成長・成熟 Jun Nakajima 成長・成熟 Jun Nakajima

問題のありかとしての「世間の目」をわきまえる方法。- 山本七平が受けた訓言から。

著書『「空気」の研究』でよく知られている山本七平(1921-1991)の『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)をとりあげて、ここのところブログを書いた。『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』のほかに、本のタイトルにひかれてぼくの「本棚」にならんでいる山本七平の著作に、『無所属の時間』(1978年)がある。

著書『「空気」の研究』でよく知られている山本七平(1921-1991)の『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)をとりあげて、ここのところブログを書いた。『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』のほかに、本のタイトルにひかれてぼくの「本棚」にならんでいる山本七平の著作に、『無所属の時間』(1978年)がある。

そのなかに「世間の目」というエッセイが収められている。山本七平は出版社を経営していたことはあまり知られていないのではないかと思われるけれど、その山本七平が出版をはじめたときに、本の箱の大メーカーT製函所の社長から言われた言葉からはじまるエッセイだ。

そのT製函所の社長は、山本七平につぎのように語る。


「ちょっと調子がよいと、世間は、実態の三倍も四倍も調子がよいと見るものですよ。そしてちょっと調子が悪いと、世間は、実態の三倍も四倍も調子が悪いと見るものですよ。そりゃ、世間がどう見ようと世間の勝手てことは、理屈としてはいえますよ。しかし案外自分のことは自分ではわからないもので、世間の目で自分を見てしまうことが多いんですよ。それが失敗のもと、問題はここですな。ここさえちゃんとわきまえていれば、大丈夫です」。…

山本七平「世間の目」『無所属の時間』(1978年)※PHP研究所、電子書籍版(2013年)を参照


経験と実感と振り返りから生成されてきた言葉であることが感じられ、ここには世界で生きてゆくための知恵がある。

理屈ではわかっていながら、どうしても「世間の目」で自分を見てしまう。自分のことは自分ではわからない、という迷宮にまよいこみながら。


「世間の目」ということで、山本七平はマスコミの報道がそれにあたること(また程度の差はあれそうであるしかないこと)を述べたあとで、「海外からわれわれを見る目」、および「われわれが海外を見る目」も同じであることへと、知恵を展開させる。

日本や日本社会を徹底的に見つめてきた山本七平ならではの「視点」が重なられるわけである(日本や日本社会を見つめるうえでは、時間的あるいは空間的に、べつの国や社会を思考にもちこむ必要がある)。

それにしても、阿部謹也(1935~2006)がかつて「世間とは何か」と問うたように、「世間」はそれだけで興味深いキーワードである。

山本七平は「ちゃんとわきまえる」方法についての質問を忘れない。「ちゃんとわきまえるには、どうしたらいいんですか」と山本七平が尋ねると、社長は、「簡単なことですよ」と言いながら、つぎのように応答されたのだという。「…一人におなんなさい。一人の時間をつくって、自分で自分のやっていることを、一つ一つ点検すりゃそれでいいんですよ。それだけですよ。」と。

それは聴いてみれば、たしかに「簡単なこと」でありながらも、「なるほど」とうなずかされる方法である。

そして、「一人の時間」をつくることができるか、また「一つ一つ点検する」ことがうまくいくかどうかは、もう一歩も二歩も先のことだとも思うのである。

「世間の目」は、ぼくたちの日常のさまざまなところにはいりこんでいて、この「自分」のなかにも内面化されている。一人になっても、「世間の目」は追いかけてくることもあるのだ。

だから、どのようにして「一人の時間」をもち、どのように「一つ一つ点検する」のかということも問われてくる。

その仕方はさまざまにあるだろうけれど、ぼくの経験と実感から言えば、「今いる空間」の外に出て、一人の時間をもち、異なる時間の流れのなかで「自分」の一つ一つを点検することが方法として挙げられる。端的に言えば、「異文化」の体験である。旅であれ、移住であれ、異なる文化の環境を、ぼくたちは豊饒に生かしてゆくことができる。ぼくはそう思う。

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日本, 海外・異文化, 書籍 Jun Nakajima 日本, 海外・異文化, 書籍 Jun Nakajima

機能集団と共同体の「二重構造」としての日本の会社。- 『日本資本主義の精神』(山本七平)の視点のひとつ。

山本七平(1921-1991)による鮮烈な「視点の提供」である、著書『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)。日本の外(海外)で働きながら、異文化のはざまで「働く」ということを見つめつづけてきたぼくの実感と思考から照らしたとき、この本は刺激的であり、指摘はきわめてするどく、そして40年を経過した「いま」でも(また「いま」だからこそ)有益な視点を提供してくれている。

山本七平(1921-1991)による鮮烈な「視点の提供」である、著書『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)。日本の外(海外)で働きながら、異文化のはざまで「働く」ということを見つめつづけてきたぼくの実感と思考から照らしたとき、この本は刺激的であり、指摘はきわめてするどく、そして40年を経過した「いま」でも(また「いま」だからこそ)有益な視点を提供してくれている。

「いま」だからこそ、ということの理由は、「日本に発展をもたらした要因はそのまま日本を破綻させる要因」であると山本七平が見ていたように、「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展の仕方は、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」というところへつながってしまう可能性があるのであり、この「何だかわからないが、こうなってしまった」と感じられてしまう現象を、たとえば、海外の日系企業の人事マネジメントにぼくは見ることがあったからである。


海外における日系企業の人事マネジメントは、異文化間の差異が顕著にあらわれるところである。山本七平が取り上げているように、「契約」にかんする考え方と実践は、40年まえも、そして今も異文化間の差異が見られるところだ。

「差異」自体は仕方がないことであるし、よりよいマネジメントへの源泉とすることもできるものである。問題は、日本の仕方を自明(「あたりまえ」)のものとしながら、この差異から発生することがらを「正しくない」「悪い」ものとして考えてしまうことである。「うちは日本の会社だから…」という見方もひとつだけれど、「ここは日本ではない…」という見方もできるのであり、なによりも、視野を大きくすれば、海外の日系企業は、その場所から切り離された存在ではなく、その場所の「社会構造ー精神構造」のなかで活動するのであるから、少なくともマネジメントの「方法」については、オープンであるべきと、ぼくは考える。

ただし、オープンになることのためには、そこの文化や相手を知ることのほかに、じぶん(たち)の日本的特質を「あたりまえ」のものとしてではなく、<あたりまえのものではない>ものとして明確に自覚してゆくことが肝要である。山本七平が、「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であることと語っているように、無自覚は「呪縛」のうちに人を放りこむのであり、オープンになることを阻害してしまうのである。

もちろん、自覚することに完全性を求めるのではないし、また一気に自覚するものでもない。「自覚してゆく」ということ自体が、成長・成熟の旅だということもできるからである。


『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』の第一章「日本の伝統と日本の資本主義」では、「日本の会社は、機能集団と共同体の二重構造」であることが書かれている。

日本の中小企業で見られた「神棚」や、それに代表されるようなある種の宗教性というべきものを「企業神」と山本七平は呼んでいる(ちなみに、山本七平は長年にわたり出版社を独自に経営してきた中小企業の社長でもある)。そのような「企業神」は世界的な日本の大企業でも見られることにふれながら、日本の会社が「機能集団と共同体の二重構造」になっていることを指摘している。。ここで「企業神」は、利潤追求の機能集団としての会社の中心にではなく、会社共同体の中心に置かれることになる。

こうして、山本七平はつぎのように書く。


…日本の資本主義は、おそらく「企業神倫理と日本資本主義の精神」という形で解明されるべきもので、その基本は前記の二重構造にあるだろう。これが、日本の社会構造により支えられ、さらに、各人の精神構造は、その社会構造に対応して機能している。これを無視すれば、企業は存立しえない。
 この対応を簡単に記せば、機能集団が同時に共同体であり、機能集団における「功」が共同体における序列へ転化するという形である。
 そして、全体的に見れば、機能集団は共同体に転化してはじめて機能しうるのであり、このことはまた、集団がなんらかの必要に応じて機能すれば、それはすぐさま共同体に転化することを意味しているのであろう。…

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫)


このつぎに、山本七平は「血縁社会と地縁社会」という枠組み(日本は血縁社会ではなく「擬制の血縁社会」と位置づける枠組み)を活用して、さらに日本的特質へとわけいってゆく。

また、上記二重構造の「共同体」ということにおいて、アメリカやヨーロッパの共同体を見渡しながら、その違いを「機能集団と共同体の分化」に見ている。たとえば、イギリスの村共同体を述べながら、人びとはその共同体から社会(会社)に出稼ぎにいっている(つまり、機能集団と共同体が分化している)のに対し、日本の場合は、機能集団が共同体に転化している(いわば「団地共同体」から会社に出稼ぎにいく、というのではない)のだと指摘している。

このことを、ぼくが今いる「香港」の事情にあてはめるのであれば、機能集団と共同体が分化していて、そこでいう「共同体」は「家族共同体」ということになろうか。もちろん、現実はいっそう、曖昧さを残していることは言うまでもない。

いずれにしても、ここ香港で『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』を読みながら感じるのは、上述「二重構造」を基礎とした分析枠組みは、状況を把握するのに有効なツール(視点)のひとつであるということである。

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日本, 書籍 Jun Nakajima 日本, 書籍 Jun Nakajima

<日本資本主義の精神>への自覚。- 山本七平による鮮烈な「視点の提供」。

著書『「空気」の研究』でよく知られる山本七平(1921-1991)。2000年代に「空気を読めない(KY)」が言葉として流行になったけれども、日本社会における、この「空気」という存在を解き明かそうとしたのが、この『「空気」の研究』(1983年)である。すでに「古典」であり、近年、たとえば大澤真幸(社会学者)が、この著書に再度光をあてている。

ところで、彼の他の著書に、『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)という著書がある(現在は、PHP文庫で読むことができる)。

「まえがき」の冒頭で書かれているように、「日本資本主義精神」という標題は学術書のような誤解を与えてしまうかもしれない(マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が連想されてしまう)。けれども、この本は、経営雑誌に掲載された「日本的経営を忘れてはいないか」という一文(のちに英訳されて外国人の友人から説明会の依頼がくる)、それから「日本の伝統とキリスト教」という連続講演(日本の伝統がもつ独特の宗教性が日本資本主義の倫理の基礎である)が契機となっている。

ひとつめの契機で山本七平が感じたのは、日本的経営などにおいて見られる「日本的特質を日本人自身が自覚していない」という問題である。日本の経済成長は「何だかわからないが、こうなってしまった」ものである。日本的特質は外部に説明する必要は必ずしもないけれど、「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは、「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、山本七平はここに最も大きな問題を見ているのだ。


…日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展をもたらすが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」という破滅をも、もたらしうる…。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


「自己がそれによって行動している基準」を自覚していないということは「伝統に無自覚に呪縛されている状態」であること、という把握、それからそこに発展だけでなく破滅への経路を見る山本七平の視点はきわめて鋭い。


…いま必要なことは、この「呪縛」の対象を分析し、再評価し、再把握して、自らそれを統御することである。
 もちろん、それを外部に説明する必要はないが、要請されればそれができるように、各人が明確な自己を把握して、自らを統御することは必要である。それは国家に要請されるだけでなく、企業にも、個人にも要請される。
 本書は、それを行うための一提案であり、いわば視点の提供である。

山本七平『日本資本主義の精神ーなぜ、一生懸命働くのか』(1979年)※電子書籍版(PHP文庫、1995年)


ぼくは、この本を、海外で働く日本の人たちに読むことを勧めたい。

今から40年まえの1979年に出された本だけれども、山本七平が書いている「問題」は、40年を経た「今」も、その本質はもとより、現象面においても(あまり)変わっていない(ことがある)。山本七平が「いま必要なことは…」と書くときの「いま」は、40年を経た「いま」でもあると、ぼくは思う。

日本の会社の「共同体」の構造(と精神構造)、雇用契約をふくむ契約のかんがえかた、解雇にたいするかんがえかた、「話し合い」の優位性など、現象面をふくめて、今でも「問題」として生起する問題群が、社会構造と精神構造をともに見晴るかす仕方で、明晰に語られている。

この本を読みながらぼくが実感したのは、まさにこれらの「問題」と構造が今も変わっていないことの驚きであった。

なお、「解決法」が説かれているわけではない。けれども、「自己がそれによって行動している基準」を自覚することなく(少なくとも自覚しようとすることなく)、現象面を解決しようとする仕方は、付け焼き刃になりかねない。あるいは、「何だかわからないが、こうなってしまった」という事態が起きてしまうかもしれない。その意味で、一歩踏みこんだ「解決のヒント」を得ているのだと言うことはできる。

なお、副題にある「なぜ、一生懸命働くのか」についても、興味深い視点を提供してくれている。マックス・ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理のなかで、「ベルーフ」としての仕事、つまり「神から呼びかけられている」ものとして捉えられる職業に<資本主義の精神>を見たけれども、山本七平は、日本の伝統がもつ宗教性に<日本資本主義の精神>の基礎を見出している。

そんなわけで、海外で働く日本の人たちに、この本を勧めたい。山本七平自身が書いているように「視点の提供」として。

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音楽・美術・芸術, 成長・成熟 Jun Nakajima 音楽・美術・芸術, 成長・成熟 Jun Nakajima

ポール・マッカートニーに生きつづける<ビートルズの精神>。- 『Get Enough』(2019年)の響きのなかに。

同時代のなかで、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)がつくり歌う曲を聴くことができるのは、ぼくにとってしあわせなことである。

同時代のなかで、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)がつくり歌う曲を聴くことができるのは、ぼくにとってしあわせなことである。

ビートルズはぼくが生まれるまえに解散してしまったし、ジョン・レノンはぼくがビートルズとその4人を知るまえにこの世を去ってしまったから、同時代において、ポール・マッカートニーの曲を聴くことができることは歓ばしいことだ(もちろん、リンゴ・スターも曲をつくり歌いつづけてくれている。が、ここは、ポール・マッカートニーの話である)。

さらに、76歳(1942年生まれ)のポール・マッカートニーが、いまでも<ビートルズの精神>でもって、<新しい試み>をつづけていることには勇気づけられるのである。


今年2019年の1月1日にシングル曲が世に放たれているなんて知らなかったぼくは、その『Get Enough』という曲を聴いたとき、ひどく心が揺さぶられた。「ポール・マッカートニー」的なメロディーを色調とする曲なのだけれど、それは、思いもしなかった(現代的な)仕方でアレンジがほどこされていたからである。

そこでは、「Auto Tune」のテクノロジーによって、ポール・マッカートニーの歌声が変声されているのだ。ビートルズが時代をきりひらいたよう革新性はないけれども、(ぼくの知るかぎり)ポール・マッカートニーの曲づくりにおいて<新しい試み>である。

そしてなにはともあれ、そのことが、時代をきりひらく革新性よりも、ある意味において(ポール・マッカートニー自身にとっても、聴く人たちにとっても)大切なことであったように、ぼくは思う。

そのポール・マッカートニーは当初、Auto-Tuneを使うことで反感をかうのではないかと懸念していたようなのだ。けれども、新しい技術を積極的に受け入れるビートルズの精神にもとづき、<新しい試み>へとふみきったという(※参照:Wikipedia「Get Enough (Paul McCartney song)」)。

ぼくは個人的に反感をもたない。もたないどころか、ポール・マッカートニーの声の新鮮さと深みを感じるのである。

数々の名曲(「Yesterday」「Let It Be」「Hey Jude」など)をつくってきたポール・マッカートニーが型にはめられた「ポール・マッカートニー」におしこめられるのではなく、<ビートルズの精神>によってひらかれてゆく方向性に、ぼくは惹かれる。

正直に言えば、(あの)「ポール・マッカートニー」に期待してしまう気持ちもないわけではない。どこかで、「Yesterday」や「Let It Be」や「Hey Jude」などを超える曲がでてくることを期待し、望んでいる。けれども、それ以上に、ポール・マッカートニーがどのように(またどこに)「ポール・マッカートニー」を超えでてゆくのかに、あるいは「ポール・マッカートニー」を生ききるのかに、ぼくは関心があるのである。

そんなことを思いながら、『Get Enough』の響きに耳をかたむける。そこに、<ビートルズの精神>を聴きとりながら。

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成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima 成長・成熟, 社会構想 Jun Nakajima

「資本主義の精神」について。- マックス・ヴェーバーが注目する<ベルーフ>としての職業。

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

じぶんの生きかたをまなざし、考えるとき、ただ「じぶん」だけをまなざすのではなく、「じぶん」を歴史(時間)と地理(空間)のなかに位置づけることが必要である。どんな時代に、どんな場所に生きているのか。

歴史と地理を視野にいれてゆくとき、いろいろなキーワードがあるけれど、なかでも「資本主義」はとても大きなキーワードだ。

今日(5月1日)は「Labour Day」でここ香港も祝日であるが、そんな日に、資本主義とのかかわりのなかで「仕事」ということについて少しふれておきたい。ここのところ、大澤真幸(社会学者)の著書『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川出版、2018年)を読んでいて、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」という興味深い文章に触発されたことも、ここで書く理由のひとつである。

「資本主義」と聞くと、経済合理性の極みのような響きを聞き取ることになるが、実際の事情はけっしてそれほど単純ではない。

大澤真幸は、古典中の古典といわれる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』における、マックス・ヴェーバーの説にふれながら、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」ことについて語っている。ヴェーバーの説は、書名にあるように、プロテスタントの倫理のなかに資本主義の精神のベースがあるというものである。この説の「正しさ」は別としても、かんがえさせられる内容だ。


大澤真幸がヴェーバーの説のなかで焦点をあてたのが、ドイツ語の「ベルーフ」という言葉である。

この言葉は聖書に出てくる概念だという。世界史を学んだ人は知っているとおり、昔のヨーロッパでは、ラテン語の聖書しか使われていなかったところに、ルター(たち)がドイツ語に訳して、聖書をひろく一般に読めるようなものにする。そこで出てくるのが、「ベルーフ」という概念である。


 このベルーフのもととなるのは、ギリシャ語の、クレーシスという概念でした。このクレーシスは「神から呼びかけられる」という意味です。難しい言葉ですが、日本語では「召命」と訳されます。
 この「神からの呼びかけ」とは、具体的には各人の仕事、職業のことを指します。日本語の感覚ですと、「これは俺の天職だ」と言う時の「天職」に近い。何か自分に運命的に定められている、このために生まれてきたのだという仕事です。
 …
 この召命、ベルーフという言葉を、ドイツ語の聖書では職業という意味で使った。このことは非常に重要な意味合いを持った、というのがマックス・ヴェーバーの説です。

大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』(角川出版、2018年)


「靴職人」の例を、大澤真幸は挙げている。

靴職人である場合、靴をつくることには、さまざまな意味がある。靴がない人につくってあげるといった利他的な行為、あるいは、自分が生きていく糧として靴をつくる、など。けれども、そこに「ベルーフ」の概念がはいってくると、それらの意味をこえて、神が「おまえは靴職人として定められている」と呼びかける感覚を得ることになる。つまり、こうして、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」ことになる。

資本主義には、この感覚が非常に重要だったというのがマックス・ヴェーバーの説だというわけだ。

これらにふれて、資本主義の世界で「成功」するには仕事に<ベルーフ感>がないと難しい、と大澤真幸は語っているが、確かに「お金を儲けよう」だけでは到達できないところに、<ベルーフ感>のある仕事をしている人たちをつれてゆくだろう。

なお、現在でも、自己啓発系の本などでは「宗教の信仰」にふれられることなく(「神」としてふれられることもあるけれど)、この「召命」が語られているのを目にすることがある。たとえば、それは神からでなくとも、じぶんの内側から聴こえる「calling」というような仕方で語られるのである(資本主義の「アメリカ」について、思っている以上に「宗教」の理解が肝要であることを思う)。

ぼく自身は特定の宗教を信仰はしないけれども、「仕事に宗教的な意味合いが入ってくる」というときの、この「宗教的な意味合い」をより一般化されたかたちで理解することで、ヴェーバーの説を読み取ることができる。

なお、大澤真幸はこれにつづく次の節で、「資本主義になると、すべての日が聖日になる」と、ヴァルター・ベンヤミンの説(「宗教としての資本主義」)をひきあいにだしながら展開している。

ふつう、信仰がある人にとっては「日曜日」が大切で、日曜日には日常の仕事をしてはいけないところ、資本主義になると日常の仕事こそが宗教的行為のひとつになるというのが、ベンヤミンの語るところだというのだ。

つまり、すべての日が聖なる日であり、神から与えられたものとして労働するというように、資本主義のなかではなってゆくのだという。「職業」(ベルーフ)が、神から呼びかけられたものとしての行為であるというヴェーバーの説に重ねられることになる。

このような視点をふまえたうえで、「資本主義」を見つめなおしたり、人にとっての「職業」や働きかたを考えてゆくと、視点を得るまえとでは異なった仕方で対象が現れてくる。

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日本, 海外・異文化 Jun Nakajima 日本, 海外・異文化 Jun Nakajima

「平成」の半分ほどを海外ですごしてきて。- 「日本」との<距離>のなかで。

「昭和の終わり」の記憶を、ぼくはかすかに自分のなかに残している。中学生だったぼくは、その日、体育館に集められ(ここは記憶が定かではないのだけれど、もしかしたら、体育館に集まっているときに)、天皇崩御が伝えられた。それから「平成」がはじまった。

「昭和の終わり」の記憶を、ぼくはかすかに自分のなかに残している。中学生だったぼくは、その日、体育館に集められ(ここは記憶が定かではないのだけれど、もしかしたら、体育館に集まっているときに)、天皇崩御が伝えられた。それから「平成」がはじまった。

そののち、ぼくは平成の時代の半分ほどを、日本の外(海外)で過ごすことになった。海外で暮らすようになって、ときおり、今が「平成」の何年なのかわからなくなったものだ。だからといって、「平成の時代」から無縁であったわけではない。海外に出てからも、さまざまな回路をつうじて、ぼくはやはり「平成」を生きたのだとも言える。

海外で暮らすようになって、ぼくは、物理的に「日本」と距離をとることになった。物理的に距離をとりながら、精神的にも「距離」をおくことができたのだけれど、他方で、ある種の距離をおくことが、むしろ、ぼくを「日本」や「日本人」という対象に近づけることにもなったのだと、振りかえりながらぼくは思う。

日本や日本人という対象に近づくということは、いわば、ぼくの心身に刻印された「日本なるもの」へ近づくということでもある。物理的な「日本」から距離をおくときに、内面の「日本なるもの」がより鮮明になってくる。これまで「あたりまえ」だと思っていたことが<あたりまえではないもの>として現れてくるのである。

そのプロセスにおいては、心身に刻印されている「あたりまえ」がある意味で「正しい」ものだとして感じられたり、考えられたりすることもあるのだけれど、「何か」をきっかけに、あるいはオープンマインドによって、その「正しさ」の窓に穴がうがたれてゆくことがある。あたりまえに「~すべきである」だと思っていたことが、「~することもできる」というような選択肢のひとつになる。

たとえばそんなふうにして、より客観的に「日本なるもの」を視ることができるのである。


「元号」のこともそうだけれども、「天皇制」にしてもそうである。

以前は正面から見ようとしてこなかったことがらを、正面から見てみようと思ったりする。ある程度の「距離感」が、ぼくにそんな気持ちをおこさせるのである。これまでにいろいろな国に住んだり、旅したりするなかで、それぞれの土地における共同体として暮らしていく「感覚」のようなものをほんの少しは感覚してきて、「比較」するための拠点がぼくの内面にできたということもある。さらには、異文化の人たちに尋ねられることもあるから、自分なりの説明ができるようにしておこう、という気持ちもある。

そんなふうにいろいろな状況や条件がかさなり、自分の気持ちがあって、これまで見てこなかったことがらに分けいってみたくなったのだ。

そんなときに、その思想と感覚を信頼する内田樹の著書『街場の天皇論』を読みはじめて、教えられ、また考えさせられた。ぼくの静かな「対話相手」にもなってくれた。


2016年の天皇の「おことば」に触れながら、内田樹はつぎのように語っている。


 日本国憲法下における立憲民主制と天皇制の併存という制度が将来的にどういうかたちのものになるのか、1947年時点では想像もつかなかった。その制度が今こうしてはっきりとした輪郭を持ち、日本の社会的な安定の土台になるに至ったのには、皇室のご努力が与って大きかったと私は思います。天皇制がどうあるべきかについての踏み込んだ議論をわれわれ国民は怠ってきたわけですから。
 しかし、国民が議論を怠っている間も、陛下は天皇制がどういうものであるべきかについて熟考されてきた。「おことば」にある「即位以来、私は国事行為を行うとともに、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」というのは、陛下の偽らざる実感だと思います。そして、その模索の結論が「象徴的行為を果たすのが象徴天皇である」という新しい天皇制解釈でした。…

内田樹『街場の天皇論』(東洋経済新報社、2017年)


「象徴的行為」と言われるのは鎮魂慰霊の旅で、これが最重要の仕事だと言外に宣明したのだと、内田樹は語っている。そのうえで、高齢によりその最重要の務めが十分に果たせないことが退位の理由だということである。

この他にも、さまざまなポイントと論点が提示されている。

もうひとつだけふれておくと、「立憲民主制と天皇制の併存・両立」ということについて、昔はこの二つが「両立しない」と思っていた内田樹は、今は「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が政体として安定しており、暮らしやすいのだ」と考えているという。一枚岩よりは、中心が二つある「楕円的」な仕組みの方が生命力も復元力も強く、天皇制はその焦点のひとつだというのだ。

興味深い指摘であるし、いろいろな他の国などを経験してみると、感覚としてわかるような気もする。


こんなふうにして得た「視点」で、海外のメディアがどのように報じているのかを、ここ香港でニュース記事を読んだりしながら、平成から令和への「とき」をすごしている。

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<欲求を解放する>ということ。- 節制や抑制ではなく、「解放する欲求」を生きること。

現在あるかたちの「消費化社会」が、地球の環境問題をふくめて、大きな「負の影響」をおよぼしている。

現在あるかたちの「消費化社会」が、地球の環境問題をふくめて、大きな「負の影響」をおよぼしている。

という状況において、この「消費化社会」をどうしていったらよいか、という解決の方向性として、その物質主義的なありかたを抑制してゆくことを考えてみることができる。今の「消費」のありかたが異常で過剰だから、節制と抑制でもって「消費」をおさえてゆこう、という解決の仕方である。「消費」への欲求はとめどないから、抑えこまなければいけない、というわけだ。

これは解決の方向性のひとつであるし、実際に「有効」でもあったりする。「もっとも」な意見であるように聞こえる。

見田宗介(社会学者)が、名著『現代社会の理論ー情報・消費化社会の現在と未来』(岩波新書、1996年)で提示した方向性は、しかし「消費への欲求」そのものを、「消費」というコンセプトをつきつめることで、解き放ってゆくというものであった。「禁欲」という道ではなく、不羈の仕方で「歓びを追求する」道である。

この方向性と方法にぼくは惹かれる。

節制や抑制や禁欲という道よりも、欲求そのものを解放するという道は魅力的である。


<欲求を解放する>という方法については、上述の本が書かれるよりも20年ほど前に、真木悠介のペンネームで発刊された名著『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)に、「混沌と投げ込まれているモチーフたち」(真木悠介)のひとつとして書かれているのを見つけることができる。


 「欲求の解放」とはなによりも、欲求そのものの解放である。欲求を解放するとは、解放する欲求を生きること、対象を解放し、他者を解放し、自己自身をたえず解放してゆこうとする欲求を生きることである。

真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年→ちくま学芸文庫、2003年)


なお、<欲求を解放する>ということに対して、「野放図なエゴの相克」をまねくという反論がなされるだろうことを、真木悠介はあらかじめ視野にいれている。そのような反論をする人たちは、「人間が人間にたいして狼であるというホッブス的な幻想を、アプリオリに前提している」というように。(それにしても、ホッブスの著書『リヴァイアサン』に描かれるような、ホッブス的な世界観(「万人の万人に対する闘争」)は相当に根強く、人びとの内面にひそんでいるのだということを、ぼくは感じる。)

「節制や抑制や禁欲」が必要なことも生きているなかではあるけれど、それらには限界があるし、なによりも抑圧された欲求はどこかで別の抑圧に転化したり、爆発を起こすことにもなる。「サステイナブル(持続可能的)」ではない、とぼくは思う。

ぼくは、<欲求の解放>の道をえらぶ。

これは、個人としての生きかたでもある。「解放する欲求を生きること、対象を解放し、他者を解放し、自己自身をたえず解放してゆこうとする欲求を生きること」である。不羈の仕方で、<欲求の解放>を生きることである。

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言葉・言語, 物語・ストーリー Jun Nakajima 言葉・言語, 物語・ストーリー Jun Nakajima

「アイデンティティ」について。- いきものがかりの曲「アイデンティティ」から。

音楽グループ「いきものがかり」に、「アイデンティティ」という曲がある。CM用に作られた曲であるが、その曲名、「アイデンティティ」に目がひかれる。

音楽グループ「いきものがかり」に、「アイデンティティ」という曲がある。CM用に作られた曲であるが、その曲名、「アイデンティティ」に目がひかれる。

「わたしは今 わたしは今 夢中で生きていくんだ こころよ自由になれ」と歌われるなかに、しかし、「アイデンティティ」という言葉は出てこない。曲名だけに「アイデンティティ」という言葉があてられている。


それにしても、「Identity(アイデンティティ)」という言葉は、わかったようでいて、なかなか説明しづらい言葉でもある。日本語に訳すとなると、ぼくのあたまのなかには、辞書的に「自己同一性」が思い浮かぶ。しかし、この日本語訳は、原語のニュアンスからずれているようにも感じる。

「自己同一性」以外にも、「主体性」や「存在証明」といった日本語訳がこころみられたようなのだが、やはりニュアンスを伝えきれずに「アイデンティティ」というカタカナ語が定着したようだ(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)。


見田宗介(社会学者)は、「アイデンティティ」とは結局、「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」であると、書いている(前掲書)。

この説明はより本質をついたものである。

ところが、「アイデンティティ」という言葉が一般的に使われる文脈では、「私はどこに属するか」というほうに問いが向けられてしまうようなところがある。1970年代に日本の若い世代を深く捉えたこの主題は、1980年代になって全国民的にひろがり、「日本のアイデンティティ」や「日本人のアイデンティティ」などと使われるようになったようだ。「アイデンティティ」ということで、1970年代の青年たちは「個」としての生きかたに焦点をあてたのに対し、「国家」や「民族」というところ(つまり、「私はどこに属するか」)に向けられた力学がはたらいていく。

「Identity(アイデンティティ)」という言葉の困難さは、その日本語訳のむずかしさだけにかぎらず、「アイデンティティ」をめぐる状況の複雑さがからんでいるようだ。


ところで、「アイデンティティ」を「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」という見方をもう少しひろげて見る人たちもいる。


 わたしたちは誰しもが、わたしはこういう人間だという、じぶんで納得できるストーリーでみずからを組み立てています。精神科医のR・D・レインが言ったように、アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのことです。
 人生というのは、ストーリーとしてのアイデンティティをじぶんに向けてたえず語りつづけ、語りなおしていくプロセスだと言える。

鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川書店、2012年)


本質的には「『私とは何か』という問いに答える『自分らしさ』のようなもの」とおなじだけれど、それを「ストーリー(物語)」という角度から照射している。


冒頭にあげた、いきものがかりの曲「アイデンティティ」には、「わたしは今 わたしは今 夢中で生きていくんだ」と歌われたあとに、つぎのようにつづくところがある。「闘って闘って かわりのない ものがたりを この手でつくりつづける こころよ自由になれ」。

この歌の「わたし」は、「ものがたり」をつくりづける主体として生きている。「個」としての生きかたを探求しつづける「わたし」である。

河合隼雄(1928ー2007)がかつて語っていたように、標準的な物語をおいかけるのではなく、「個人の物語」を構築していかなければいけない時代に、ぼくたちはいる。歌の「わたし」は、どの方向にだとか、どのようにものがたりをつくるかは語らない。でも、「こころよ自由になれ」と、自由になりきれていないこころをひらこうとしている。

1970年代の青年たちを捉えた主題(「アイデンティティ」)が、今も、青年たちを捉えている。そこにはかわりない切望があるのだろうか、あるいはどこか違ったかたちで青年たちをとらえているのだろうか。

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香港, 身体性, テクノロジー Jun Nakajima 香港, 身体性, テクノロジー Jun Nakajima

香港の天気予報・警報「通知」が届けられるなかで。- 便利さと喪われた感覚のはざま。

ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。

ここ香港の4月は「こんなに暑かっただろうか」と、これまでの10年以上にわたる香港経験の記憶アーカイブを検索してしまうほどに暑い日が続いている。今日は一休みといった感じで曇り空がひろがり、午後から雷が鳴ったり、雨が香港の大地にふりそそいだ。

午後にさしかかったあたりから大気が不安定になってきて、香港の天気予報・警報の「通知(Notification)」が、スマートフォンを通じてひっきりなしにやってくる。降雨の知らせ、雷警報や豪雨警報の通知など、気象庁にあたる香港天文台(Hong Kong Observatory)のアプリから、通知が届くのだ。もちろん、自分で「設定」しているから、届くわけなのだが。

ずいぶんと便利になったものだ。そんなふうにも思う。

香港に来たころ、10年ほど前には、スマートフォンは普及しておらず、豪雨警報・台風警報を届けてくれる有料サービスが一般の会社が提供していたりしたものだ。それが、今ではスマートフォンのアプリで、香港天文台から直接に、無料で通知が来る。通知の種類も豊富である。


通知を受け取りながら、こんなに便利になったんだと思いつつ、昔はこんな通知がなくてもなにごともなく暮らしていたなぁと思う。

ぼくの記憶は、香港生活を超えて、ぼくが小さい子供だったころにたどりつく。とくに困った記憶もない。困った記憶は忘れられたりするものだから、今のぼくには憶い出せないだけかもしれないけれど、それにしても、大変だった記憶がまったくわいてこないのだ。

ぼくの感覚的な記憶からわいてきたのは、むしろ、そのときの<自然への感度>のようなものだ。空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じる。そんなふうにしてぼくが自分自身で得る「予報」が、あたっていた/あたっていなかったということが大切なのではなく、ぼくなりに<自然に対する感度>を駆使していたことが憶い出されるのである。


原生的な人類は、信じられないほどの視覚や聴覚などの感覚器官を駆使して暮らしていただろう。そのような感覚器は、文明の発展のなかで、テクノロジーにとって代わられてゆく。視覚や聴覚などの感覚器官の、いわば「拡大された感覚器」である。

それら感覚器官の「機能」ということに焦点をしぼれば、テクノロジーがはるかなちからをもって、機能を「拡大」してくれる。テレビやスマートフォンなどを通じて、現代人は、自分たちの感覚器官を退化させても、原生的な人類が想像もしなかったほどの視覚や聴覚を手にしている。

テクノロジーの「光」の大きさを確認しながらも、それらの「闇」へも視界はひらかれなければならない。


真木悠介(社会学者)は、次のような見方を、ぼくたちに提示してくれている。


 …けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
 たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)


真木悠介のことばが、空の様子を見て、雲をみやり、空気感を感じながら自然と生きていたぼくと共振しながら、今を生きるぼくに語りかける。

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身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima 身体性, 成長・成熟 Jun Nakajima

食べるときの「おいしさ」について。- 「おいしさ」への感度に向けて。

食事をしながら、ふと、「おいしさ」についてのことがあたまに浮かんでくる。

食事をしながら、ふと、「おいしさ」についてのことがあたまに浮かんでくる。

「おいしさ」とはどのように可能なのか。そんなことかんがえていないで、おいしいものを食べればいいじゃないか、とも思うけれど、世界のいろいろなところでそれなりに年をかさねて生きていると、「おいしさ」ということをかんがえてしまうものである。

「おいしさ」をつきつめてゆくと、そこには食べ物や料理という方向というよりは、この自分の心身にいきつく、と、ぼくは思う(もちろん、食べ物や料理をつきつめてゆく方向にも「おいしさ」を追求していく方向もある。「コーヒー」生産にたずさわってぼくとしても、そのことは重々承知である)。

自分の心身の状態によって、質素な料理もこれ以上ないほどおいしくいただけるし、逆に、どんなに手のこんだ料理も(あまり)おいしくいただけないことがある。

だいぶ前のことだけれど、中国を鉄道で旅していたときに列車のなかで食べたインスタント麺はほんとうにおいしかったし、ニュージーランドの自然のなかで食べるお米もどこまでもおいしかった。

鉄道の旅では寝台で眠り、勝手がよくわからなくて長い時間ほとんど食べずに過ごしていたところ、なにかがきっかけでインスタント麺を手にいれ、中国の人たちにまじって、片言の中国語で会話をしながら、食べたのであった。ニュージーランドでは、一日中歩いたりしたあとに、キャンプ用の小さいガスコンロでお米を炊き、自然に囲まれた環境で食べる。なんでもないものが(というとそれぞれの食べ物に失礼だけれど)、まるで心身にしみいるのだ。

ほんとうに「おいしさ」を感じたときの体験といったとき、ぼくはそんなときのことを憶い出す。


共同通信社の勤務から作家となった辺見庸の作品に、『もの食う人びと』(角川出版、1994年)があるが、『もの食う人びと』の旅で辺見庸が到達した「地点」はそんなところであったと、ぼくは記憶している。「おいしさ」は、最終的には、この「自分」によるのだということ。

通信社では北京特派員やハノイ支局長をつとめ、「現実を直視」してきた辺見庸が、バングラディシュや旧ユーゴやソマリアやチェルノブイリなどで、人びとは今何を食べて、何を考えているかを探っていった『もの食う人びと』の旅での到達点である。

「おいしさ」のことがあたまに浮かびながら、この『もの食う人びと』の旅の到達点のことも憶い起こされる。


最後は自分の心身だからといって、食べ物や料理のおいしさ追求を蔑むわけでは決してない。むしろ、逆である。自分の心身へといきつくことが、同時に、自分の外部のことへの感度を獲得してゆくことである。そんなふうにかんがえる。

問題なのは、自分の心身を忘れて、ただただ、この外部(高価な食べ物、高価な料理など)へと傾倒してゆくことである。そんなことは(ほんとうは)わかっていながら、いつのまにか、このような「外部のもの」へと依存してしまったりするものである。

不思議なもので、自分自身を忘れてしまいがちなのだ。そうして、自分の「外部」にあるものが問題なのだと信じて疑わなくなる。「外部」にあらわれるものは、見えるし、聞こえるし、「明らか」であるからである。

「おいしさ」を感じなくなったとき、ぼくたちは、食べ物や料理ではなく、まずは、自分自身を疑ってみることができる。自分自身の「おいしさ」への感度のことを。

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「未来」の使いかた。- 未来は「未知」であるという前提の生きかた。

「未来」を手にいれたとき、それは人間にとって、大きな「解放」であった(古代日本人にとっての「未来」はつぎの収穫までの時間ほどであった、など)。けれども、近代・現代は「未来」を極端な仕方で、あるいは間違った方向に向けてしまうようでもある。

「未来」を手にいれたとき、それは人間にとって、大きな「解放」であった(古代日本人にとっての「未来」はつぎの収穫までの時間ほどであった、など)。けれども、近代・現代は「未来」を極端な仕方で、あるいは間違った方向に向けてしまうようでもある。

人は、<今、ここ>の生を充実させることもできるし、あるいは<未来>の目標によって今を充実させることもできるのだけれど、未来が、現在の生を抑圧したり、不安をかきたてるものとなってしまうのだ。


思想家・武道家の内田樹は、「不思議なことなんですけれど」と前置きをしながら、「未来は未知だ」と思っていない人たちのことを語っている(内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年))。つまり、未来は「わかっている」と思っている。

少なくとも、「未来はわかっている」というような仕方で、発言し、行動している。そういう人たちについてである。「未来はわかっていますか?」という質問を正面から投げかけたら、「わからない」と応えるかもしれないけれど、言動が、「未来はわかっている」ということを前提としているかのように、見聞きできるのだ。確かに、不思議なこと、である。


ある日、出版社の女性編集者が内田樹のもとにやってきて、「30代女性のこれからの生き方ガイドブック」のようなものを書いてほしい旨を伝える。この年頃の働く女性は悩み、苦しんでいる。結婚はするほうがいいのかしないほうがいいのか、子どもは産むほうがいいのか産まないほうがいいのか、どのように老いてゆくのがいいのか、等々。

平均寿命が85歳として今が35歳、あと50年間をどのように過ごしたらよいかと訊いてくるわけだ。「正しい老い方のガイドブック」のようなものを望んでいる。そんな依頼がきたわけである。

内田樹は、びっくりして、「このような発想そのものが根本的に人を不幸にしているのだ」として、つぎのように語っている。


内田 …残りの50年をプログラムさえ正しく組めば、好きなようにコントロールできるつもりでいる。でも、やるべき仕事の日程がかっちり決まった50年間を目の前にして、その空白をただ塗りつぶしていくような生き方をしたら、それって囚人が出獄までの残り日数を数えているような人生でしょう。カレンダーを×でつぶしていくような生き方をしていて、「正しい×の付け方」を教えてくださいって言ったって、おもしろいわけないじゃない、そんなこと(笑)。
 …筋書きなんてわかったら、生きている甲斐がないじゃないかってぼくは思うんですけど。…何が起こるかわからないからこそ、自分のもっている全知全能をあげて、新しく出現してくる局面に立ち向かえるわけですよね。未知の局面に遭遇する時にこそ、人間のパフォーマンスって飛躍的に向上するわけでしょう。…

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「未来」がひとつの「解放」ではなく、「牢獄」となってしまっている。「未来」というものを取り違え、「未来」の使いかたがズレてしまっている。

自分の未来にたいする不安から、未来をコントロールしたい欲求が起こり、コントロールできると思い込み、「カレンダーを×でつぶしていくような生き方」をしている。不安はなくなったわけでなく、下部ではたらきつづけ、不安とコントロールによって倍増された言動がくりひろげられる。

このようなことは「個人」に帰するだけでなく、近代・現代という時代の社会構造のうちにも、その根拠をもっているものだ(真木悠介『時間の比較社会学』岩波書店)。


「未来」をもったとき、それは、人間にとって、大きな「解放」であった。「未来」を抱くことで、どれだけのビジョンがかたちとなってひらけてきたことだろう。

でも、それは、使いかたがズレてしまうと、解放どころか、人を「牢獄」に閉じこめてしまう。

「未来」の使いかたを、まちがってはいけない。

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手持ちの<使えるもの>を今一度確認してみる。- Apple Macの「辞書」。

日々の暮らしのなか、手持ちの<使えるもの>で、使っていないものや利用していないものがあったりするものだ。

日々の暮らしのなか、手持ちの<使えるもの>で、使っていないものや利用していないものがあったりするものだ。

そんな<リソース>は、そこにあることを知っていれば使っていただろうし、あるいは、そのようなものがあれば使い途を考えて活用していただろう。

でも、それらの(豊富な)リソースの存在に気づくことなく、やりすごしてきて、ある日ふとその存在に気づいて思う。あれ、こんなところにこんなにいいものがあるじゃないか、と。


ぼくにとっては、コンピュータのOSにあらかじめ盛り込まれている「辞書」が、そんなリソースであった。

アップル社のコンピュータ用のOS(macOS)を今一度、ガイドブックを参考に、全貌を把握してゆく。設定をひとつずつ確認し、OSの機能をひらきながら確かめる。「辞書」が搭載されていることは知っていながら、辞書を開け「単語」をうちこんでみて、気づくことになる。これまでなんで使ってこなかったんだろう。いい辞書じゃないか。と。

たとえば、英語は「Oxford Dictionary」であり、日本語は「スーパー大辞林」、それから、日本語・英語は「ウィズダム英和・和英」がはいっている。単語には、例文もついているし、それぞれの説明のなかに「単語」をクリックしてその単語に飛べたりもする。


こんなことが、コンピュータではよくあるかもしれないと思う。

コンピュータを手に入れ、あるいは仕事でコンピュータあてがわれるとき、その機能をすべて理解してから使い始めるという人は別にして、それ以外の人は「自分が当面使う機能」にしぼって、キーボードをがちゃがちゃと動かしはじめる。

文章や報告書を書くためのソフトウェア、表計算などのソフトウェア、Eメールなど、それらを使いこなせば生活や仕事のタスクもひとまずこなしてゆくことができる。「足りない機能」があれば、他のソフトウェアなどをオンラインで探しては追加していく。

そんなふうにして、「自分が使う機能」が固定化していってしまうことになる。

つねにアンテナを張って、機能を見直し、新しいものを取り入れることが得意な人や好きな人はこれまた別として、そうでないと、ある程度の「自分が使う機能」が固定化してしまうのだ。常々アップグレードさせなくても、ある程度の機能を持っていれば、目の前のことがらを遂行してゆくのに事欠かないわけだ。

こうして、他にいろいろと機能がついていることは知りながら、結局は「自分が使う機能」の枠から出ることがなくなってしまう。だから、ときには、その枠から出て、コンピュータの機能の全貌を確認してみるのもひとつである。


そして、このようなことは、コンピュータだけに限定されることではない。

ぼくたちが日々暮らしてゆくなかで、仕事をしてゆくなかで、手持ちの<使えるもの>を使っていないかもしれない、使えていないかもしれない。そんなふうに、自分や自分の周りを眺めてみることができる。

もしかしたら、「何か」が見つかるかもしれない。

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「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いに向かって。- 「矢作俊彦の小説の主人公」の場合。

思想家・武道家の内田樹と、「三軸修正法」の池上六郎の対話をもとにした著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。いろいろとハイライトしたなかで、「まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョン」(池上六郎)ということばを、別のブログでとりあげた。

思想家・武道家の内田樹と、「三軸修正法」の池上六郎の対話をもとにした著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。いろいろとハイライトしたなかで、「まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョン」(池上六郎)ということばを、別のブログでとりあげた。

その他にハイライトしたなかで、この「ことば」はいいなぁと読みながら思ったところを、つぎに挙げておきたい。


「格好いい」という生きかた・人生(内田樹がふれているように、「格好いい人生」は最近では死語のようである)を語りあうなかで、内田樹が挙げたことばである。


内田 矢作俊彦って、ぼく大好きなんですが、何かの小説の主人公の言葉なんですけれど、「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いに対して、「もっと自分を好きになりたいから」と答えるんです。…けだし名言、と思いましたね。まことにそうだな、と。「自分のことをもっと好きになりたい」じゃないですか。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「もっと自分を好きになりたいから」。確かに、名言である。


ところで、「自分のことしかかんがえていない」というような言説が聞こえてくるなかで、他方「自分のことが好きではない」という人たちを生みだしている時代である。

「自分のことしかかんがえていない」(ようにみえる)人と、「自分のことが好きではない」人が同じ人とはかぎらないけれども、同じ人であることもある。それは、「自分中心=自分が好き」という構図ではなく、「自分中心=自分が好きではない」という構図だ。

矢作俊彦の小説の主人公は、この構図から見てみると、逆転させた構図である。つまり、「他者のため=自分が好き」である。

「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いにおける「そんなこと」は、ふつうであればしないようなことである。少なくとも、世間的には「しないこと」である。世間的に「しないこと」というのは、たとえば(一見すると)自分にとって「損」にみえるようなことである。それでも、矢作俊彦の小説の主人公は「する」のである。もっと自分を好きになるために。

「もっと」と言うからには、今の「自分も好き」なのである。けれども、「もっと」である。「もっと」は過剰な欲望であるかもしれないけれども、それは自分を自分たらしめているものである。

自分にとって「損」になるようなこと(見方によってはそのように見えること)、つまり他者のためであることなどが、ここでは、「自分を好きになる」ことに直接に連関している。ここで構図をいじると、「他者のため→自分のため=自分が好き」というほうが、より正確だろう。

「自分が好き」であることを基礎におきながら(ここを飛ばすと「他者のため」が自己犠牲になることがあるから、これは大切なことである)、他者の歓びがそのまま自分の歓びであるようなところで、自分を好きになってゆく。

そんなふうに遠回りして、「なんでおまえはそんなことをするのか」という問いにもどってくる。

矢作俊彦の小説の主人公は応える。「もっと自分を好きになりたいから」。

内田樹に、ぼくは同意する。やはり、名言である。

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成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima 成長・成熟, 身体性 Jun Nakajima

「私」という存在。- 池上六郎がリスペクトする「最新ヴァージョン」としての「私」。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎の著書『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)。お二人の対話をもとにつくられ、2005年に刊行、それから、14年の歳月を経て文庫版が出された。

大学の頃から興味をもちつづけてきた「身体論」、さらには内田樹先生の「文庫版まえがき」に触発されて、この本を手にとった。ページをひらいたら止まらなくなって、一気に読んでしまった。

「一気に読んだ」からといって、すべてを理解したわけでもないし、あるいは内容が薄かったわけでもない(まったく逆である)。むしろ、「身体」を通して共感し、一気に読んだ、というのが、より正確だろう。


とにかく、この電子書籍のいろいろな箇所に、ハイライトをいれた。

いろいろとハイライトした箇所のひとつに、池上六郎先生がいくどか繰り返したことがある。それは、「私という存在」は祖先が創り出した「最新ヴァージョン」である、ということだ。

池上六郎はつぎのように書いている。


 私たちは両親から生れ、その両親もふた親から生れと、一代、二代と遡って行くと膨大な数の祖先が現れて来ます。例えば自分の両親にも両親が居て……と遡れば十代で1024人、二十代遡れば、52万4288人。わずか二十代遡っただけで50万人を超え、二十一代では100万人をはるかにこえる祖先が居たことになります。昔の一代の間隔は現代のそれより、かなり短いはずですから、二十代と言ってもわずか400年にも満たない程の間に私たちの祖先は100万人も居たことになります。…それ程の多くの祖先が居て今の私が存在しているのです。まさしく私たちは数えることすら出来ない祖先が創り出した最新ヴァージョンなわけです。…

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


一代も途切れることなく、今の「私」につながっている。このすごさをリスペクトすることを、池上六郎はすすめている。ぼくもそう思う。

この「事実」はしかし、「頭」で考えれば誰もがわかることであるし、別に新しい発見ではない(でも、ほんとうに、ほんとうに「驚くべき」ことである)。学校などで、同じような思考実験をやってみたりして、この「事実」を知っている人も結構いるかもしれない。

けれども、「最新ヴァージョン」なんだと池上六郎が語るとき、そこには、生命体としての「私」へのゆるぎない信頼がよこたわっている。頭で知り、語っているだけではない。その信頼のなかで、池上六郎の施術がおこなわれ、なによりも、池上六郎自身の生が生きられている。

机上の「事実」だけでなく、あるいは思考実験による「事実」だけでなく、現実に、今この文章を書いている「ぼく」も、この文章を読んでくださっている「あなた」も、数えることすら出来ないほどの祖先が創り出した<最新ヴァージョンとしての存在>なのだ。

池上六郎の、このような「踏み込みの仕方」に、ぼくはひかれるのである。


ところで、現代社会において、ぼくたちは「個人」として生きている。「個」として、空間的にまた時間的に、(祖先を含めた)他者から切り離されている。それは、ひとつの「解放」でありながら、ときとして、存在の不安をひきおこすことがある。

<最新ヴァージョンの存在>であるということ自体は「個人」としての生きかたを妨げるものではないし、また、むしろ、「私」という存在を支えるものである。

<最新ヴァージョン>としての「私」という存在は、数えることすら出来ないほどの祖先たちと、想像すらおよばないほどの「縁」が重ねられてきた、生命のギフトである。

経験と年齢を重ねれば重なるほどに、ぼくは、そのようにしてここにいる「自分」という存在の奇跡を感じるようになってきている。

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成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima 成長・成熟, 言葉・言語 Jun Nakajima

「受け売り」の効用。- 思想家・武道家の内田樹の「話し方」。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「自分の意見」を持て、などと言われる。でも、かんがえてみれば、「自分の」意見って、特定がむずかしい。「むずかしい」という言い方も正確ではないとさえ思える。「自分の意見」、さらには「自分」をつきつめてゆくと、そこにはさまざまな「他者」が現れるからだ。

「良心の声は両親の声」と言われるように、自分が「良心」とかんがえていることは、親から言われつづけて(また親子のコミュニケーションのダイナミズムを通じて)、「自分の声」となるほどまでに内面化されたことであったりする。


思想家・武道家の内田樹と施術の池上六郎は、そのことを承知のうえで対話をしている(『身体の言い分』毎日新聞文庫、2019年)。

内田樹は、自身を「受け売り業者」みたいなものだとみなしている。「受け売り」ということばは、日常では否定的なニュアンスで語られるけれども、「受け売り」で話す仕方を、方法論として深めている。


内田 …自分の意見はもうとっくに聴き飽きてるし。受け売りはね、同じ話を何度しても飽きないんです。受け売りで何度も繰り返す話って、ちょっと変な味わいの話が多いんですよ。何かね、どこか噛み砕きにくいところが残っているんです。だから同じ話を二度話すと、「ああ、この話はこういうことだったのか」と腑に落ちるということがあるわけです。三度目に話すと、また「ああ、そういうことだったのか」と。他人の話というのは味わい深いですよ。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


「自分の意見はもうとっくに聴き飽きてる」というように、内田樹が「受け売り」を方法論とするうえで、「自分の意見」は考えつくされ、また、話つくされていることは確かだ。「自分の意見」がないままに、ただ「受け売り」を繰り返しているのではない。

そのことをおさえたうえで、内田樹がつづけて語ることばに耳をすませてみる。


内田 …だから、自分で全部きちんと理屈を通せる話というのはかえって自信がもてないんです。ぼくごときの人間が「全部わかってしまう話」というのは、あんまりたいした話じゃないだろうなと思うから、テンションも上がらない。
 でも、この辺はよくわかるけれどもこの辺はなんだかよくわからない話ってあるでしょう。そういう話って、どうやったら辻褄が合うんだろうと一生懸命考えながら、時々「あ、そうか!」と一人で頷いたりしゃべっているから、結果的にはけっこう感動的なパフォーマンスになったりするんです。

内田樹・池上六郎『身体の言い分』(毎日新聞文庫、2019年)


なるほど。「けっこう感動的なパフォーマンスになったりする」ことのからくりがわかるような気がする。「自分→他者」に伝えるという、一方向的な仕方ではなく、「自分と他者」が共に「あ、そうか!」を分かち合うような時がおとずれる。その場において、感動が、生成する。双方に、あるいは双方向的に。それからもちろん、感動的なパフォーマンスは、「結果的に」、であるけれど。

このように、「受け売り」で話す仕方が、自ら楽しむこととして、また「自分の意見」あるいは「自分」を乗り越えてゆく方法として、意識的にとりこまれている。

集団のなかに自分が埋没してしまうのでもなく、あるいは「自分」が他者から切り離されたものとして徹底されるのでもなく、自分と他者との相互的な関係を捉える仕方で、ある意味、集団主義も、個人主義も乗り越えられている。「受け売り」を、肯定的に活用することによって、である。


それにしても、「自分の意見」だと思っていることも、あるいは「自分」だと思っている自分も、「他者の意見」や「他者」のありかたによって構築されたものであったりするのである。

けれども、そこでの「他者たち」の組み合わせや交響の仕方、あるいは生きられ方・経験のされ方は、それでも個々人によって異なるものである。内田樹にとっては、いつも、フランスの哲学者レヴィナスと武道家の多田宏の「意見」や「考え方」が響いているのだけれど、レヴィナスと多田宏の組み合わせと交響がかなうのは「内田樹」を通してであるし、また「内田樹」という人の生を通してである、ということだ。

その意味において、意見や考え方、さらには生きかたの「多様性」に、人はひらかれている。

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成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima 成長・成熟, 海外・異文化 Jun Nakajima

万次郎(ジョン万次郎)が無人島とアメリカで学んだこと。- 鶴見俊輔がみてとる、成長としての「思想」。

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の著作『旅と移動』黒川創編(河出文庫)の最初に、黒川創の編集により、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」がおかれている。

<成長的な見方>(ある人が生き、失敗し、その体験をもとに成長していく、その過程を思想としてつかむこと)によって、万次郎の生涯と生きかたにせまる、心揺さぶる(いわば)「物語」だ。

読んだあとも、鶴見俊輔のまなざしを浴びた万次郎の残像が、ぼくのなかに残っている。


19世紀半ば、万次郎(14歳)は土佐出身の他の四名(漁師たち。筆之丞など)と共に離島に漂流し、そこで143日を生きのびたところで、アメリカの捕鯨船(ハラウンド号)に救出される。当時の日本は鎖国の時代であり、日本に行くことはできず、ハワイを経由し、万次郎はアメリカ(マサチューセッツ州フェアヘイヴン)に到達する。

救出から船旅、そしてアメリカ滞在を支えたのは、ハラウンド号のホイットフィールド船長であった。

鶴見俊輔は、ホイットフィールド船長宛てに書かれた万次郎の手紙(英文)をいくつか引用していて、命の恩人であり、保護者であり、主人でもあったホイットフィールド船長にたいしても、「おお友よ(Oh my friend)」と呼びかけた万次郎に光をあてながら、つぎのように書いている。


…万次郎が無人島とアメリカで学んだのは、人間の対等性ということだった。ホイットフィールドは、万次郎が白人にたいして卑屈にならなくてよいという信念をもつ上で、たいせつな役割をつとめた。
 万次郎をフェアヘイヴンにつれてきた時、ホイットフィールドは、かれを自分の所属している教会につれていった。万次郎を、その教会の日曜学校にかよわせるためである。ところがその教会は、有色人種の少年を白人の子といっしょに教育するわけにはゆかぬと断った。するとホイットフィールドは、すぐさまこの教会に行くのをやめてしまった。
 そして、万次郎を迎えることに同意したユニテリアン派の教会に新しく入会して、次の週から万次郎をつれて通いはじめた。

鶴見俊輔「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」、『旅と移動』黒川創編(河出文庫)所収


「無人島」での学びとしてふれられているのは、無人島ですごしていたとき、ひとり中ノ浜出身で最年少でもある万次郎は、宇佐出身の他の四人から軽んじられるという体験をしていたからである。

さらに同様な出来事をアメリカでも経験しつつも、しかし、人間の対等性を学ぶうえで、ホイットフィールドの存在が大きかったのだ。万次郎もすごいけれど、ホイットフィールドもすごい。このような人たちが世界で、「たいせつなこと」を行動で伝えつづけている。そんなことを思う。

ちなみに、新しく入会した教会で、万次郎は、ハラウンド号の所有者のひとりであったウォレン・デラノという船主の家の人びとと共に説教をきくことになる。デラノ家では、代々、万次郎のことが伝説の一部としてつたえられ、この話はウォレン・デラノの孫、フランクリン・デラノ・ローズヴェルトにも語られたのだという。後年、アメリカ大統領になったフランクリン・デラノ・ローズヴェルトは「万次郎は、私の少年時代の夢だった」と語ったのだという。


万次郎がフェアヘイヴンについたのが、1843年5月7日。そのときから、176年が経過しようとしている。

万次郎が無人島とアメリカで学んだ「人間の対等性」は、その後の世界でどのように生きられ、あるいは生きられてこなかったか/生きられていないのか、ということを思う。

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言葉・言語 Jun Nakajima 言葉・言語 Jun Nakajima

外国語を、せいいっぱい聴き、伝える。- 中浜万次郎たちの「英語」。

日本の外(海外)で暮らしていると、ときおり、昔の日本人たちがどのように異国にわたり、そこで生きていたのかに関心が湧くことがある。あるいは、そのような「物語」に出くわすと、深い好奇心に火が灯るのを感じる。


日本の外(海外)で暮らしていると、ときおり、昔の日本人たちがどのように異国にわたり、そこで生きていたのかに関心が湧くことがある。あるいは、そのような「物語」に出くわすと、深い好奇心に火が灯るのを感じる。

2019年、ぼくは思想家の鶴見俊輔(1922-2015)のいくつかの著作を読もうと思って、鶴見俊輔『旅と移動』黒川創編(河出文庫)のページをひらく。「旅と移動」というタイトルにあるように、そこには海外にかんすることが書かれていたりする。

鶴見俊輔自身の経験をつづった「わたしが外人だったころ」という文章もあれば、たとえば、「中浜万次郎」が描かれていたりする。

この、中浜万次郎(ジョン・マン、ジョン万次郎)を描いた文章「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」は、鶴見俊輔による<成長的な見方>(ある人が生き、失敗し、その体験をもとに成長していく、その過程を思想としてつかむこと)によって、この人物の「思想」にせまってゆく。心が揺さぶられる文章である。

19世紀半ば、万次郎(14歳)は土佐出身の他の四名(漁師たち。筆之丞など)と共に離島に漂流し、そこで143日を生きのび、アメリカの捕鯨船(ハラウンド号)に救出される。日本は鎖国の時代である。

この救出の場面、万次郎たちにも、捕鯨船の船員たちにも、「相手を同じ人間と見る心があったのがしあわせだった」と、鶴見俊輔は書いている。「相手を同じ人間と見る心」が、人間にとって、「あたりまえ」のことではないからだ。とりわけ、当時の状況や無人島生活の心理のなかにあってである。

ともあれ、この「しあわせ」によって出会うことができ、万次郎たちは救出され、捕鯨船での旅に加わってゆく。

「言葉」は、どうしたのだろうかと思わずにはいられない。万次郎たちにとってははじめての「外国人」との出会いであり、捕鯨船の船員たちも、万次郎たちがどこから来たのか、最初のうちはわからない。

万次郎たちは救出されてのち、少しずつ事情をつかみ、船が捕鯨船であることを知り、「マサツーツ」という国の船で、船頭の名が「ウリヨン・フィチセル」ということを知ることができた。

ここでいう「マサツーツ」はアメリカのマサチューセッツ州、「ウリヨン・フィチセル」はウィリアム・ホイットフィールドである。

自身、アメリカにも滞在していたことのある鶴見俊輔は、つづけて、つぎのように書く。

…日本語しか知らない耳で英語の発音をきくと、このように聞きとれた。この発音は…英語が義務教育の一部として教えられている今日の日本から見ると、変にきこえるが、こんな発音でもともかくも、万次郎たち五人は日本人全体に先んじて英語をききわけたり話したりすることができるようになり、その後の数年間、日常生活をこの流儀でおしとおしたのだ。

鶴見俊輔「中浜万次郎ー行動力にみちた海の男」、『旅と移動』黒川創編(河出文庫)所収

この「流儀」については、筆之丞たちが日本に帰ってから日本人に教えた英単語を見てみると、さらに理解できるように思われる。

こんな具合である。

地  ガラヲン
木  ウーリ
火  サヤ
水  ワタ
暑  ハアン
寒  コヲル
春  シブレン

鶴見俊輔は「もとのつづり」を推定して書いてみている。

地  ガラヲン  ground
木  ウーリ     tree
火  サヤ        fire
水  ワタ        water
暑  ハアン     hot
寒  コヲル     cold
春  シブレン   spring

これらを見やりながら、「こういう発音でも、必要に応じてせいいっぱい使えば、アメリカの暮らしに不自由はなかったということが、わかる」と、鶴見俊輔は書いている。

ぼくの経験からも、「必要に応じてせいいっぱい使えば」という流儀が、よくわかるような気がする。また、下手に「カタカナ」で発音するよりも、「ききわけたままに」発音してみたほうが伝わることがあるものだ。筆之丞たちの単語表のカタカナ表記を見ていると、そんなことも思ったりするのだ。

でも、「必要に応じてせいいっぱい使う」機会がなかったり(自らなくしてしまったり)、そんな機会を逃してしまったりしてしまうのも、今の時代かもしれない。他の方法が「便利」にも、見つかるからである。ぼくも「便利さ」にながれてしまったりする。

それでも、ぼくのなかにも、「せいいっぱい」聴き、「せいいっぱい」伝えるという経験が、生きている。そんな経験をしているとき、言葉が「言葉」になっていなかったかもしれないと思う。でも、それはある意味、言葉でありながら、「言葉」を超えてゆくときでもあった、と、ぼくは思う。

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思想を成長として見る「成長的な見方」。- 鶴見俊輔のまなざしと視点。

思想家の鶴見俊輔を補助線として吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』を読み解く、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)のはじめのほうに、思想を成長として見る「成長的な見方」に焦点があてられている。

思想家の鶴見俊輔を補助線として吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』を読み解く、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)のはじめのほうに、思想を成長として見る「成長的な見方」に焦点があてられている。

吉野源三郎は『君たちはどう生きるか』の著者として有名であるけれど、他方で、雑誌『世界』の初代編集長としても知られていた。

吉野の他の著作群も視野におさめながら、鶴見俊輔は、吉野によって書かれた『エイブ・リンカーン』の書評も書いていたようだ。ここでは、上原隆の文章と引用を導きとしながら、「成長的な見方」を見ておきたい。


リンカーンはドレイ解放で有名なアメリカの大統領である。リンカーンは若いときに、ドレイの競売を目にし、モノのように扱われる人間の姿に心を痛めるのだが、リンカーンはそれから10年ちかくを、ドレイ解放とは関係なく、弁護士として人生を歩む。ただ、そのあいだも「心の痛み」は静まらない。

このことを端緒にして、鶴見俊輔はつぎのように書く。


 自分の心の底にやきつけられたコテのアトが、ドレイ解放の運動から無縁な道をただぽくぽくあるいていたころのリンカーンをどれほど悩ましていたかがわかる。
 こうした仕方で、人が育ち、人をとおして思想が育ってゆく。この成長として理解された思想を、われわれは、忘れやすい。戦後の進歩思想は、思想について、成長的な見方よりも、むしろ合成的な見方をとってきたのではないか。その合成的な方法の一つの拠点として『世界』(吉野氏の編集してきた雑誌)を見るとして、この方法の有効性をも私は信じているけれども、思想を成長として見る精神につらぬかれた同じ人の著書『君たちはどう生きるか』および『リンカーン伝』は、合成の方法によっては達することのできない思想の高さを示していると思う。

鶴見俊輔「吉野源三郎『エイブ・リンカーン』」『鶴見俊輔著作集』第五巻(筑摩書房)※上原隆『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)より


ここで述べられているように、鶴見俊輔は、「思想」ということについて、二つの「見方」を示している。上原隆(『君たちはどう生きるかの哲学』)による紹介も踏まえて繰り返すと、つぎのようになる。


●「合成的な見方」:正しい理論や知識を組み合わせて論じること。

●「成長的な見方」:思想を生きられたものとして見るということ。ある人が生き、失敗し、その体験をもとに成長していく、その過程を思想としてつかむこと。


ぼくは、鶴見俊輔の言う「成長的な見方」にひかれる。「成長的な見方」について、「伝記的な方法」と呼んでもいいかもしれないと上原隆が書いているように、そこには、人それぞれの「物語」が見えてくる。

なるほど、鶴見俊輔の語る「イシが伝えてくれたこと」(『思想をつむぐ人たち』黒川創編、河出文庫、所収)を読んでいたときに感じていたことを、この「成長的な見方」が言葉化してくれているようにぼくは思うのである。

鶴見俊輔のまなざしは、鋭く、あたたかい。「なるほど」が、ぼくのなかでつづく。鶴見俊輔がどれだけ多くの人たちをひきつけてきたのか、その理由の一端がわかるような気がする。


「自分の心の底にやきつけられたコテのアトが、ドレイ解放の運動から無縁な道をただぽくぽくあるいていたころのリンカーンをどれほど悩ましていたかがわかる。こうした仕方で、人が育ち、人をとおして思想が育ってゆく。…」

こう、鶴見が書くとき、そこにはリンカーンが「生きる物語」が見えてくる。

ここではリンカーンに焦点があてられているけれど、『君たちはどう生きるか』の主人公である本田潤一(コペル君)も、「成長的な見方」で読むことができる。

そしてその視点はそのようにして、人それぞれの人生を照射することができるし、また生きかたにもなってゆく。いわば「合成的な生きかた」というものでは到達できないところに、「成長的な生きかた」は人をおしだしてゆく。そんなふうに、ぼくは思う。

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書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima 書籍, 成長・成熟 Jun Nakajima

「自分の問題」の延長線上に。- 上原隆著『友がみな我よりえらく見える日は』。

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

「友がみな我よりえらく見えるとき」というのが、誰にとってもあるかもしれない。いつもそう思ってしまう人もいれば、あるときにふと、そう感じてしまう。自分の人生は誰のものでもなく、自分のものだとわかりながら、それでも、ときに、「友がみな我よりえらく見えるとき」が日常に差し込んでくるかもしれない。

著作『友がみな我よりえらく見える日は』(幻冬舎アウトロー文庫)のタイトルを目にしたときにそんなことを思ったのだけれど、ぼくがこの本を手にしたのは、このタイトルからではなく、「上原隆」によって書かれた本だからである。

上原隆を知ったのは、鶴見俊輔を補助線として吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』を読み解く、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)を知ったときであった。

そして実直な視点と文体に惹かれて、ぼくは上原隆の他の著作を読んでみたくなったのだ。こうして、『友がみな我よりえらく見える日は』のページをひらくことになる。

その扉の詞には、石川啄木の『一握の砂』からの言葉が置かれている。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」(石川啄木)。本のタイトルはここから来ているようだ。

上原隆は、インタビューを通して、市井の人びとの人生をきりとって、それぞれ短い文章にまとめている。目次を見るだけでも、さまざまな人びとが取り上げられているのがわかる。友よ、容貌、ホームレス、登校拒否、芥川賞作家、職人気質、父子家庭、女優志願、等々。


ここではそれぞれの詳細ではなく、この本のモチーフについて、上原隆の別の著書の文章をあげておきたい。


 あるとき、鶴見さんがこういった。
「マルクスがすごいのは資本論を書いたからじゃない。餓えという問題を見つけたからなんだ。問題を解決することよりも、自分の問題を見つけることが重要なんだ。
 私にとって「自分の問題」は何だろうと考えた。映画監督になることが高校生の頃からの夢で、映画会社に入ったのに、自分の映画は作れなかった。…自分には才能がないのだと認めざるを得なかった。私は落ち込み、部屋にひきこもり、毎日、鶴見さんの本だけを読んで過ごした。そんなふうだった三十代の十年間を思い出した。あのとき、鶴見さんの本を読むことで自尊心をささえていたなと。そして、これは「自分の問題」ではないかと気づいた。
「困難に陥り、自尊心が傷つき、自分を道端に転がっている小石のように感じるとき、人はどうやって自分を支えるのか」

上原隆『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)


上原隆は、この「自分の問題」を手がかりに、人に会い、話を聴き、本を書いた。その本が、『友がみな我よりえらく見える日は』(1996年)である。

この本ができたとき、はじめて、鶴見俊輔がほめたのだという。「市井の人々の生き方を記録」と紹介されたりするなか、鶴見俊輔があるとき、上原隆に言ったのだという。「あなたの書いているものは文学ですね」、と。

『友がみな我よりえらく見える日は』を読みながらぼくが感じていたのは、それぞれの人びとの「物語」が語られているのだということ。「文学」だという鶴見俊輔と共振するところだと思う。


ところで、「自分の問題」を見つけるときというのは、ある意味で、「他者との比較」(…よりえらく見える、など)から離れてゆくときでもある。

ぼくたちは日々、直面する問題を解決していくけれども、もっと根源的な次元において「自分の問題」を見つけてゆくこと。「他者との比較」から離れ、いわば<自分との比較>がはじまる。今日の自分は昨日の自分と比較してどうか。「自分の問題」が、どう生きられているか。

こうして、<自己実現>ということが、根源的な「自分の問題」と共に、歩みはじめるのである。

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上原隆著『君たちはどう生きるかの哲学』に惹かれて。- 鶴見俊輔を補助線として、『君たちはどう生きるか』を読む。

吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』。1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』。1900年代前半(原作の出版は1937年)の日本の東京を舞台に、主人公である本田潤一(コペル君)と叔父さん(おじさん)が、人生のテーマ(世界、人間、いじめ、貧困など)に真摯に向き合いながら、物語が展開していく作品だ。

この『君たちはどう生きるか』に心を揺さぶられ、他の人たちがどんなふうにこの本を読んでいるのか気になっているときに、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)を目にし、手にとった。

最初の数ページを読んで、つづきが読みたくなったのだ。

というのも、それら最初の数ページには、思想家の鶴見俊輔(1922-2015)の視点が刻まれていたからである。


鶴見俊輔は、『君たちはどう生きるか』について、「日本人の書いた哲学書として最も独創的なものの一つであろう」と評したという。1959年のことだ。

上原隆はこの言葉に導かれて、『君たちはどう生きるか』をすぐに読んだのだという。

上原隆が『君たちはどう生きるか』を初めて読んだのは、1981年、32歳のときだった。小さな記録映画製作会社で働いていたが、作りたい映画は作らせてもらえず、さらには経営状態も悪化している。

先行きが見えない不安のなかで、上原隆は鶴見俊輔の本を読み、ノートにとることで自分を支えていたのだという。そんなときに、『君たちはどう生きるか』についての、鶴見俊輔の書評に出会い、『君たちはどう生きるか』に導かれてゆく。

上原隆は、鶴見哲学の主要な問題のほとんどが『君たちはどう生きるか』の中にあるのだと見てとっている。著作『君たちはどう生きるかの哲学』は、鶴見哲学を補助線としながら『君たちはどう生きるか』に書かれていることを深めてゆくことを企図した本である。

『君たちはどう生きるか』に触発され、また今年は(少しずつだけれども)鶴見俊輔の著作を読んでいるぼくにとって、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』は、関心や焦点、さらには世界観のようなところで共振するものがあるのだと、手にとった本なのだ。


「はじめに」で、上原隆はつぎのように書く。


 鶴見はこう書いている。

   わたしは思想を、それぞれに人が自分の生活をすすめてゆくために考えるいっさいのこととして理解したい。

 プラグマティズムと論理実証主義を学んだ鶴見は、論理的で実証的な手堅い哲学を背景に持ちながら、そこから出て、一人ひとりの「私」が生きる現場のことを考えた。自由意志を大切にし、正義の立場から批判することを嫌い、寛容さを大切にした。
 一人ひとりの「私」が、様々なことと出会い、失敗し、後悔し、そこから意味をくみとって、成長していく。そこに哲学があると考えた。
 文字通り、君たちはどう生きるかの哲学だ。

上原隆『君たちはどう生きるかの哲学』(幻冬舎新書、2018年)


この箇所を読んで、ぼくは、上原隆の著作『君たちはどう生きるかの哲学』を読もうと思った。さらには、上原隆の他の著作も手にとって、ページをひらいた。

読み始めて、ぼくは思う。ぼくの感覚はまちがってはいなかった、と。

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