしてくれた。
生きることの全体が、ここに言い尽くされている。
ここでふれられている「夢」を理解するためには、「夢」を二層化する必要がある。
- 目標・ゴールを大きくした「夢」
- 生きること全体の物語としての<夢>
「夢はなんですか?」という問いのように、通常に語られる「夢」は、この1番目の「夢」である。
真木悠介のすてきな詞は、この2番目の<夢>を照準している。
これら二つを別の言い方で言えば、タイトルに掲げたような言い方になる。
- 物語の中の「夢」
- 物語全体としての<夢>
ここでは仮に、「物語」を<一冊の本>としてかんがえてみる。
つまり、ぼくたちの生の全体、一生が<一冊の本>である。
「物語の中の「夢」」とは、一冊の本の主人公である「私」が、本の中で、物語が展開してゆくなかで抱く「夢」である。
他方、「物語全体としての<夢>」とは、一冊の本そのものである。
「人生はただの夢、しかし夢こそが人生である」という詞は、ぼくたちの生が、ただ夜見るような「夢」(=幻想)のようにはかないものだけれど、このひとつの物語である<一冊の本>としての<夢>(=幻想)こそが、人生であることを、シンプルさを極めた仕方で語っている。
ぼくたちは、この<一冊の本>の外部に出ることはできない。
真木悠介は、見田宗介名で書いた別の文章のなかで、このことを明晰に語っている。
…だれも幻想の外に立つことはできない。物語批判は物語の否定ではない。人間は物語の外部に立つことはないからである。どのような物語を生きるかということだけを、わたしたちは選ぶ。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
この意味においては、人はだれしもが、夢見る人 dreamer なのだ。
「しかし夢こそが人生である」ことを明晰に理解することは、「どのような物語を生きるかということ」の選択の方へ、人をおしだしてゆくのである。
こうして、人は物語の内部で、豊饒な物語を(つくられながら)つくっていく。
直感的に魅かれ、生の道ゆきを照らし出す「詩」。- 真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用するナワトルの哲学詩から。
社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。...Read On.
社会学者の真木悠介(見田宗介)がくりかえし引用する、ナワトル族の哲学詩がある。
直近では、2016年に書かれた論考「走れメロス」において、冒頭に引用されていた。
さらに、その論考をもとになされた大澤真幸との対談でも触れられている(見田宗介・大澤真幸『<わたし>と<みんな>の社会学』左右社、2017年)。
最初に著作のなかで引用されたのは、おそらく(違っていたら別途書きます)、真木悠介の素敵な著作『旅のノートから』(岩波書店、1994年)である。
真木悠介の「生のワーク」として書かれた30片くらいのノートのひとつに、「天と地と海を」という一片がある。
そのページに、このナワトル族の哲学詩と、イカム族の諺が縦横に並べられている。
[ナワトル族の哲学詩から]
われわれの生のゆくえはだれも知らない。
ひとは未完のままに去る。
そのために私は泣き
私はなげく。
けれどもこの世ではこの世の花で私は友情を織る。
大地の上にはー花と歌。
真木悠介『旅のノートから』(岩波書店、1994年)
この(おそらく)最初に取り上げられた形から、20年以上を経て(見田宗介名で)書かれた論考「走れメロスー思考の方法論について」では、真木悠介にとって<ほんとうに大切な問題>の光があてられることで、次の部分だけが取り上げられている。
われわれの生のゆくえはだれも知らない。人は未完のままに去る。
けれどこの世ではこの世の花で友情を織る。
ー大地の上には花と歌
ナワトル族の哲学詩から
見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号
「比較社会学」という方法で「人間の解放」を追い求めてきた真木悠介が、当初は直感的に魅かれた詩であるように、ぼくは推察する。
「どのようにしたら歓びに充ちた生を生きることができるか」という純化された問いに導かれるように、真木悠介は人や社会における「相乗性」の契機を軸のひとつとして、理論を構築してきた。
人や社会の「相克性」をみないわけではない。
真木悠介(見田宗介)自身が述べるように、『現代社会の理論』(岩波新書)や『社会学入門』(岩波新書)においても、相克性ということが明晰にとりあげられている。
それでも、人の生や社会を解き放つ契機として「相乗性」を正面からみすえているのだ。
この「相乗性」ということにおいて、ナワトルの詩は、直感的に魅かれた詩でありながら、真木悠介(見田宗介)のその後の論考の道を照らしてきたものでもある。
冒頭に掲げたナワトルの詩は、人間がこの世に生きるということの意味を究極支えるに足るものとして、第I水準または第II水準と第Ⅲ水準とにおける無償化された相乗性、無償化された肯定性ー花と友情ーを想起している。
共同体も市民社会も生命世界も、本来は集列性である。相克あるいは無関心である。この地からその部分と
して、最初は方法としての相乗性 instrumental reciprocityが立ち現れる。そのあるものは効用のループをこえて無償化し、純粋な情熱と歓びの源泉となる。
…それは派生的、部分的なものであるままで、それ自体派生的、部分的な存在であるわれわれの生きることの根拠を構成する力をもつ関係となる。
見田宗介「走れメロスー思考の方法論について」『現代思想』2016年9月号
ここでいう「第I水準または第II水準と第Ⅲ水準」は、真木悠介(見田宗介)が提示する「現代人間の五層構造」の水準である。
第0水準の「生命性」を土台に、人間性、文明性、近代性、現代性の五層である。
真木悠介(見田宗介)が丁寧に述べているように、派生的・部分的な契機にすぎない「相乗性」は、それでも確かに生きることの根拠を構成する力をもつ関係となって、ぼくたちの生きることを支えている。
ナワトルの詩は、そこに一編の光をさしこんでいる。
ひるがえってぼくは「真木悠介にとってのナワトルの詩」のような「詩」をもっているだろうか、とかんがえてしまう。
ぼくにとっては、このナワトルの詩が最初に置かれた、真木悠介の著作『旅のノートから』の冒頭に置かれた一編に、いつも戻ってくるように思われる。
「life is but a dream, dream is, but, a life」(真木悠介)
ニュージーランドの美しい歌がしみこむ夜。- 「Pokarekare Ana」の曲に魅せられて。
ニュージーランドに、マオリ語で歌われる「Pokarekare Ana」という曲がある。ぼくの好きな曲だ。...Read On.
ニュージーランドに、マオリ語で歌われる「Pokarekare Ana」という曲がある。
ぼくの好きな曲だ。
伝統的なスタイルで歌われる「Pokarekare Ana」も、あるいはクライストチャーチ(ニュージーランドの南島にある街)生まれのHayley Westenraが歌う「Pokarekare Ana」も、それぞれに味がある。
ネット検索でざっと見ていると、この曲の「オリジナル」は明確ではないようで、第一次大戦頃に生まれ、いろいろな人たちのアレンジが加わって、今のような形になってきたようだ。
ぼくがこの曲に出逢ったのは、今から20年ほど前になる1996年。
ニュージーランドの北島にあるロトルアという街においてであった。
大学2年を終えたところで休学し、ワーキングホリデー制度を利用して、ぼくはニュージーランドに降り立っていた。
オークランドに降り立ち、その後の滞在計画を練りながら、「これ」というものが見つからずに、ぼくはロトルアに行ってみることにした。
ロトルアは北島の中間あたりに位置し、温泉で有名な街である。
街全体が硫黄のにおいで充満しているほどである。
ニュージーランドが秋に入ってゆく時期の、とてもよく晴れた日に、ぼくはロトルアに到着した。
そこで、マオリ族の人たちが伝統的な歌と踊りを披露していることを知り、星々がひろがる夜空のもとに悠然とたたずむ木造りの小屋に、ぼくは足を踏み入れた。
マオリ族の伝統的な建物である。
10名ほどのマオリ族の人たちが伝統的な衣装を着飾り、伝統的な物語を素材に、歌と踊りで物語にいのちをふきこんでいく。
フォークギターがその背景に音楽を奏でる。
ラグビーのオールブラックスが試合前に行うことで有名になった「Haka」もそのひとつとして披露された。
後半も終わりに近くであっただろうか、とても美しい調べの歌が小屋にひびきわたる。
凛とした空気のなか、凛とした歌声がきれいに風をきっていくような響きだ。
その曲の調べと美しい歌声のひびきは、いつまでも、ぼくのなかでこだましていた。
小屋の外に出ると、しずかな夜風がぼくにふれた。
その曲が「Pokarekare Ana」という曲だということを、後にぼくは知る。
帰り際に、会場の入り口で、つい購入してしまったカセットテープによって。
そして、ぼくは、ときにこの曲がとても聴きたくなる。
新しい曲たちもいいけれど、「伝統」の曲たちもいいものだ。
新しさと古さの分断線を、この曲は風をきっていく美しさで、気にする風情なくのりこえていくように、ぼくにはきこえる。
香港で、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」が発出される「寒さ」をむかえて。
香港もようやく「寒く」なりはじめて、香港天文台(気象庁にあたる)は12月半ばにして初めて、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」を発令した。...Read On.
香港もようやく「寒く」なりはじめて、香港天文台(気象庁にあたる)は12月半ばにして初めて、「寒冷天気警報(Cold Weather Warning)」を発令した。
しかし、気温は低くても11度前後で推移し、世界的に見たら「寒い」と言うにはおよばないけれど、香港に長く住んでいると、これはこれで寒い。
ただし、この寒さも数日続いてから緩和し、クリスマス頃は15度から20度くらいとなるようだ。
このくらいの気温の範囲であると、行き交う人びとの装いはさまざまだ。
一方でダウンジャケットを着る人たちがいれば、他方でシャツだけを着ているような人もいる。
世界のさまざまな地域から人が集まるところでもあるので、「寒さの基準」が一様でない。
寒さに対処するにおいても、香港天文台や周りにあわせていくのではなく、じぶんの「基準」をつくっておかないと、たちまち体調を崩してしまう。
寒く感じることの理由のひとつは、暖房があまりなく(街中ではほとんどなく)、冬でもエアコンの冷たい空気が、空気の流れをよくしていることだ。
「香港のエアコンディショニングはなぜそんなに寒いのか?」(WHY IS THE AIR-CONDITIONING IN HONG KONG SO COLD?)
街を歩いていたら、そのように問う、アート的な香港案内を見つけた。
最近、香港島のセントラルのSOHOという場所(多国籍の料理やバー)からIFCという建物(映画バットマンのシーンでも登場する建物)に向かう「通り道」が改装された。
ブリッジ式の通り道で、それまでは通りの横に店舗が並んでいた。
相当昔から商いをしてきたような店々であったが、全体がとりこわされ、完全に「道」だけとなり、壁には「香港案内」がアーティスティックに並べられている。
そのうちのひとつが、上記の「香港のエアコンディショニングはなぜそんなに寒いのか?」という案内である。
簡易案内の言葉にこんなことが書かれている(日本語訳はブログ著者)。
…Why is the air-conditioning so cold? Perhaps because the British are accustomed to the chilly weather back home, the industry standard for air-conditioning is 22℃. In some shopping centre and restaurants, the temperature may even be lower than 20℃, which is far lower the nearby cities…
(なぜエアコンディショニングはそんなに寒いのか?おそらく、英国人は英国での寒い天候に慣れていることから、エアコンディショニングの業界基準が22℃となっているらのであろう。ショッピングセンターやレストランによっては、気温は20℃よりも低く、それは近隣の都市などと比べてもかなり低いのである。…)
こんな具体に、香港への訪問者(visotor)向けに、香港案内が壁一面に並んでいる。
香港の風景も、都市開発のなかで、このようにして様変わりしていく。
それにしても、理由がなんであれ、香港のショッピングセンターもレストランも寒いから、少し多めに着込んで、ぼくは今日も出かけてゆく。
緊急支援と開発協力の<あいだ>。- 国際協力で、ぼくの立っていた時空間。
思考の戯れのなかで、「Transition(トランジション)」という言葉に光があてられたかと思ったら、ぼくの思考は、国際協力という実践において以前立っていた時空間にとんでいった。...Read On.
思考の戯れのなかで、「Transition(トランジション)」という言葉に光があてられたかと思ったら、ぼくの思考は、国際協力という実践において以前立っていた時空間にとんでいった。
それは、緊急支援と開発協力の<あいだ>という時空間である。
紛争や大災害のインパクトを受けながら、「緊急支援」として状況への介入がなされる。
紛争であれば例えば難民支援であったりするし、大災害でも地震や津波で家を失った人たちへの支援であったりする。
その後、状況が落ち着き、避難していた人たちは(可能であれば)もともと住んでいた場所などに戻っていく。
しかし、いわゆる途上国においては、戻った場所での生活基盤も脆弱であることが多く、開発協力などで、中長期的に支援をしていくことがある。
「緊急支援→開発協力」へという流れにおいて、その中間である「生活にもどっていく」段階での支援がある。
西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールでぼくが活動をしていたときの、ぼくの立ち位置は、まさにその段階であった
「トランジション」での支援である。
「緊急支援→開発協力」の図式で言えば、矢印のところである。
ぼくはもともと、発展途上国の「開発協力」を学んでいた。
地域に根ざし、中長期的な視野で、持続可能な発展へときりひらいてゆくための、支援である。
先進国の押しつけ(だけ)にならない支援のコンセプトが、一気に出てきていた時期である。
人生というものはわからないもので、ぼくが仕事を得たのは、緊急支援に比重をおく組織であった。
ぼくの最初の赴任地は、西アフリカのシエラレオネ。
紛争終結後で、緊急支援とともに、帰還民支援として「トランジション」の支援に入っていた。
次の赴任地である、東ティモールでも、紛争後の緊急支援に一区切りがつけられる時期であった。
地に足をつけて「開発協力」を志していたから、複雑な気持ちを抱きながらも、ぼくはこの「トランジション」の支援に意味を見出してゆく。
実際に、「緊急支援→開発協力」への繋ぎの大切さと方法論が議論されていたころであった。
緊急支援はスピードと規模ゆえに、その地域に大きなインパクトを与える。
一気に、人や物が流れ込み、問題解決を達成しながら、しかしその大きなインパクトゆえに負の部分も残してしまう。
だから後々の着地はもとより、その着地にいたるプロセスがセンシティブで難しいのだ。
そんなことを、「トランジション」という言葉を手がかりにして、ぼくはふと考えたのであった。
そして今、世界は、「トランジション」の段階だ。
20世紀後半に一気に経済的な発展を遂げ、そこから「次なる時代」へとつながっていく段階である。
ぼくはこのトランジションに焦点をあてている。
国際協力でぼくの立っていた時空間と、今ぼくが立っている時空間は、「トランジション」という状況でつながっている。
そこで、ぼくのできることはなんだろうかとかんがえる。
作法としての「ユダヤ的知性」。- 内田樹がよみとく「ユダヤ的知性」。
NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。...Read On.
NewsPicksのプレミアム(有料)で読むことのできるシリーズの中に(読みごたえのあるシリーズばかりで読みきれていない)、「ユダヤ最強説」という特集があり、全10回にわたって、ユダヤ人の強さを掘り下げている。
その最終回に、『私家版・ユダヤ文化論』の著者である内田樹が、「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」について語っている。
上述の著書を読んだときには一気に読んでしまって、ぼくのフィルターにかからなかったのだけれど、この特集で、内田樹は「ユダヤ的知性」をわかりやすい言葉で、しかしその本質をさぐりあてている。
「ユダヤ的知性」を、内田樹は、ユダヤ人固有の「頭の使い方」として語っている。
「私家版・ユダヤ文化論」という本に書きましたけれど、ユダヤ的知性の特徴を一言で言うと、「最終的な解を求めない」ということです。
解答することが困難な問いに安易な解を与えずに、そのまま宙吊りにしておく。そんなことを続けていると、「答えのない問い」だけが無限に増殖してゆくことになりますけれど、その未決状態に耐える。それがユダヤ的知性の働きです。まことにストレスフルな生き方なのです。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
この「ユダヤ的知性」がユダヤ教的なところにかかわることを解説しながらも、内田樹は次のように指摘している。
繰り返し言いますけれど、ユダヤ人たちのものの考え方は、教義というよりはむしろ「家風」です。子どもの頃から周りの大人たちから、立ち居ふるまい、箸の上げ下ろしについてうるさく言われてきて身体化したようなものです。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
身体化された「頭の使い方」は、今の時代をきりひらく上で、とても魅力的に、ぼくにはうつる。
「最終的な解を求めない」というスタイルにかんれんして、内田樹はいくつかの例をあげている。
例えば、ユダヤ人に向かって「…ですか?」と聞くと、「どうして君はそれを訊ねるのか?」と聞き返すことで、問いの文脈を前景化しようとするという。
問いに対して問いで答えるということをやると、日本人同士であればケンカになってしまうだろうと指摘しながら、ユダヤ人はそこから対話を盛り上げ、論争の次数をあげていくことが、身についていることを、内田樹は説明している。
ユダヤ人は何をしても、「なぜ自分はこんなことをするのか」について考え始める。必ずメタレベルに上げてしまう。…
…つねに論争の次数を上げていって、違う視点から、より高い視点から、今の自分たちの思考や感情を説明しようとする。
内田樹「『ユダヤ的知性』は、いかに生み出されたのか。」『ユダヤ最強説』NewsPicks
ある意味、「好奇心」が、ユダヤ的知性の作法にくみこまれているようだ。
なお、内田樹は、くりかえし、これは宗教や教義ではなく、宗教が形骸化したあとでも残る作法であることをつけくわえている。
質問の背景を前景化したり、思考をメタレベルに上げていったり、議論の次数を上げていくことは、コンサルタントの作法とも通じる。
そのような作法が、社会のなかにうめこまれていることに、ぼくは感心してしまうと同時に、ユダヤ人の強さを垣間見たような気持ちがわきあがる。
ちなみに、コンサルタントや経営者が参照する有名なピーター・ドラッカーも、ユダヤ系である。
人工知能の行く末など未来はどうなるかはわからないけれど、少なくとも今においては、「考えること」はとても大切だ。
ぼくたちが「ユダヤ的知性」に学ぶところは多い。
久しぶりに、内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)をひらこうと、ぼくは思う。
「ユダヤ的知性」の視点でよみとき、学ぶために。
「近代と現代:『標準化、統一化』からの卒業」(落合陽一)。- ダイバーシティの世界へ。
NewsPicksの記事「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)は、筑波大学准教授である落合陽一のプレゼンテーションから8つのトピックをとりあげ、簡潔にまとめている。...Read On.
NewsPicksの記事「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)は、筑波大学准教授である落合陽一のプレゼンテーションから8つのトピックをとりあげ、簡潔にまとめている。
その最初のトピックとして挙げられているのが、「1. 近代と現代」である。
落合陽一自身の言葉かはわからないけれど、そこには、次のような見出しがつけられている。
「標準化、統一化」からの卒業
落合陽一は、近代という時代の「テーマ」を次のようにきりとっている。
近代は、一人ひとりが多くの人間のために「標準化」した、いわゆる人間らしい社会をつくることに必死で、それがテーマでもありました。その結果、僕たちは「統一化」されてしまったのです。テレビなどのマスメディアはいい例で、皆が似たような感性や思考となってしまいました。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
「近代というプロジェクト」にとって、(自由と平等という理念にもかかわらず、いったんはそれらを凍結し)近代家父長制という制度のもとにリソースを集約してきたことは、社会学者の見田宗介が明晰に語っているところである。
「近代」市民社会は、「標準化」の力学で、土着のものを解体してきたことについては、別のブログ(「標準化」と「共通語」の異なり)でも見てきた。
落合陽一は、「現代は違う」と語り、「多様性への変化、ダイバーシティ」への時代の流れを見ている。
それが、「標準化、統一化」からの卒業である。
落合陽一が「多様性・ダイバーシティ」を挙げるのは、落合の主戦場である情報テクノロジーである。
インターネットからスマートフォンの流れで、「個人」が好きなことをできるようになってきたことが挙げられている。
その上で、「統一化された社会の枠組みでものごとをかんがえるフェーズ」から「多様性ある社会でアップデートするすべを考えなくてはならない時代」の到来へと、落合陽一は目を向けている。
落合陽一の研究の芯をささえているのは、このような大きな流れをつかみ、そして描かれた未来である。
シンギュラリティなどで語られる人とコンピュータとの関係性についても、コンピュータやロボットによる人間支配ではなく、その逆の未来を描いている。
…人が自由意志などの近代パラダイムを脱構築することで、新しい形の共存を作り出す。それによって私たちは今よりも自然な、そしてストレスや無理のない毎日が送れるような未来を描いています。
NewsPicks「AI、シンギュラリティ、計算機自然…。落合陽一がいま、考えてること」(2017/12/11)
その手段として、落合が追い続けている研究テーマが「計算機自然・デジタルネイチャー」である。
「標準化、統一化」から卒業した先の「多様性・ダイバーシティ」をささえる、ぼくたちの<共通のことば>を、テクノロジーを実際に駆使しながら、落合はここに構築しようとしている。
ダイバーシティはただダイバーシティであればよい、というものではない。
近代のプロジェクトを推進してきた「標準化」の力のエッセンスを<共通のことば>として残したままで、ダイバーシティのある社会をひらいてゆくこと。
落合陽一の企ては、デジタルネイチャーという<共通のことば>を基幹にしながら、この「現代」をひらこうとしている。
「標準語」と「共通語」の異なり。- グローバル化のなかで<近代・現代をこえる>方向性を確認しておくこと。
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。...Read On.
社会学者の見田宗介の論考を手がかりに、「差別」をのりこえる仕方を、<みんなが同じ>と<みんなが違う>という異なる方向性において見ることを、少し前のブログで書いた。
<みんなが同じ>という均質化の力学が「差別」を生み出していくこと、<みんなが違う>という異質化は世界を豊饒化していくこと。
しかし、見田宗介の徹底した「論理」は、この平面に、もう一段論理を組み込むことで、現実の問題・課題とこれからののりこえの方向性をとらえている。
見田宗介が提示する、この論理・認識と感覚は、とても大切なことであるように、ぼくは世界のいろいろなところに住みながら思う。
見田宗介は、同じ論考のなかで、評論家の加藤典洋が書く「国際化」にかんする文章に触発されながら、ことばについて「標準語」と「共通語」とを丁寧に分けながら、ぼくたちが目指す方向性を明晰に示している。
「インディアンが部族言語だけを持ち、標準語をもつことがなかった」ことに加藤が学ぼうとしていることに、わたしは共感する。共感するが、加藤がここで「標準語」を「共通語」一般と同一視していることから、加藤は論理的な困難に自分を追い込んでしまったと思う。
アメリカ原住民がもし共通語を持とうとしなかったとすれば、それは彼らの美しさであると同時に、弱さでもあったのではないか?
わたしたちに必要なことは、共通語をもたいないことではなく、「標準語」に転化することのないような仕方で、つまり土着語を抑圧することのない仕方で、共通のことばをもつということではないか?
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
見田宗介は、この<共通のもの>と<標準のもの>ということを、「近代」全般の見方へと敷衍して書いている。
「近代」とは、<共通のもの>を<標準のもの>に転化することで、土着を解体してきた。
これが、「近代」市民社会(ゲゼルシャフト)である。
だから<共通のもの>を批判して、共同体(ゲマインシャフト)に戻ればいいというものでもない。
見田宗介は、近代のもつ「両義性」をひきうけて、そこから「近代をこえる」方向性を示していく。
近代をこえるということは、文化と文化との間であれ、個人と個人との間であれ、人間と他の存在の形たちとの間であれ、各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるかという課題に絞られてゆくように思う。
見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫
このような見田宗介の指し示す「近代」をこえる方向性は、この文章が書かれた1986年から10年後に、著作『現代社会の理論』(岩波新書、1996年)として結実する。
近代を否定するのでもなく、近代をただ肯定するのでもなく、近代の両義性をひきうけながら、未来の方向性を明晰に論じている。
このスタイルの重要性と理論の可能性を深いところで認識し、さらに展開をこころみたのが、上述の加藤典洋であったことは、ぼくの関心をひく。
加藤典洋は日本の311の経験ののちに、見田宗介の『現代社会の理論』の可能性を、出版から20年を経て改めて認識し、『人類が永遠に続くのではないとしたら』(新潮社、2014年)を書く。
本質的な思想家たちが、お互いに触発されながら、未来の方向性をさがしあてている。
人はものごとの「両義性」に弱いように、ぼくには見受けられる。
どうしても、人は、どちらかの「極」(例えば、近代と反近代)にひっぱられていってしまう。
そのようななかにあって、「各々に特異なものを決して還元し漂白することのない仕方で、きわだたせ交響するという仕方で、共通の<ことば>を見いだすことができるか」という、見田宗介がさししめしてくれた課題は、ぼくたちの歩く方向性の見晴らしをつくってくれている。
その課題を、グローバル化の世界における日々の生のなかでどのように生きていくことができるのかが、ぼくたちに問われている。
漫画「クロカン」における「チーム」づくり。- 人と組織、そしてマネジメントをかんがえさせられる作品。
漫画「クロカン」。「型破りなクロカン野球で目指せ甲子園」(マンガトリガー)というストーリーで展開される作品(著者:三田紀房)。...Read On.
漫画「クロカン」。
「型破りなクロカン野球で目指せ甲子園」(マンガトリガー)というストーリーで展開される作品(著者:三田紀房)。
1996年から2002年まで雑誌で連載され、アプリ「マンガトリガー」で、無料(「待てばタダ」)で掲載されている「懐かしい作品」である(ちなみに「マンガトリガー」のビジネスモデルは面白い)。
ぼくは「マンガトリガー」で初めて知り、作品に描かれる、人と組織(チーム)、それからマネジメントということを考えさせられながら、作品を読んでいる。
甲子園をめざす桐野高校野球部の監督、黒木竜次(28歳)、通称クロカンが主人公である。
監督就任後に3年目に県大会ベスト4、4年目で準優勝にまでチームをつくっていく。
同野球部の部長、森岡謙一郎(28歳)が描く「エース中心の、守り抜く野球」とは対称的に、クロカンの指導方法と監督の采配は「はちゃめちゃ」である。
高校時代は二人でバッテリーを組んでいた森岡にどういうチームを作りたいのかと聞かれ、「しいていえば、バカばっかのチームだな」と応答するクロカン。
そんなクロカンが、甲子園をめざして、「はちゃめちゃ」な策を展開する。
第2話「口火」は、口火として、策のひとつがチームに「火を灯す」ストーリーである。
既成事実的にエースだと誰からも思われているピッチャーの正宮をショート(+抑えのピッチャー)に転向させる。
チーム内にも、チームの外にも、波紋を広げていくなかで、キャプテンの小松がクロカンに相談にくるシーンがある。
小松は、クロカンに、なぜ正宮をショートに変えたのかをたずねる。
「あの 監督……
教えて下さい
どうして正宮をピッチャーからショートにしたんですか?
みんな頼りにしてたエースが急にショートだなんて…
…
みんな憶測とか噂とか……
好き勝手なこと言い出して
モメてケンカ腰になって収拾つかなくて…」
三田紀房『クロカン』コルク
キャプテン小松にたいし、「ダメだ……俺から理由は言わねぇ……」と伝え、クロカンは「答え」をさしださない。
あくまでも、自分で考えさせる姿勢をとる。
そして、クロカンは、小松をまっすぐに見つめ、次のように尋ねる。
「おまえはあいつらとどういうチームにしてぇ?」
「キャプテンとしておめえはどう思うかって聞いてんだよ」
三田紀房『クロカン』コルク
チームで話し合ったこともないと答える小松にたいし、クロカンは言葉を続ける。
「チームは俺や森岡や誰のものでもねぇ
おまえらのもんだろ
それをどうしたいのか
自分らで考えもしねぇのか」
「まず
てめえらで考えろ……」
三田紀房『クロカン』コルク
黙る小松にたいし、「モメることを恐れるな」と最後にアドバイスをなげかける。
ぼくはこのシーンに心を動かされる。
漫画であるし、高校野球という枠のなかではあるけれど、人や組織(チーム)をかんがえる際に、とても大切なことを「物語」として描いている。
「守り」に入ってしまう人とチーム、既成事実的に動くチーム、どういうチームにしたいかがわからないチーム、「考えること」を現実には放棄してしまっている人など、物語を通じてかんがえさせられてしまう。
それらは、現実に、人や組織が直面していく問題であり、課題だ。
さらに、直接的には語られていないことで、ぼくが気になっているのは、この「口火をきったタイミング」である。
監督になって4年目に準優勝を果たした後に、この「口火」がきられたことだ。
そんなことをかんがえながら、ぼくは次の話へとすすんでゆく。
「まず、てめぇで考えろ」というクロカンの声が、ぼくにはきこえてくる。